4-5 ネームド戦、俺の戦略

「さて……」


 岸辺に立つと、俺は例の汽水湖を見つめた。


 話の通り大きい。湖底から湧水があり、水温は低いという。気温との差のせいか、湖の上には濃いもやが立っている。そのため向こう岸が見えないから、たしかに海のようにすら思える。波は無く、砂利交じりの岸辺に水が当たる音が微かに聞こえてくるくらいだ。


「この静かな湖に、凶悪なネームドモンスターが潜んでるってのか」


 本来は湖面に浮かんでいるはずの漁船は全てコロで引き揚げられ、浜にロープと杭で固定されている。まあそりゃ、漁よりは命だよな。


 振り返ると俺は、布陣をチェックした。湖畔の木陰に、俺とタマ、それにケルクスが隠れている。少し向こうにネメアー。はるかかなたに栗原と山本、シーフ二体。全員、湖側からは見えないような位置取りだ。


 吉野さんとキングー、キラリン、それにトリムだけ、ぽっかり空いた空間に立っている。湖から丸見えの位置だ。


 俺のパーティーは基本、ミスリルの防具装備。タマとケルクスの装備はまだ出来上がっていないので、これまでの革の防具だが。ただ吉野さんだけは、普通の布の服。もちろん戦闘向きではない。背中にミネルヴァの大太刀を背負っているが、防御力に関しては無いも同然だ。


「みんな、準備はいいか」

「うん」

「任せろ」

「いつでもいいぞ」


 全員、頷いた。山本も、恐恐ながらも首を縦に振っている。街道筋を進んだだけの川岸チーム時代は、まともに戦ったことなど、相手が雑魚でも皆無に近いだろう。ましては今回は中ボスクラス以上のネームドモンスター戦だ。腰が引けるのも当然とは思う。……けど度胸ないな。お前、前線からずっと後ろじゃんよ。


 俺がこの布陣を提案したとき、栗原も山本も驚いていた。なぜ……と。


 だが考えてみてほしい。化蛇かだは水陸両棲モンスターだ。俺達が岸辺から攻撃すれば当然、湖面から毒や肉弾攻撃を仕掛けては、すぐ水中に沈むに違いない。そして離れたところから顔を出して、俺達の隙を衝いてまた攻撃してくる。ヒット&アウェイで攻めてくる。


 俺達では、水中への追撃は無理。湖面では向こうに地の利があるから、化蛇をとりあえず陸地におびき出さないとならない。しかも半端にダメージを与えたら水中に逃げて、二度と出てこないだろうし。


 つまりダメージを与える前に陸に上げないとならない。


 奴には水中からの攻撃は無駄だと思わせつつ、こっちは弱いから「出ていけば楽勝で倒せる」と思わせる。


 そのために、吉野さんには囮になってもらう。毒の届かないところでキャーキャー怖がってしゃがみこんでもらうとかで。キラリンが吟じてくれた漢書でも、化蛇は女を襲って食うって話だしな。


 キングーとキラリンを吉野さんの近くに置いたのは、万万が一の用心だ。キングーがいればこのあたり一帯は毒から安全なはずだが、念の為な。キラリンはもちろん、ヤバいとき瞬時に跳ばさせるためだ。栗原と山本にはキラリンの力を説明する気はない。そんときゃ「吉野さんが自分のスマホで跳んだ」ってことにするつもりだ。


