5-10 ペレの願い

 ふと気づくと、俺はペレの草原に倒れていた。目を開くと、そこここで歓声が上がる。周囲にみんながいる。俺を取り囲んで。


 吉野さんが、俺の手を痛いほど握り締めている。タマは俺の傍らに倒れている。荒い息づかいだ。口の周囲が赤茶色に染まっている。乾いた血だろう。


「俺……」

「良かった……平くん」


 吉野さんの瞳から、大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。


「……タマ」

「平……ボス」


 タマが顔を起こした。


「ボス、気づいたか」

「ああ……。俺、気絶してたのか」

「治療の途中まで、お前は気丈に意識を保っていたぞ」

「そうか……」


 じゃあ気絶して、夢見てたのか。……いや、それはない。夢なら細部が曖昧だったり途中から話が変わったりする。あの経験は細部までリアルだったし、今でもはっきり覚えている。あれは俺の脳内で現実に起こったことだ。


 俺の体には、なにかの布が巻き付けられていた。包帯のように。ケルト模様に似たエルフ独特の文様が、緑地に白く染め抜かれている。その緑に俺の血が染み、どす黒く変色している。


「ご主人様」


 レナが首にしがみついてきた。


「大丈夫?」

「まあ……な。息すると苦しいけど」

「これ、ハイエルフの衛生兵が巻いてくれたんだよ。強い治癒魔法が込められた治療布」

「なるほど」


 なんとか体を起こした。頭がくらくらする。


「ありがとうなタマ、疲れただろう」

「タマ、二時間も平のこと舐めっぱなしだったんだよ」


 俺が無事とわかったためか、トリムも嬉しそうだ。


「そうか。タマには大感謝だな」

「危ないところだった。いくら小さいとはいえ、ボスの体を火山弾が貫通したから」

「そうだったのか」

「見ろ」


 傍らに放り投げてある俺のチェインメイルを、タマは持ち上げてみせた。


 白銀の鎧、胸のあたりにビー玉ほどの痛々しい穴が空いていてミスリルの鎖が千切れ解け、向こうの空が見えている。穴の周囲は黒焦げになっており、そこから赤黒い血の跡が広がっている。


 頑丈なチェインメイルをぶち抜くとか、ペレ、どんだけ攻撃力高いんだよ。


「左胸だ。チェインメイルのミスリルが勢いを削いだおかげで弾道が変わり、貫通とはいえ端も端をこすっただけで済んだ。だから幸い肺も無事だった。だが……」


 クールなタマには珍しく、眉を寄せ顔をしかめた。


「動脈が破れていた。腋窩えきか動脈が」

「死んでいても不思議じゃなかったんだよ、ご主人様」

「でも、あまり痛まないぞ」

「タマちゃんが、必死で舐めてくれたから」


 吉野さんも安心して、ようやく落ち着いたようだ。


「それに背中の火傷も酷かったから、手持ちのポーションも全部使っちゃった。ハイエルフの人も出してくれたのよ」


 トリムが差し出したタオルで、タマは顔の血を拭っている。


「今だから言うが、ボスは死ぬと思った。動脈出血で、大量に血を噴いていたからな」

「それで頭がくらくらするのか。血を失ったから」

「おそらく」

「安心しろ、平殿」


 ハイエルフの参謀は、瞳を和らげた。


「その治療布に包まれておれば、短時間で体内造血が進むはず。平殿も我々と同じく人型だ。そう違いはないだろう」

「ありがとうございます」

「なんの。あんたはハイエルフの恩人だ。いくら感謝しても、し切れるものでなし」

「ハイエルフの被害は」

「何人かは。いずれも重傷だが幸い、死者はいない。平殿の盾で、火山弾の勢いを殺せたからだろう。ありがたい話だ」

「あの盾は全部進呈します。なにかに役立てて下さい」

「なんとっ」


 居並ぶハイエルフがどよめいた。そういやケルクスの姿が見えないな。


「なんと豪気なお方じゃ」


 まあどうせ会社の金だしな。どケチ社長が例のごとく顔を赤くしたり青くしたりして怒りそうだが、ほっときゃいいやw


 経理とかにちくちく嫌味を言われ続けたら、最悪、俺のポケットマネーで払えばいい。確定申告で追加の所得税がかかるのわかってたから、こないだ天猫堂で税金充填用にダイヤをいくつか売っといたし。あの金の一部を回せばいい。


「ほんとにもう……。無理しちゃダメでしょ、平くん」


 吉野さんは涙を拭った。


「はい吉野さん。すみません心配かけて」

「もう……馬鹿っ」


 ようやく笑顔になった。


「キラリンとキングーは」

「僕は平気です」


 キングーはなぜか泣きそうな顔だ。


「すみません平さん。僕がもう少し長く時間を止められていたら、こんな事態には……」

「いや、お前は限界まで頑張ってくれたんだ。大感謝だよ。――キラリンは」

「消えちゃった」


 トリムが俺の謎スマホを渡してくれた。これはもうただの無機質な異世界マシンだ。使い魔となったキラリンは、この世界での存在限界を超え、今は一時的に消えている。あっちの世界に戻れば、いくらでも呼び出せるだろう。


