5-6 世界線の分岐器(マリリン博士談)
「はあーっ……」
毎度おなじみのクジライラスト壁を見上げると、思わず溜息が漏れた。
「どうしたの平くん。朝から落ち込んでるじゃない」
吉野さんが眉を寄せた。
「昨日の晩ご飯、重すぎた? 今夜は消化のいいうどんすきにでもする?」
「いえ、大丈夫です。もう真夏だし」
七月末だからな。
「部屋、思いっ切り冷房強くすれば平気よ」
「真夏に鍋っていうのも、粋だよ、お兄ちゃん。ビールも進むし」
制服姿の中学生としか思えないキラリンが、酒を語る。
「ぷぷっ」
俺の胸で、レナが噴き出した。
「吉野さん。ご主人様はね、気が重いんだよ。マリリン博士に会うのが」
「あらそうなの」
首を傾げている。
「なにか問題?」
「そりゃあね、お兄ちゃんは、精――」
俺は、キラリンの口を押さえ込んだ。
「せい……せ、性格的に面白いからです。マリリン博士が」
「へ、へえ……」
吉野さんは苦笑いだ。
「たしかに、変わり者だって噂だもんね」
それどこじゃないわ。俺今まで三回……四回だったかな。ここマリリン博士の隔離部屋――あわわ三木本商事開発部I分室に来たけど、毎回謎実験用に精子搾り取られてるからな。ストッパーとしてレナとキラリン伴ってもダメ。前回は貞操帯まで穿き込んだけど、それでもダメ。いよいよ最後の希望として、吉野さんを連れてきたってことよ。
吉野さんなら、レナたちのように博士に説得されないだろうし。この件特に教えては居ないが、俺が抜かれるの、全力で阻止してくれるに違いない。博士には、俺と吉野さんの関係は知られていない。だから俺の女上司の前でいきなりパンツ脱がすとか、いくらなんでもしないだろうし。……しないよな。若干不安w
「ピンポーンっ」
「待ってたよ、平くん」
インターフォンから、マリリン博士の声が聞こえた。
「開けゴマーッ」
カチンと錠が外れる音がして、安っぽいアルミ扉が開いた。どうやら音声認識ドア、ほぼほぼ作動安定してきたんだな。
「ほら入って」
インターフォンの声に促され、俺達は研究室に入った。
「よく来たねー」
だだっぴろい研究室。いつもの席に陣取った博士が、俺を手招きした。元水産倉庫だけに、相変わらず魚臭いわ。あと例のテスラコイルから発生する放電のいがらっぽい臭いと。
吉野さん、三メートルの巨大かたつむりみたいなテスラコイル見て目を見開いてるな。そら、五十年代米国SF映画に出てくる「アレ科学者の部屋」くらいでしか見ないもんな、こんなん。
「あら、今日は四人さんなの」
椅子を回すと、白衣姿の博士が頭を掻いた。
「コーヒー足りるかしら」
「おかまいなく」
吉野さんが優雅に微笑む。無防備だわーヤバい。
レナとキラリンを連れてきたのは理由がある。レナは最近、博士の助手してるから、博士は顔を見たがる。それにキラリンは博士に開発されたから、娘みたいなもん。里帰りを兼ねてだ。
「こちらの美人が、平くんの上司、吉野さんね」
人当たりのいい笑顔を見せた。
「人事情報で見たわ」
「はい。吉野ふみえです。マリリン・ガヌー・ヨシダ博士、よろしく」
ぺこり。
「あらーご丁寧に。あたしのフルネームちゃんと呼んでくれる人、なかなかいないよ」
上から下まで、俺の大事な吉野さんの体を眺め回している。なに考えてるか、想像するだに恐ろしいわ。
「卵子もらおうかと思ってたけど、それに免じて、今日は勘弁してあげるわ」
「はあ? 乱視ですか? 私、近眼ですけど乱視は入ってません」
「そうじゃなくて、生殖――」
「博士、それより話を聞いてくださいよ」
「な、なによ平くん」
大声を上げたんで、驚いたみたいだな。
「じゃあ話を戻すか。ガヌーって、日系にしては普通ない名前でしょ。これね、そもそもあたしのお祖父様が……」
「博士、問題発生です」
「あらそう……」
シリアスな俺の表情を見て、話をやめた。
「ならまあいいか。キラリン、あんたはコーヒー淹れな。やり方教えただろ」
「うんママ。アレ、入れる?」
「スペシャルな奴は入れなくていいから」
「わかった。普通のコーヒーね。眠くならない」
キラリンの奴、もうすっかり博士の下働きになってやがる。さりげに睡眠薬入れようとしてるし、これもう悪の組織の下っ端戦闘員だろ。
「アレ……?」
吉野さんは首を傾げている。いえ吉野さんこれ、意味不明のままスルーしてください。
●
「そう……」
俺の話を聞き終わった博士は、腕を組んだ。デスクには、俺の謎スマホが置かれている。使い魔召喚画面を出した状態で。
「そんなわけで、使い魔候補が変わっちゃったんですよ」
「なるほど。興味深いわね」
うんうん頷いている。
「理由はなんでしょうか」
「そうねえ……」
