2-2 女神ペレの船を操ってみる

「じゃあ次元を跳ぶね」


 瞳を閉じて、キラリンが転送の術式を起動し始めた。


 さて、これで無事に船に戻れるかどうか。失敗すれば、俺とキラリンは下手すると現実世界と異世界のはざまで永遠にさまようことになるかもしれん。


 頼むぞ、マリリン・ガヌー・ヨシダ博士。天才の力を、ここ一番で見せてくれ!


「えいっ」


 キラリンの気合いと共に、世界がぐにゃっと歪んだ。いつもの、エレベーターで急降下するかのような感覚があって……。


 ……で、気がつくともう船の上だ。俺とキラリンは、例の「東京タワー」の真後ろに立っていた。


 異世界の昼前。気持ちいい海風が、潮の香りを運んでくる。


「成功したの、平くん」

「どうだキラリン」

「うん。この――」


 キラリンは、東京タワーだか通天閣だかを、ぽんぽんと叩いた。


「この転送ポイントに跳んだよ。あたしが作ったポイントじゃなく」

「成功ですね、吉野さん」

「良かった」


 嬉しそうだ。


「これが異世界転送か……」


 感心したような声で、ケルクスが唸った。


「話には聞いていたが、なかなか奇妙なものだな。……こんな魔法、こっちの世界だと使えるのは相当な術者だぞ」

「キラリンの力とは言え、平の実力が導いたことだからね。当然じゃん」


 無知だとケルクスを微妙にディスる方向で、トリムが解説を入れる。てかトリム、初見ならケルクスの反応は普通だろ。あんまり意地悪するな。


「なにか違和感あったか、タマ」

「いや。普通の転送と同じに感じたぞ、平ボス」

「僕にもそう見えました」


 キングーが同意する。


「よし。じゃあ次の実験だ。実際に浜を離れてみて、海上のこの船に戻って来られるか試そう」

「わあ。ならいよいよ出航ね」


 吉野さんが微笑んだ。


「進水式ならシャンパン用意してくればよかった」

「船に瓶を叩きつけて割る奴ですね」

「そうそう」

「もったいないよ平。それ飲んだほうがいいじゃん」


 トリムがいきり立つ。いや今回はしないんだから興奮すんな。


「古代ヨーロッパの進水式ではもともと、奴隷を殺して海の神様に捧げてたんだよ」


 脳内検索したんだろうが、キラリンがドン引きの血なまぐさい由来を解説し始めた。


「奴隷が赤ワインに変わったんだ。赤いから、奴隷の血に見立てて。それがいつの間にかシャンパンになっちゃったんだよ。赤ワインより華やかだからかな」

「勉強になるなー、キラリンがいると」

「へへーっ」


 得意げだ。とりあえず持ち上げとかないとな。さっき、エッチするしないで機嫌損ねたし。


「それより早く海に出ようよ」


 レナが焦れている。


「そうだな」


 甲板の操船室に、ぞろぞろと移動した。操船室は幅三メートル長さ五メートルほど。船の本体同様、石造りの一体型で、前と横に窓が穿たれ、後方は開いている。後方の床の一部に穴が開いているのは、階下に向かう階段だ。


「ここには椅子が欲しいな。一日立ったままだと辛い」

「異世界キャラバン用に、キャンプ用のフォールディングチェアをいくつも確保してあるでしょ。明日、あれ持ってこよ」

「そうですね、吉野さん」


 折りたたみのアルミ骨格に丈夫で軽量な化繊布を張った椅子だ。ディレクターチェアみたいな、よくある奴。


「外洋は揺れる。床に固定したほうがいいだろう」


 タマが付け加えた。転送ポイントの「東京タワー」は、マリリン博士謹製の真空吸盤と接着剤で固定してある。あの手は使えないし……。


「なら床にアンカーを打って、椅子の脚をタイダウンで固定するか。……大工事になりそうだが」


 前バイクでサーキット走ってた頃、タイダウンはバイクをバンの荷台に固定するのに使ってた。言ってみれば好きなだけ短くできる、頑丈なロープのような奴よ。ラチェットが付いていて、引いた状態で固定することが可能だ。


「あたしが魔法で床に固定用の穴を開けよう。小枝が挿せるような穴でいいんだろ」

「ケルクス、頼む」


 さすが魔法戦士。さっそく役立ってくれるな。


「じゃあ出航するか。……ここで女神に祈るんだったよな、たしか」

「ペレが残してくれたマニュアルには、そう書いてあったよお兄ちゃん」

「わかった」


 最前方中央に陣取り、俺は前を睨んだ。窓を通し、舳先の小さな鳥居と、その先の海が見えている。


「……ペレ、頼む」


 瞳を閉じ、女神ペレに祈った。船をゆっくり前に進めてくれと。


「あっ」


 吉野さんが叫んだ。


「動いた」


 たしかに。俺の請願と共に、船が微かに振動したのを感じる。目を開けて横を見ると、ペレの崖が、ゆっくり後方に動いている。……つまり船が前方に進んでいるんだ。


「特に疲れるとか、頭が痛くなるとか、そういうことはないな」


 マジ、あっけない感じだ。ただこれ、ゆっくり前進という、いちばん簡単な操船だからかもしれないが。真ん前にどでかい海棲モンスターが湧いて逃げるときとか、後進全速急旋回なんかが必要になるはず。そのとき操船が楽かどうかは、まだわからない。


「気をつけろ平ボス」


 タマが唸った。


「ここは本来急峻な崖だったから、岸辺から深いとは思う。でも万一海底から鋭い岩が暗礁として突き出ていたら、腹をこするかもしれんからな」

「わかった。ゆっくり進もう」


 のろのろと五十メートルも進んだところで、また祈って船を止めた。動力を切ると、波による揺れが少し大きくなった。


「これで今、自然のままに船が風や潮で流されてる状態だ」

「実際、少し岸に向かって戻されてるね」


 空を飛んで周囲を確認していたレナが叫んだ。


「崖がまた近づいてきてるし」

「キラリン。もう一回現実世界に飛ぶぞ。今はもうここに固定座標の転送ポイントはない。この船のマリリンポイントだけだ。ここに戻ってこられるか、試さないとな」

「任せて」

「もし戻ってこられず、さっきまで船がいたポイントに転送されると、俺とキラリンは海に落ちる。俺もキラリンも泳げるが、念のため船の周囲を見ていてくれ」

「任せろ、平ボス」


 タマが浮き輪を手に取った。


「これを投げてやる」


 船に常備する緊急用じゃなくて水遊び用「あひる首付き浮き輪」なのが、ちょっと情けない。今度ちゃんとした船用の奴を仕入れて持ち込んでおこう。


「じゃあキラリン、頼む」

「はーい……えいっ」


 で、もうマンションだ。話が早いわ。キラリン。


「……お兄ちゃん」


 俺の袖を取ったキラリンは、物言いたげだ。いかん。またさっきの話に戻る。


「よしすぐ戻るぞ。船のポイントに」

「う、うん……」


 なんか言わせる前に話を打ち切る。気がつくと、俺とキラリンは、東京タワーのすぐ脇に立っていた。


「成功だねっ」


 総船室から顔を出した吉野さんが、海風に負けじと叫ぶ。


「操船室から、ちゃんと転送ポイントに位置が変わってるし」

「ですねー。……キラリン、ありがとうな。助かった」

「貸しだよ、お兄ちゃん」


 にこにこと吉野さんに手を振りながら、俺を見もせずに呟く。


 うーん……。今日は早めに現実に戻って、とっととケーキ買いに行くか。そうしとかないと後々、なんかいろいろヤバそうだわ。

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