5-6 女神ペレの封緘

「あっ!」


 汗で手が滑った。


 珠が落下する。足元の熔岩に落ちた。


「ちょっ待てよっ!」


 熔岩なんて硬く、しかも熔岩の時間は止まっているはずだ。それなのに、ゼリーの上に落ちたかのように、珠はゆっくり沈み始めた。どういう理屈かはわからない。おそらく女神の珠だからだ。ペレもペルセポネーも女神。なんらかの共通する要素があるのだろう。


 ゆっくり、だが着実に。球は赤い熔岩に沈んでゆく。


「えーいっ」


 俺の胸から、レナが飛び出した。瞬時に珠に取り付くと、抱え込む。


「レナッ!」


 レナの体が白く輝く。と、あっけなく球は熔岩から外れた。


 いやそこ熱が――と言う間もない。レナは俺の胸に飛び戻ってきた。熔岩って、摂氏千度とかだからなー。いくら時間遅延で極端に熱伝導が遅くなってるとはいえ、たいしたもんだ。


「ほんとにもう。しっかりしてよね、ご主人様」

「あ、ああ、悪い」

「ほら」


 レナは俺の手にしっかり珠を握らせてくれた。熔岩に包まれかかったってのに珠、全然熱くなってないな。さすが女神のアーティファクト。いろいろ謎が多いわ。


「半分沈みかけてたのに、どうやったんだ、お前」

「引っ張ったら抜けた。そんなことより、早く」

「だな」

「背中はダメだよ、滑るから。足元にして」

「よし」


 しゃがむと、ペルセポネーの足首に、そっと珠を当てた。熔岩に近くなったから、いくら時間遅延で熱伝導が激落ちしてるとはいえ、どえらく暑い。


 だが我慢するしかない。起動にもたついたらキングーの天使羽が消滅してペレの時間が戻っちまう。そうなったらマックス熱気が俺とレナに襲いかかってくる。熔岩からもペレからも。


「ペルセポネーよ……」


 続いて、冥界の護り手に教わった起動の真言しんごんを詠唱する。銅色の珠は、赤熱した熔岩の光を受け、黄金のようにてらてらと輝いている。


 と、珠が急に軟らかくなった。


「よしっ」


 摘みながらそっと引くと、水飴のように糸を引いて、珠が分離した。ペレの足首にひとつ。俺の手の中にひとつ。複製成功だ。


 飛び跳ねるようにして、俺は立ち上がった。


「くそっ暑い」


 暑いというより、もはや熱い。接触した系の苦しさというか、熱したハンダごてを体のそこここに押し当てられる拷問じゃん、まるで。


 ちらと周囲に視線を飛ばすと全員、こっちを見ていた。祈るような視線で。今の所順調に進んでいるように、あっちからは見えているだろう。俺が熱気で気絶寸前なの、わかるわけないもんな。


「封印の施術を忘れないでね、ご主人様」

「任せろ」

「熱でぼーっとしちゃダメだよ」

「母ちゃんかよ、レナ」


 思わず笑っちゃったよ。まあおかげで緊張が解けた。急いで、封印の施術に入る。


「たしかえーと……」


 いかん、呪文怪しい。


「最初はペルセポネーに呼び掛けるんだよ。それで次に、対象の封緘ふうかんを願うんだ」

「そうだ封緘だったか。そんな古い言葉、忘れっちまうよな、普通」


 レナは頷いた。


「さあ」

「よし。えーと……ペルセポネーよ」


 瞳を閉じ、俺は女神ペルセポネーの姿を思い浮かべた。冥王ハーデスの隣に立つ美乳の……あーいかん、胸しか思い出せないw


 頭を振って妄想を飛ばした。


「どうしたの、ご主人様。暑い? 大丈夫?」


 レナは不安げだ。


「なんでもない」


 くそっ。変なげん担ぎで我慢せず、昨日の夜、レナと夢の中でアレしとけばよかった。決戦前日は体力温存だってんで、吉野さんとも一度しかしなかったし。ここに男がいたらわかってくれるはずだが、こう、体の中に「溜まってる」感があるんだよなー。あー、もやもやする。


 まさかこの俺、熱より先に煩悩にやられるとはwww 敵もやるな。……てか、俺の問題か。


「えーと、ペルセポネーよ……」


 ようやく、ペルセポネーの姿が脳裏に浮かんだ。とはいえ足の裏が熱くて死にそうだ。やけたトタン屋根の上の猫とはよく言ったわ。


「我が請願に応え、ふ……」

「ふうかん」

「封緘の秘儀を授け給え」


 それから長く続く秘密の真言を唱える。ここに時間が掛かるんだよな。


 ようやく詠唱が終わると、手元の珠がぶるっと震えた。


「よしっ。術式は発動した。あとの封印は自動だ。多少は時間が掛かるだろうが……って、くそっ。熱い」


 飛び跳ねて、足の熱気をなんとか散らす。


「ご主人様、時間がっ!」


 レナが叫んだ。


「髪っ」


 見ると、たしかにペレの髪が、たゆたい始めている。極度に遅いスローモーションのように。しかも、徐々に速くなってきやがる。


 キングーの時間凍結術が解けかけてるんだな。天使イシスの危惧したとおり、技に限界がきたんだろう。


「時間が動けば、ボクもご主人様も瞬時に丸焦げだよ」

「わかってる」


 なんせ、もうペレの体から、熱気が伝わり始めてるからな。足元の熔岩だって、ここまでもキツかったのに、どんどん熱さが増してきてるし。こんなん増量サービスしなくていいんだっての。


「どうせ焦がすなら、俺のハゲだけ黒く焼いてほしいわ」


 陣地に向き直ると、はるか後方、キングーが地上に倒れ込んでいた。力を使い果たしたのだろう。もちろん羽の幻影ももうない。吉野さんがつきっきりで額を撫でている。


「早く逃げて、ご主人様。もうほとんど時間ないよっ」

「大丈夫だ、レナ」


 声を限りに叫ぶ。


「キラリン、戻せっ!」


 だが、なにも起こらない。いつもだったら、先程のようにキラリンが瞬時に俺を飛ばしてくれるのに。


「トリム見てっ」


 レナが大声を上げた。


 吉野さんの隣に立ったトリムが、こっちに向けて、飛び跳ね叫びながら手でバッテンを作って。


「ご主人様、キラリンが……」

「マジかよ」


 肝心なときに消えちまったか。異世界での行動限界が来たんだ。仮に吉野さんの謎スマホを使うとしても、異世界転移モードを起動して座標と対象人員を入力するまで、五分か十分掛かる。間に合わない。


「ご主人様、走って。焼かれちゃう」


 レナが俺の首に抱き着いてきた。レナの鎧が、信じられないくらい熱い。ステーキ屋の鉄板くらいに。


「あと一分も持たずに、ボクたち丸焦げだよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る