6-2 副社長に呼び出された

「そうか。永野くんがねえ……」


 副社長室。豪奢な調度品に囲まれた部屋で、副社長は安っぽいコンビニ紙カップのコーヒーを口に運んだ。


「うん。うまいなこれ」


 俺を見て微笑む。


「コンビニではファミリーキャットのコーヒーがいちばん好きでね。私は」


 普通はスペシャルな豆のコーヒーを、秘書にきちんと入れさせるんだけどな、役員クラスだと。副社長、こういうところが庶民的だわ。……まあコーヒー自体は秘書に買いに行かせてるんだけどさ。


「平くんも飲み給え」

「はい」


 経理の永野が社長「後」に向けて動き出したという俺の話を、副社長は真剣な瞳で聞いてくれた。


「……ま、実際その話は、あちこちから聞いてるよ」

「やっぱりそうですか」

「私のところには、永野くんから直接のアプローチはないがね」

「はあ……」


 やっぱりか。切り札があるだけに、まず他の票を固めてから……とでも思ってるんだろう。ここに来るまで俺は、互いの協力を誓った金属資源事業部の海部事業部長、それにCFOの石元に接触した。


 海部は本来の次期社長候補だけに、無理に社長を引きずり下ろす動機が薄い。石元は三木本商事メインバンク三猫銀行から送り込まれた落下傘役員だけに外様。それだけにふたりとも、永野からの表立った接触はないとの話だった。永野が接触してくるのは、おそらく取締役の過半数近くを固めてから。「もう社長交代は必然だから、次の権力者につけ」と説得にくるパターンだろう。


 副社長も同じってことだ。


「だが私は、永野くんが過半を押さえるなら、そっちに乗るつもりでいる」

「……」


 はっきり言い切ったか。上がりポストだけに、社長に遠慮する必要ないもんな。前も同じような煮え切らない態度だったし。こりゃ永野、ハニートラップ写真を持ち出す必要すらないかもな。


「時代は動くもんだよ、平くん。……君も沈みゆく船に乗るのは止めて、乗り換えたほうがいい」

「副社長は、次期社長の下でも副社長の地位を確保したいからですよね。でも俺は違う。役員でもないから、現社長が追い出されても、特には困らない。役員なら退任させるという脅しが利くが、俺は社員。せいぜい異動させるくらいでしょ」

「異動が怖くないのか。経営企画室エリートの地位も個室も取り上げられ、どこぞの閑職に追いやられるのが」

「怖いもんか」


 俺の苦笑いを見て、副社長は目を丸くした。


「だって俺、二年前まではあちこちの部署をたらい回しになってた底辺社員ですよ。それに戻るだけじゃないすか。……おまけにシニアフェローの地位は取り上げられないし。降格人事には理由が必要ですからね。事業部長クラスの社員ならなおのこと、根拠ある理屈がないと」


 それに極端な話、異世界担当から外されても構やしないからな、俺。キラリンが使い魔になった以上、異世界デバイス取り上げられても異世界との往来は自由自在。金だって手持ちダイヤは兆円単位の価値がある。そんときゃ会社辞めて、異世界とこっちを行き来しながら、面白おかしく暮らすわ。


「君はもともと馬鹿枠だ。たしかに、それもそうか。雑草だったものな」


 愉快そうに笑う。


「だが、出世できるとなればどうだ、平くん。魅力だろう」

「出世? 無理ですね。俺はシニアフェロー。すでにマネジメントルートからは外れているし、スペシャリストルートでは頂点だ。これ以上、偉くなりようがない」

「そうか……」


 ほっと息を吐く。


「これは……もし近い将来、我が社に大きな変革があって、私がまだ権力を保っていたらという、仮の話だ」


 テーブルの向かいに座る俺に顔を寄せ、ひそひそ声になった。


「君には今以上の地位を与えよう。……もちろん、君が私に忠誠を誓い、協力してくれたらの話だ」

「……はい」


 興味があるフリをした。とりあえず話を聞いておかないと。判断しようがない。


「たしかに君は、事実としてもう出世できない。……だがそれは『三木本商事では』というだけの話。君には、子会社社長の地位を兼務させる。収入は今の倍。しかもストックオプションも与える。その子会社は、数年後には上場予定だ。君が手にする株式だけで、十億くらいにはなるぞ。もちろん、役員報酬は別だ。そちらも年間数千万にはなる。三木本商事本体では、君はシニアフェローのまま。そっちの収入も、もちろんキープできる」


 なるほど。その手があるか。


「すごいっすねー」


 十億程度、今の俺にははした金だが、ここは感激しておかないとな。


「でも俺が社長を裏切るのは、大きな賭けです」

「そりゃそうだな。もう社長派には戻れないから。反社長派に加わった瞬間、一蓮托生だ」

「権力バランスがどちらに転ぶかもう少しはっきりするまで、なら俺、フリーハンドでいます」

「……それはずるくないか」

「副社長と同じですよね。副社長、別に反社長派ではないけど、社長と一緒に死ぬ気もないんでしょ」


 そう公言してるからな。今日だって。


「これは一本取られたな」


 頭に手を当て、苦笑いしている。


「たしかにそのとおりだ。……ならまあ、それはそれでいい」


 俺をじっと見つめ直した。


「だが、今からでももう動いてはもらうぞ」

「なにをしてほしいんです、俺に」

「私独自に票読みをしたい。どちらに権力の椅子が転がり落ちるのか、社長・反社長の連中より早く知っておきたいからな」

「はあ……」


 困惑したような表情を、俺は作ってみせた。頭の中で高速に思考を回しながら。


「平くん、君は役員をいろいろ探ってるだろ」

「そうすね」


 事実だ。


「その情報を流してくれ。……なんせ私が直接接触すると警戒されるからな。その……、君は異例の出世を遂げたとは言え、ただの小物だ。社長の駒とはいえ、それなりに口を滑らす連中も多かったはず」


 なるほど。筋は通っている。筋だけはだが……。


 とにかく、この程度なら、乗っておいたほうが、俺や吉野さんには得だ。社長にとっても、風見鶏の副社長の首輪の紐を俺が握っているほうが、まだマシなはず。フリーハンドで副社長が裏で自由に動き回るよりも。


 少なくともこれで、副社長の首には、俺が鈴を付けた。鈴が鳴るなら、それは社長の危機ってことさ。


「事前に言っておきますが、俺はこれからも社長派閥です」

「わかっている」


 楽しそうに笑っている。


「そのほうが私にも都合がいいからな」

「その前提の上で、情報をお流ししましょう」

「うむ。そうしてくれ」


 重々しく頷いた。


「キープインタッチだ。平くん」


 立ち上がると、手を差し出してきた。


「私はこれから経団連の会合でね。……また連絡する」

「はい。副社長」


 俺は副社長の手を握った。

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