自分のビーカーを掴むと、ひとくちコーヒーを飲んだ。
「あんたたちも遠慮なく飲みなよ」
「ありがとうございます」
吉野さんがビーカーを持ち上げた。
「あっ」
「どうしたの平くん。大声上げて。……びっくりするじゃない」
「い、いえ……」
キラリンを睨んでやると、ぶんぶん首を振っている。
「そうか……。ならいいですよ、吉野さん飲んでも。多分命には別状ありません」
「やだ、おおげさ」
笑うと、飲んだ。
「わあおいしい。……いい豆を使ってるんですね、博士」
「豆もあるけど、水のpHと抽出温度ね。今度サンプリングのグラフ見せたげるよ」
「楽しみにしてます」
なんだ。意外に気が合うのかもな。
「それでね、平くん」
もうひとくち飲むと、博士は話し始めた。
「使い魔候補が変わったの多分、世界線が分岐したから」
「世界線……ですか」
「そうそう。多元宇宙理論って知ってるでしょ」
「SFの話ですよね」
「そうだけど、量子力学だとそれを仮定したほうが理論の整合性がいいのよね」
「はあ」
わからん。
「電車のレール切り替えみたいなもんよ。ターンアウト、つまり分岐器っていうんだけどさ」
「はあ、通勤電車で見る、線路のあれですよね」
そこ通るとき、揺れるんだよなー。地味にイラッとするんだわ、あれ。
「あんな感じで、世界が切り替わった。そして分岐器を操作したのは平くん、あんたよ」
「俺ですか」
「そうそう。なんか心当たりあるでしょ」
「心当たりねえ……」
ありすぎるw
最近で言えば、アールヴの里。瀕死のンターリーから、祝福の古代魔法を受けた。火山の女神ペレが俺の頭に入ってきて、自分の記憶にある古代聖魔戦争の情景を見せてくれた。それに何度も、特殊な珠を用いた延寿を受けている。
どれもこれも、それなりにインパクトの大きなイベントだった。
特に怪しいのは、ンターリーの祝福魔法かな。俺を祝福したってことは、俺の運命に干渉するってことだから、俺が「より有利になる」方向に、使い魔候補が変わったのかも。
それにペレの件もありうる。女神が頭に入ってきたんだ。なにがあってもおかしくはない。
俺が説明すると、博士は笑い出した。
「いやーあんた、楽しい人生送ってるね」
「面白かないでしょう。命懸けですよ」
「それにしてもよ。……今度あたしも連れてってくれない、冒険に。いろんなサンプル取れそう」
「いえそれは……」
無理だろ。このヒト、下手したら旅先で俺の精子抜こうとするぞ。戦闘後のデータが欲しいとかなんとかほざいて。
といっても、ここで機嫌を損ねさせるのは悪手。とりあえず先送りにしとくか。
「か、考えときます」
「決まりね」
「いえ決まってないし。予定は未定だし」
「まあいいわ」
手を振って笑っている。
「それで博士、平くんはどうすべきでしょうか」
吉野さんが口をはさんできた。さすがは上司。しっかり引いたところで物事を見てるな。
「そうね。平くんの話を聞く限り、悪い方向に分岐したとは思えない。だから使い魔、召喚すればいいんじゃないの」
「新たに登場した、ヴァンパイアをですか」
「違うよ。だって結界を破るために魔族の使い魔が必要なんでしょ」
椅子をくるっと回すと、俺に向き直った。
「ならサタンを召喚するしかないじゃない」
「サタンかあ……」
「サタンを召喚させるため、同じ魔族のグレーターデーモンが消えたってことでしょうか、博士」
「そう思えるのよねー、吉野さん」
俺を見て、意味ありげに微笑む。
「魔族召喚は大変だよー。なんせ連中、口八丁で騙して召喚主を地獄に送り込もうとうするし」
「はあ、前聞きました、それ」
気が重くなってきた。俺だけならまだいい。吉野さんとか仲間まで地獄行きさせるわけにはいかない。
「契約書だけは、しっかり確認しなよ」
「はあ……」
胃が痛い。
もうすっかり冷えたコーヒーを、博士は口に運んだ。
「うーん、冷えてもおいしいコーヒーにするにはどうしたらいいかしらね。重力加速器で加速したら、時間の進みが遅くなるから冷えにくくなるかも」
「ママ、ヒーターで保温したほうが早いよ」
さすがにキラリンがツッコんだ。
「それもそうね」
自分の「娘」の忠告だけに、あっさり納得。
「平くん、覚悟決めなよ。なに、最悪召喚時にあんたのチームが全員地獄行きになるだけでしょ」
「それマジ最悪なんですがそれは」
「平気平気。あたしの勘が言ってるもん。こいつは面白いことになるぞって」
「いやあんた、俺を動かして世界線の実験検証したいだけだろ」
「それのどこが悪いの」
博士の声が、高い天井に吸い込まれていった。開き直りマジかよこれwww
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