「でもしょうがないよ。きっとキラリンも最大限頑張ってたはずだし」

「だな……」


 キラリンのことだ。俺が生死の境を彷徨ったと知れば、責任を感じて落ち込むに違いない。後でたっぷり慰めてやらんとなー。


「さて……」


 俺は体を起こした。


「無理しちゃダメよ」

「平気です吉野さん。タマ……返す返すもありがとうな」

「ボスが死んだら、あたしも死ぬ。ボスはあたしの……連れ合いだから」


 俺の腕を取ると、そっと胸に抱いて頬を擦り付けてきた。タマが他人の前で俺への感情を表すのは珍しい。


「ダメだ。それは禁ずる」


 あまり動かない左手で、タマの頭をなんとか撫でてやった。


「お前は吉野さんを助けるんだ。吉野さんの使い魔だろ」

「平ボスの命令なら……そうする」


 俺の腕を掴んだまま、タマは腰を上げた。


「起こしてやろう」

「頼む」


 タマの手を借り、なんとか立ち上がった。取り囲むハイエルフから歓声が巻き起こった。


 少し離れて、ケルクスが立っているのがわかった。むすっと怒ったような表情を浮かべて、こっちを睨んでいる。


「大丈夫だったか、ケルクス」

「……」


 黙ったまま、ケルクスは顔をそむけた。なんか機嫌悪いが、とりあえずあの火山弾で怪我はしなかったようだな。良かった。


「封印は成功しただろ、参謀」

「ああ。平殿のおかげだ」


 参謀は、最高の笑顔を浮かべている。


 崖の先端まで進んだところで、ペレが凝固している。海を遠く眺めながら。熔岩噴出はもちろん止まっており、大量に流れ込んだに違いない海からは、まだ湯気が立ち上っている。


「さて……」


 左腕は痛くてあまり動かせない。苦労して右手だけで、懐からペルセポネーの珠を取り出した。


「なにするの、ご主人様」

「まあ見てろ、レナ」


 珠を握ると額に当て、瞳を閉じて真言を念じた。ペルセポネーの封印術を解いてほしいと。




――どんっ――




 大きな音がした。


 目を開けるとペレの足元が爆発し、大きな煙を上げている。珠の分身が破裂したのだ。


 ペレの髪が、また風になびき始めた。


「な、なんてことするんだ、あんた」


 参謀が目を見開く。


「これでいいんだ」


 ペレがゆっくり振り返ると、ハイエルフたちが動揺の叫びを上げた。


「大丈夫だ、みんな。いいから見ていろ」


 包帯ぐるぐる巻きで立つ俺に視線を置くと、ペレは微笑みを浮かべた。


 と、珠の破裂で亀裂でも入っていたのか、ペレの足元が崩れた。そのまま、崖の下に姿が消える。やがて、水と熱が触れ合う音が鳴り響く。


 それは長く続いた。


「どういうことだ」


 参謀が目を剥いている。


「あんた今、封印を解いただろう」

「まあな。でも問題ない」

「なぜそう言い切れる」

「見ろよ。ペレがいた場所からは、もう熔岩が出てきてないだろ。森は守られた。……女神ペレは海へと進んだんだ」

「海へ」

「ああ。彼女の願いのままに」

「どうして言い切れる」


 食い入るように俺を睨んでいる。


「夢でな……」

「夢……」

「まあ見てみようや」


 タマの肩を借りながら、なんとか崖の先端まで進んだ。流れた溶岩で崖は埋められ、緩やかな斜面が海まで続いている。周囲の熔岩はまだどえらく熱いので避けるように端から海を覗き込むと、誰もいない。


「なっ。ペレはもういないだろ」

「……たしかに」

「ペレは、あそこだよ」


 俺が指差したのは、百メートルくらい先の海面だ。そこだけ、激しく海が波立ち、湯気が上がっている。


「海中を歩いているんだ。別の大陸に向かって」

「なんと!」

「だからもうハイエルフにもダークエルフにも被害は出ない。ダークエルフのアーティファクトも取り戻した。……作戦成功だ」

「あれ見て、平」


 トリムが叫んだ。


 立ち上る蒸気で見えにくいが、熔岩スロープの端に、真っ黒な岩が揺れている。多分直径二十メートルくらいの大岩が。いや、岩じゃない。もっとこう、人造物の形。揺れているのは、浮いているからだ。


「あれ、船でしょ、平」

「あれは、ペレの贈り物だ」

「ペレの? 平にくれたってわけ?」

「そういうことだな」


 そうかペレ、これがお礼って奴か。たしかにあれ、トリムの言うように船っぽい。仮に船だとしたら、ペレはあれに乗って、カムイフンべの待つ大陸に向かうつもりだったのか。


 いや、いくら俺への礼としても、それを譲るはずはない。ならあれは船じゃないか、船だとしてもなんらかの理由でペレは使えないのだ。いずれにしろ今度、正体をじっくり調べてみる必要がある。


