3-5 生きていたアールヴ
たしかに、レナの言ったとおりだった。壁の内側には、土レンガ造りの素朴な家々が並び、広場には井戸がいくつも掘られている。井戸はかなり深く、
釣瓶を持たない深い井戸がいくつもある。飲用ではない。ケルクスの推察では、深い地底からマナを汲み出しているのだろうということだった。実際、俺には感じ取れないというものの、ケルクスやトリムの話では、井戸の周囲にはマナが溢れているらしいし。
そして……。
「平くん……これ」
「ええ。吉野さん」
地面に染み付いた禍々しい模様の前で、吉野さんが立ち止まった。
大量の血が流れた跡だ。新しい。タマによれば、つい最近のものらしい。
「死体がないわね」
「ええ」
そこが不気味だった。これだけあちこちに血の跡があるということは、大量殺人だ。しかもおそらく、昨日の昼から今朝までの間の。なのに肝心の死体がない。
ここでなにがあったんだ……。
「平、ここ、エルフが住んでたよ」
建物内部を調べていたトリムが、戻ってきた。
「エルフの古い文様が、家具に刻まれてたからね」
「……てことはやっぱり、ここは森を捨てたエルフ、つまりアールヴの里か」
「そう思う」
悲しそうに、顔を歪めた。
「遺跡じゃなかったけどね。……多分、昨日までみんな生きていた」
「はるか昔に滅びていたと言われてたのにな」
「うん……」
「そして昨夜か今朝方、滅びたのだ。……婿殿」
割り込んできたケルクスが、俺の手を引いた。
「あそこに行ってみよう」
ひときわ大きな瓦礫を指差す。ちょっとした小山ほどの瓦礫で、ほとんど手つかずの他の建物とは異なり、徹底的に破壊されている。立ち上る煙は、そこからのものだった。
「あそこはおそらく、王居か族長の家だろう」
●
「これは……」
瓦礫の端でしゃがみこんだトリムが、足元の残骸を調べた。
「ここ、国王の宮殿だったみたいだよ」
「やっぱりか」
ケルクスの推察、当たってたな。
「見て、平。ほら」
瓦礫に残るエルフ模様を、トリムが示した。蔦草が絡み合ったような、例の奴だ。
「これはね、ただの模様じゃないんだ。エルフの飾りはね、模様自体に様々な意味があるんだよ。ここ見て。蔓の間に、弓と矢が描かれてるでしょ」
その箇所を、指で示した。
「たしかにな」
「これはね。王族の印。誰でもが掲げていい模様じゃない。つまり――」
「宮殿ってことか」
「そう」
俺は巨大な瓦礫を見回した。ここが王居だったにしろ宮殿だったにしろ、徹底的に破壊されている。
「よし。ここを徹底的に調べよう。この里でなにがあったのか、ヒントくらいは見つかるだろうからな」
崩れた壁の間の通路を辿ると、足元に大量の血が流れた跡が残されていた。やはり死体はない。迷路のような通路を辿るとやがて、広くぽっかり開けた空間に出た。
「ここは神域だろう。……霊的な力を強く感じる」
ケルクスが呟く。
「なのに、遠慮なしに血が流されている。……くそっ」
なにか、俺にはわからない言語で吐き捨てた。おそらく呪詛の言葉だ。
「平ボス。血の臭いだ」
タマが俺の裾を引いた。
「わかってる。死臭だな」
「いや。まだ新鮮な血だ」
天を仰いで、瞳を閉じた。そのまま動かない。
目を開けた。
「あっちからだ。……見ろっ」
指差した。
「布が出ている。服じゃないのか」
たしかに。瓦礫の山から布がわずかにはみ出している。茶色の服で瓦礫に同化しているから、ぱっと見、わからなかったのだ。
「みんな来いっ」
駆け出しながら、俺は叫んだ。
「瓦礫をどけるんだ」
周囲に取り付いて土の塊や石をどかしていくと、足の先と手が現れた。
「ひとりいるぞ。急げ」
三十分もかかったが、なんとか掘り出せた。石と砂にまみれた、背の低い老人だ。エルフ模様が染め抜かれた、長いローブを着ている。エルフ耳は短く、顔立ちや体型も、ハイエルフやダークエルフとは少し異なる。男だ。
「アールヴね。これ」
「ええ。吉野さん」
胸からの血が服を染めていて、動かない。
アールヴは、とうの昔に滅んでたんじゃないのか……。まだ生存していたとは、実際この目で見るまで信じられなかった。
「かわいそうに」
「いや……」
体に触れたタマが、大声を上げた。
「まだ息がある。ポーションをかけろ」
短剣を抜いて、服を切り裂いた。
「くそっ」
胸の中央に、無残な穴が開いている。周囲に焦げたような跡がある。
「魔法攻撃だ」
ケルクスが呟く。
「剣や槍の傷ではない」
ポーションを投入すると、傷口をタマが舐め始めた。
「ボス」
「わかってる」
横から、タマの頭と背中を撫でてやった。こうすると、ケットシーの治癒能力が上がる。まして俺はタマのパートナーだから、なおのことだ。
「……っ」
どれくらい舐め続けたのか、その男は、うっすら瞳を開けた。顔から砂がはらはらと落ちる。
「あ……あんたら……は」
「冒険者だ。しっかりしろ」
「王が殺された……。ンカール様が……」
また瞳が閉じた。
「しっかりしろ。誰にやられたんだ」
「み……みんなは……」
よろよろと、瞼を開けた。
「わからん。誰もいない。血が大量に流れていて、見つけたのはあんただけだ」
「死体を食ったんだ。あいつが……。魔族め……目当ての宝物が手に入ったら、あっさり裏切りおって。……皆殺しとは」
「あんたら、アールヴだろ。滅んだんじゃないのか」
「三氏族の呪いにやられた我らは、落ち延びた。そして……はるか昔に……この地に」
ごほごほと咳き込むと、口から血が滴った。
「魔族にやられたと言ったよな。邪の火山に、ルシファーはいるのか」
黙ったまま、瞳だけで頷いた。
「邪の火山に陣取ると、ルシファーは使いを寄越した。互いに利のある取引をしようと……。う……失われたソロモンの指輪が、火山の地下、マグマ溜まりに眠っている。アールヴの秘術で、それを吸い上げろ……と」
ルシファーの奴。やっぱりここに……。それにソロモンの指輪だと……。それ、ドラゴンロードのエンリルが教えてくれた奴だよな。失われた偉大なアーティファクト。それを魔族が見つけたのか。
どう転んでも、いい方向には進みそうにない。俺の脇を、冷たい汗がつたった。
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