4-6 対「化蛇」戦

「婿殿。こいつは強そうだ」


 化蛇をじっくり観察していたケルクスが唸った。


「あまり舐めないほうがいい」

「わかってる」


 なんせネームドだからな。油断すればやられるのは見えてる。


「見ろっ」


 タマが小声で叫んだ。


「口が裂けるぞ」


 人間そのものだった顔が大きく割れると、口が耳まで裂けた。真っ赤な口内に、乱杭歯のような牙が覗いている。


「カッ!」


 痰を吐くような音をさせると、口からなにかが飛んだ。吉野さんの近くに、どさりと落ちる。スライムのような、緑色の物体だ。スイカほどもある。


「あれは……」


 ケルクスが唸った。


「毒液だな」


 タマは頷いている。


「おそらく揮発性だ。すぐにあのあたりに毒の大気が広がるはず」


 吉野さんたちは、まだキャーキャー叫んでいる。矢を数本放ったトリムも、もうしゃがみこんで一緒に悲鳴を上げている。なす術なしといった感じで。腰を抜かした演技のキラリンが、這いながらのろのろ後退していく。


「キラリン、名演技だ」


 何発か毒液を放った化蛇は、効果がないことを見て取って眉を寄せた。唸り声を上げると、岸辺に上陸を始める。


「よし。いいぞ」


 蛇体と豹脚を使い、にょろにょろのしのしと、腹をこすりながら。


「長いな」


 体は短めという話だったが、十メートルは優にある。水面下の部分を見誤ったんだな。


「しかも太い。こいつは直接攻撃では難しそうだ」


 タマが唸った。


「たしかに」


 あの胴体を切り刻むのは難しい。よほどの長剣でないと無理だろう。それも体表が軟らかければの話だ。あの鱗が鋼のように硬ければ、剣やタマの物理攻撃ではダメージを与えるのは厳しそうだ。


「いいんだ。俺とタマは足止め役だからな。湖に逃げ帰れないように」

「あたしに任せろ」


 瞳を細めて、ケルクスが蛇体を見つめた。


「水系モンスターなのだから、雷撃系には弱いはず。幸いここはマナも豊富だ」


 興奮気味の笑顔だ。さすがは戦士。戦いが嬉しくて仕方ないのだろう。


「早く戦いたいものだ」

「もう少しの我慢だ。見ろっ。完全に水から上がったぞ」


 伝説の通り、四つ脚だった。後ろ脚の先の胴は短く、末端は広がって鰭のように薄くなっている。おそらく水中を素早く進むためだ。


「馬鹿な連中だ」


 化蛇が呟いた。氷のように冷たい声だ。なんだこいつ話せるのかよ。


「弱いのに、わざわざ喰われにくるとは……」

「ボス。行くか?」

「待てタマ。もう少し進ませてからだ」


 湖に逃げられる可能性を、完璧に潰しておきたいからな。


「だがもう時間がないぞ。婿殿。見ろっ」

「くそっ」


 化蛇は急に速度を上げ、大きく口を開いた。吉野さんを丸呑みにする構えだ。蛇に脚が生えた程度だ。ムカデくらいののろさだと思ったが、とんでもない。


「平くんっ!」


 叫ぶと、吉野さんが立ち上がった。四人は走って逃げ始めた。


「行けっ!」


 俺の叫びで、化蛇の正面に、ネメアーのレオが飛び出した。吠え声を上げると、化蛇が立ち止まる。唸り声を上げながら、レオはいつでも飛びかかる構えだ。たてがみが大きく広がり、どういう仕組みかはわからないが、赤く輝いている。


「どういうことだ……」


 戸惑った声色。


「猫が隠れていたのか」

「行くぞっ。タマ、ケルクス」

「おうっ」


 バラバラと、俺達は化蛇と湖の間に広がった。バスカヴィル家の魔剣を抜いて構える。ケルクスも腰の短剣を抜いた。気配に振り返った化蛇は、俺達に毒を吐きかけた。もちろん効果などない。


「やれっトリム」

「えーいっ」


 すでに吉野さんたちは駆け戻り、レオの背後を固めている。トリムは結界矢を十本ほど放った。俺達と化蛇を、結界が取り囲んだ。結界がどのくらい効果を持つのかは不明だ。これまで、中ボス級との戦いでは、無効化されることも多かったからな。だが結界を張っておいて困ることはない。


「もう逃げられないぞ、化蛇」

「嵌めたな。小賢しいカスどもめっ」


 化蛇は湖にまっすぐ進んだ。


「おっと」


 脇から滑り込んだタマが、前脚に強烈な蹴りを食らわせた。バランスを崩し、化蛇が倒れる。そこに、ケルクスが雷撃の魔法を食らわす。フラッシュのような輝きと共に、雷撃の衝撃音が響いた。


