5-9 聖魔戦争の残像

 ふと気がつくと、俺は立っていた。どこか見知らぬ場所に。高い山に荒々しく穿うがたれた、要塞のような砦から。


 なぜかスーツにネクタイ姿だ。それも、猫越で誂えた高級品ではなく、前から着ていた安物の。しかも怪我すらしてないようだ。


 俺の横には、ベージュのたおやかな衣を来た女性が、並ぶように立っている。風に髪をなびかせて。


「ペレ……」


 ペレは答えなかった。ただじっと眼下を見つめている。


 それは信じられない光景だった。


 はるか下、豆粒のように人々が動き、争っている。いや、ヒューマンだけではない。エルフやドワーフと思しき者、亜人、オークやトロール、もっと大型の、見たこともない巨大モンスター。一隅に白い衣の軍団がいるが、あれ、天使とかじゃないのか。


 空にはハーピーや羽の生えた悪魔のようなモンスターが浮かび、ドラゴンが炎を噴いている。ヤツメウナギにコウモリの羽が生えたような、気味悪い巨大モンスターが飛び回り、悲鳴にすら聞こえる吠え声を上げている。ドラゴン並の大きさだ。


 あちこちで戦士が倒れ、死体を踏みつけながら戦闘が続いている。


「これは……」

「ここは、わたくしの世界」

「ペレの……世界」

「わたくしの記憶です」


 寂しそうな声だ。


「じゃあ夢みたいなもんか」

「あなたの頭の中ですよ、平。現実ではないのです」


 そうか。だからペレの脇にいても熱くないんだな。


「記憶ってことは、これ、実際に起こったことなのか」


 今まさに、最強のはずのドラゴンが、地上からなんらかの魔法攻撃を受け、火だるまになって地上に落ちていった。吠え声を上げながら。


「これは七百年前。百年続いた聖魔対戦の記憶。……神々も参戦した」


 まさに地獄と言っていい世界だった。混沌に満ち、誰と誰が味方かさえよくわからない戦いで、モンスターも亜人も、次々血に染まって倒れていく。どういう理屈かわからないが、天使か神に見えるキャラクターまでも。……以前タマが言及した、神殺しのアーティファクトを用いているのかもしれない。


「わたくしは、火山の女神。マグマを管理するため、はるか古代から、たったひとりで地下を管理してきました」

「寂しくないのか」

「仕事ですから。……そしてある日請願を受け」


 ペレは眉を寄せた。


「請願を受け、地下から出た世界が、こうでした」

「戦いには神々も参戦していた。そこに加わるように頼まれたんだな」

「それが人々の請願だったので。火山の前で、ソロモン王が請願の儀式を……」

「そうか……」


 そういうこともあるだろうな。請願を受ける女神なら。


「聖魔戦争って、神々やこの世界の住人が、悪魔や邪悪な勢力と戦ったんだろ」

「そう単純ではないのですが、似たようなものです」

「魔族もいたのか」

「はい。……なにか」

「いや俺、よこしまの火山ってとこに魔族が巣食ってるって聞いたからさ」

「あそこに行くのですか」

「魔族を倒してくれとは頼まれてる。……なんでも力を蓄え、世界に攻め込んでくる寸前って話だからさ」

「そうですか……。あなたも大変なのですね」


 ペレは瞳を伏せた。こうして見ると、神とはいえ、ペレは若い女性だ。それなのに真っ暗な地下の世界とこの戦闘、それだけしか見てきていないというのか。


「これがあんたの記憶だってのか。この悲しい世界が」


 黙ったまま、ペレは頷いた。


「悲しすぎるだろ。真っ暗な地下だけ、あとは残虐な戦いの世界しか知らないなんて。普通は友達や家族とうまいもん食ったとかどこそこで遊んだとか、楽しい記憶だってはるはずなのに」


 ペレは微笑んだ。


「……ただ、わたくしは初めて他の存在と関わった。たったひとりの地下ではなく。それは貴重な経験だったのです」


 突然、目の前の光景が変貌した。まるで映画を見ているかのように。


 戦いの最中、行動を共にした神々の姿が、高速に再生される。中でもよく出てくるのは、ひとりの男だった。色黒で、ぼさぼさ髪。半裸の痩せマッチョで、体には幾何学模様の入れ墨がびっしり入っている。


「こいつは……」

「彼はカムイフンベ。別大陸の鯨神です」


 カムイ……。なんかアイヌっぽいな。映像は続いた。戦闘の合間、わずかな安らぎの時間だけの逢瀬が。


「わたくしは彼と……」


 言葉が途切れた。だが言わんでもわかる。この映像を見ていたらな。なんだかやたらめったらくっついてて、仲良し全開だし。――と思う間もなく、ふたり、ぴったりくっついてるじゃん。これあれだろ。この後R18展開だろ。ドラゴンロードのエンリルが俺のエッチ生活覗き見ているように、俺もこの後、女神のエロシーン見られるってのか。