「熔岩で崖が埋まったから、ビーチができちゃったね、ご主人様」


 俺の体を気遣ってか、レナは今は吉野さんの肩にとまっている。


「ああレナ。俺も当分療養が必要だろうし、一か月くらいあそこでリゾートごっこでもするか。熔岩で水も温まって温泉のようになってそうだし。海水浴ってことで」

「いいね」

「おい平」


 ハイエルフをかき分けて、ケルクスが進み出てきた。


「お前、どういうつもりだ」


 これ以上あるかってくらいキツい瞳で、俺を睨みつけている。


「ペレはあたしを狙っていた。なんであたしなんか助けたんだ。ただの孤児だぞ」


 怒ったような口調だ。


「お前だって、俺を助けるために飛び出した。魔法を撃ってくれたじゃないか」

「だからと言って、あたしの代わりに死ぬのは阿呆だ」

「戦士はなケルクス、戦友のために命を懸けるものだ。そうだろう……」

「馬鹿野郎っ」


 俺の言葉が意外だったのか、ケルクスは目を見開いた。


「それはあたしが言ったセリフじゃないか」

「ひとりで死ぬなんて、悲しいこと言うなよ」


 俺はケルクスの手を取った。怒りの瞳でも、ケルクスは手を振り払わなかった。


「お前には仲間がいる。俺も吉野さんもトリムも……。里のダークエルフやここにいるハイエルフの戦士たちだって、お前の仲間だ。命を預け合った戦友じゃないか」

「お前、あたしの言葉を覚えていたのか……」

「ああ。ひとりで死ぬなんて、二度と口にするな」

「お前馬鹿だな」


 つっけんどんな口調だ。


「相手の射線に飛び出すなど、戦闘の素人がやることだ」

「……まあ間抜けだよな」


 いきなり胸ぐらを掴まれた。


「ててっ……そこは痛むんだ。お手柔らかに頼むよ」

「この馬鹿っ。死ぬところだぞ」

「そう責めるな」

「……馬鹿は馬鹿だが、いい奴だ」

「そ、そうか……」

「お前、嫁に困ったら里に来い」

「はあ?」


 いきなりなんの冗談かと思ったが、真剣な瞳だ。まあ俺をガン睨みはしているが。


「そのとき、あたしの刻印をやろう」

「は?」

「面倒だ、今やる」


 あっという間もなく、唇を奪われた。入ってきた舌が、探るようにおずおずと動く。


「なにしてんのさっ」


 叫んだトリムが、ケルクスを力任せに引き剥がした。


「このダークエルフったら! 油断も隙もないじゃん」

「ふっ……。いいだろ。あたしが自分で決めたことだ」


 悪びれずもせず、ケルクスは唇を拭った。


「ああ……めまいがする」


 瞳を閉じ、頭をもたげて振っている。


「これが……聖なる刻印か」


 ダークエルフとハイエルフでは多少違うのかもな。トリムのときは最初の刻印で、もっと泥酔したようになったし。てか、いきなり奪われてびっくりしたわ。どうしよこれ……。



 居並ぶハイエルフは全員、聖なる刻印の意味を知っている。目を見開いて、呆れたように俺とケルクスの顔を交互に見ている。頬に傷のある例のスカウトだけは、俺を見てにやにやしているが。


「トリムにも刻印があるしな。平、ハイエルフとダークエルフの妻を同時に持つとか、お前は苦労が多いぞ」


 大笑いしてやがる。いやいきなり刻印とか、俺のが驚いてるんだが。


「あんた、頭おかしいんじゃないの」


 トリムはいきり立っている。


「平はあたしのご主人様だよ。なに勝手に嫁宣言してるのさ」


 いやトリム、怒りのあまり、毛が逆立ってるじゃん。エルフってそんなこともできるのかよ。タマより野良猫じゃんw


 パーティーを見回してみた。レナはにやにや。タマとキングーは、いつものクールな表情。吉野さんは……あら。困ったような表情で頬に手を当て、俺を見つめてるじゃん。


 これはもう今晩、「家族会議」紛糾必至か。よし、傷が痛むことにして、とっとと寝込もう。


 見上げるといつの間にか太陽は隠れ、どんより陰鬱な曇り空。ペレが海に沈んでこらえきれなくなったのか、空から大粒の雨が落ちてきた。ペレが残した熔岩に降り注ぎ、激しい蒸発音をあちこちで立てている。悲しげな水蒸気がもやになり、周囲が覆われた。


「天が……泣いているのね」

「ええ吉野さん」


 俺は考えた。ペレは海中でカムイフンベと邂逅かいこうできるだろうか。会えないまま永遠に暗い深海を、周囲の水を湯に変えながら歩いていくのだろうかと。


 陽も届かず熱で揺らいで、先もろくに見えないだろうに。それでも求めるほど、愛というのは強いものなんだろうかと。




●次話から第四部エピローグ! お楽しみにー。

十数話になりそうなので、ある程度公開後、章タイトル変えるかもです。

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