 いざ本格的な戦闘が始まれば、この三人にはポーションとかのサポート役に徹してもらう。


「でもいいのか。お前の上司だし、女だぞ」


 俺の作戦を聞いた栗原は目を剥いていたっけ。


「なめんな。吉野さん、下手すると俺より強いぞ。もちろんお前や山本なんか、足元にも及ばない」

「マジか……」

「ああ」


 吉野さんがグリーンドラゴンのイシュタルに跨りドラゴンライダーとなりミネルヴァの大太刀を振るったら、中ボスクラスだって勝てる奴なんかそうはいない。


「いいですよね。吉野さん」

「いいわよ」


 微笑んだ。


「平くんが守ってくれるんでしょ。……私、信頼してるから」

「そんなあっさり。自分の命が懸かっているんだぞ」


 栗原は絶句していた。


「……死ぬかもしれないのに」


 だが実際、こうして吉野さんは、俺を信頼しきって立っている。全く怖がりもせずに。


「行くぞっ」

「任せて、平」


 吉野さんの脇から、トリムが手を振ってきた。


「最近弓矢使ってないから、もうたっくさん余ってるし」


 どこやらの亜空間から自動で補填される背中の矢筒を、叩いてみせた。久しぶりの中ボス戦で腕が鳴るよな、トリム。


「よし。始めろ、トリム」


 足元に積んだ石を拾うと見事な投擲で、トリムが次々湖に投げ始めた。吉野さんやキラリンが、わあわあ楽しそうな大声を上げる。なにも知らない女ばかり四人の旅人が、湖のほとりで無邪気に遊んでいる「体」だ。


 特になにも起こらない。湖面には投石の波紋ができては消えるが、他は静かなものだ。


 五分ほど経った。


「……どうだ、タマ」

「いやボス……」


 タマの猫耳は、右に左にとせわしなく動いている。


「気配はない」

「婿殿」


 ケルクスが俺を見た。


「風で転がってきた石ころくらいに考えているのではないか」

「あんまり敏感でもないんだな」


 石ころくらいじゃ無理か、やっぱ。


「もう少し煽ってみよう」


 俺が手を回すと、トリムが頷いた。矢筒から爆発矢を抜くと、目にも留まらぬ早業で湖に射ち込む。湖岸からかなり離れた場所に。着水と共に、ど派手な水しぶきが上がった。続いて、大きな爆発音と衝撃が届いた。


「これでどうだ」


 その後も、トリムは石を投げ続けた。十個も投げただろうか。タマが俺の腕を掴んだ。


「なにか来るぞ。湖の中に動きがある」

「隠れろ」


 俺達は、ことさら身を縮こませた。すぐ、ザバリという水音がした。木陰からこっそり見ると、青黒い人間が水面から頭だけ出し、吉野さんたちを見つめている。蛇眼で、髪は海藻のように頭にへばりついている。


 と、首がにゅっと伸びた――というか、胴体が出た。青緑の蛇のような胴には、たくましい、ど黄色い縞の脚が付いている。ザバザバ水をかき分け、数歩進み出た。


「きゃあーっ!」


 大声で叫ぶと、吉野さんがしゃがみ込む。頭を抱えたまま、叫び続ける。


「化け物だっ!」


 叫んだトリムが、震える手で矢をつがえる。一度落として慌てて拾い、へっぴり腰で射つ。


「えいっ」


 だがひょろひょろの矢は、湖まで届きもしない。しかも方角も滅茶苦茶だ。もちろん、全て相手を油断させる演技だ。


「なかなかやるじゃないか、トリムも」


 キラリンとキングーも、きゃあきゃあ言いながら、小石を投げている。


「婿殿。こいつは強そうだ」


 化蛇をじっくり観察していたケルクスが唸った。


「あまり舐めないほうがいい」

「わかってる」


 なんせネームドだからな。油断すればやられるのは見えてる。


「見ろっ」


 タマが小声で叫んだ。


「口が裂けるぞ」


 人間そのものだった顔が大きく割れると、口が耳まで裂けた。真っ赤な口内に、乱杭歯のような牙が覗いている。もうとても人間の顔には見えない。


 あの「顔」は、敵を油断させる擬態なんだろう。なんたって、水面から顔だけ出していれば普通に、船が沈んで漂流している漁師かなんかにしか見えない。この世界では人間は弱い存在だし、脅威には思えないから近寄ってくる。チョウチンアンコウの擬似餌みたいなもんだ。


「カッ!」


 痰を吐くような音をさせると、口からなにかが飛んだ。吉野さんの近くに、どさりと落ちる。スライムのような、緑色の物体だ。スイカほどもある。


「あれは……」


 ケルクスが唸った。

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