 ――と思わず手に力が入った。もうひとつのところにも力が入りそうになったが。


 だがいずれにしろ残念モードだった。そこで映像が途切れ、真っ暗になったから。なんだもう上映終了かよ。どんな映画だよムカつくわー。


「聖魔対戦が終わると、希望が芽生えたのです。でもわたくしには、それは絶望の目覚め。また地下に戻らなくてはならない。そして彼も異国の海に……」

「なんでだよ。この際くっついちゃえばいいだろ。ギリシャ神話でも日本神話でも、神々はやたらめったらくっついたり喧嘩別れしたりしてるじゃん」

「わたくしは地下、カムイフンベは海。住む世界が違いすぎたのです」


 まあそりゃ、わからなくはないか。


「悲しみのあまり、真っ暗な地下で、わたくしは長い眠りにつきました。忘れようとして」


 はあ失恋のヤケ寝か。人間臭いもんだな、神々の世界も。


「でも眠っている間でさえ、日に日に思いは募っていった……」


 なんだカムイフンベの夢でも見ていたのか。


「そして目覚めたとき、心はすでに決まっていたのです」


 目の前、真っ暗な映像のはるか上に、小さな丸い穴が空いた。そこから光が射し込んでくる。


「居場所を離れ、地下を捨ててでも、あの人に会いたいと」

「それで地上に出て、海を目指したってのか」


 黙ったまま頷いた。


 そうか。だから最初の戦いのとき、エルフの軍勢には脇目も振らず、ただただ海を見つめていたんだな。さっきも攻撃されるまで、ひたすら海を目指して進んでいたし。


「会いたかったってのか。女神という、自らの地位を捨てても」

「ええ」


 ペレは初めて、俺を見つめた。なぜか笑みを浮かべている。


「でも、もうそれも終わり。……平。あなたは神々の加護を受けていますね」

「加護っていうか、なんていうかな」


 天使イシスや冥王ハーデスと仲がいいのを、加護って言うならな。てかハーデスもペルセポネーも、ペレとカムイフンベとの関係、全然知らなかったな。ペレの職場恋愛スキル、完璧じゃん。俺も吉野さんとの仲、会社ではうまく隠し通さないとなー。


「神々の加護を授かったあなたによって、わたくしは再度、封印された」


 映像が、例のペレの草地に切り替わった。ペレ視線っていうのかな。眼前にもうすっかり熔岩で埋まった崖。噴出が止まってもまだしゅうしゅうと湯気を立てる熔岩の斜面が、なだらかに海まで続いている。まるで劇場のスロープのように。


 その光景に、ペレはまた視線を移した。


「これからはせめて、この場所で海を見ながら過ごしましょう」

「そうか……」


 俺は頭を掻いた。


「ひとつ聞くがペレ、あんたは海に進むだけだってんだな」

「ええ」

「熔岩も、もう出さないな」

「あれは、海に到る道を作るため、どうしても必要だったのです」


 そういうわけかよ。なんとなく納得だわ。相手は女神。嘘はつかないだろう。


「なら、俺が封印を解除してやるよ」

「……平」


 驚いたように、ペレは俺を見た。


「いいんだ。そもそもエルフの森が全滅しそうだから、あんたを封印した。海に消える水中を進むなら、森には問題ない」

「平……」


 ペレは俺の手を取った。温かで柔らかい手。灼熱の握手じゃなくて良かった。


「あなたには、どうお礼をしていいか」

「でもいいのか」


 ペレの瞳を見ながら、俺は続けた。


「海ってことは、海底を歩くんだろ。あんた重そうだし、浮くはずない。水中を進めば、あんたの力の元、熱がどんどん奪われるぞ」

「そうですね」


 あっさり認めた。


「そのカムイなんたらって、別大陸の神だろ。そこに辿り着く前に熱をすべて失い、海中で銅像のように固まるかも」

「いいのです」


 頷いた。決意を秘めた、強い瞳で。


「それが運命なら従います。死ぬわけではないし、あの人も大海原を泳いで回っている。明日になるか何百年後かはわかりませんが、いつの日か、海底のわたくしを見つけてくれることでしょう。きっと」

「そうか……」


 気持ち強いな。俺もこの前向きタフメンタル、見習いたいわ。


「本当にいいのですか、封印を解いて」

「いい。幸せになってくれ」

「ありがとう」


 ペレの瞳から、涙がひと筋流れた。


「わたくしの望みを叶えてくれて」

「いいんだよ、ペレ」

「後で熔岩を辿りなさい」

「は?」

「封印が解けたら、お礼を用意しておきます……」


 ペレに抱き締められた。なにこれ、めっちゃ柔らかいんですが。


 最初に封印されたペレに近づいたとき、ふざけて胸揉まなくてよかったわ。どうせカッチカチだし、ペレに悪い印象持たれたに違いないしな。封印されながらも意識はあるみたいだから。

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