「ぐおっ!」


 呻いた化蛇は、また反転し、吉野さんのほうに向かった。


「がうっ」


 飛び付いたレオの牙が、首筋に食い込んだ。そのまま横倒しにしようとしたが、化蛇は倒れない。首を振って落とそうとしたが、レオも離れない。大きな体がぶらぶらと宙を舞っている。


「まず動きを止めたい。トリム、前脚を狙え」


 頭を狙うと、レオに当たる危険性もあるしな。


「わかった」


 早送りのように矢を射ち出すと、あっという間に化蛇の前脚は矢衾やぶすまになった。化蛇が、苦しげな叫びを上げる。


「俺達は後ろだ」

「ボス」


 俺とタマが、左右から後ろ脚に攻撃を加える。胴体への攻撃は、タマが言うように厳しいかもしれない。だが脚なら俺達の攻撃でも効果があるはずだ。


 攻撃を嫌がり逃げようとする方向にケルクスが雷撃を放ち、退路を断っている。化蛇は次第に、攻撃の戦略性を失い始めた。苦し紛れに、尾で打とうとしたり、咬み付こうとしたりする。


「吉野さん」

「うん。キラリンちゃん、お願い」

「はーいっ」


 背中のミネルヴァの大太刀を抜き取ったキラリンが、吉野さんに持たせた。続いてキングーと共に、火炎弾を投げ込み始める。吉野さんの構えた大太刀からも、雷撃が飛び交い始めた。


 栗原は、キラリンと並んで火炎弾を投げている。その後ろに、へっぴり腰の山本。一応、剣だけは構えている。山本のさらに後ろに、シーフ二体。特になにもせず、例によって使い手の山本を盾代わりに、油断なくあたりに視線を飛ばしている。


「あっ。レオっ」


 レオが振り落とされた。途端に化蛇が巻き付き、胴を締め上げる。


 苦しげなレオの叫びが響いた。


「レオっ!」


 飛び出した栗原が、化蛇の胴に取り付いた。なんとか外そうとするが、もちろん無理だろう。


「いかんボス。レオが絞め殺されるぞっ」

「接近戦だっ!」


 俺は叫んだ。栗原とレオがいる。同士討ちの危険性が高まったので、もう間接攻撃は無理だ。しかも巻き付いたということは、自ら動かないと決めたってことだ。もはや逃げられるリスクはないも同然。なら退路を断つもくそも、もう関係ない。とにかくダメージを与え、レオを解放しないと。


 周囲を取り囲むと、各人、化蛇の胴を攻撃し始めた。俺や吉野さんのアーティファクトは、面白いくらいに胴に食い込む。タマは頭を集中して攻撃している。目を瞑らせ、周囲の状況がわからないようにしているのだろう。


 短剣を構えたケルクスは、頭に集中したタマと連携して、首に攻撃を仕掛けている。接近戦では魔法攻撃は無理。味方にもダメージを与えてしまう。短剣で急所を狙うつもりなのだ。


 キングーとキラリンは、ポーションやエンチャントポーションを、味方に振り掛けて回っている。少し近づいてきた山本は、吉野さんの背後から大声で応援してくれている。短剣を抜いたシーフは、恐恐といった感じで、尾の鰭に斬り掛かっている。……まあ鰭くらいなら、なまくら刀でも斬れるかもな。


「ぐううっ」


 四方八方から繰り出される攻撃に、化蛇が苦しそうに唸った。思わず胴が緩む。


「行けっタマ」

「ボス」


 さすがのバランス感覚で胴に駆け上がったタマが、レオの体を引きずり出した。


「全員、総攻撃っ!」

「平くんっ」

「ボス」

「平っ」


 雄叫びを上げて、俺達は化蛇に取り付いた。胴が斬り裂かれ、生臭い血の臭いが広がった。血は青い。現実世界で言えば、タコの血に近い色だ。


 何分掛かっただろうか。さすがに腕が疲れでパンパンになった頃、化蛇の動きは止まった。見開かれた瞳からは、命の輝きが失われつつある。


「吉野さん、頼みます」

「うんっ」


 このど太い胴では、俺の短剣では埒が明かない。


「えーいっ!」


 ミネルヴァの大太刀を振り上げた吉野さんが、首筋に思いっきり振り下ろした。豆腐を切るように化蛇の首が切れ、転がり落ちる。目の前に転がってきたモンスターの首に、山本が腰を抜かした。


「あ……あ……」


 座り込んだ山本の下の地面に、染みが広がった。なんだよ小便漏らしたのか。情けない奴だな、山本……。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る