5-5 灼熱地獄

「あなた方は……また」


 火山の女神ペレが呟いた。大声でもないのに、轟々と鳴る風を通してはっきり聞こえる。さすが女神。不思議な力だ。


「また……わたくしの……邪魔をするのですか」


 右手を高く上げた。と、ペレの足元の冷え固まった熔岩を突き破って、赤熱した熔岩が噴き出してきた。


 と、マナ消費であれほど冷えた周囲が、一気に暑くなった。もう真夏の沖縄ビーチで焼き土下座してる感覚だ。百メートルも離れているってのに。


 布陣の位置まで駆け込んできた回収班が、なにも言わずに俺達の間をすり抜けていく。縄とユミルの杖を引きずりながら。振り返ると、一キロ先の森をまっしぐらに目指している。


「作戦通りだね、ご主人様」

「ああレナ。……とはいえ」


 問題は、ペレと熔岩が発する、凄まじいばかりの熱気だ。


「やべえ。想像以上に凄い……」


 始めっちまった以上、どういう形にせよ決着が着くまで終わらない。たとえ何人死のうとも。そして俺は、今からあの灼熱地獄に突っ込んでいくのだ。


「平くん……」


 俺の手を握る吉野さんの手にも、力が入った。


「ペレッ」


 俺は叫んだ。百メートルも離れてる。ペレの呟きのように普通に話して相手も聞こえるのかもしれないが、それはわからない。とりあえず大声だ。


 ペレの反応はない。ただこちらを見つめているだけ。布陣するハイエルフの弓兵や戦士、スカウト連中は、透明盾の陰に身を屈め、俺とペレのやりとりを見守っている。


「火山の女神ペレ。地上はお前の生きる場所じゃない。頼むから地中に戻ってくれ」


 黙ったまま、ペレはまた視線を海に戻した。こちらに背を晒したまま、気にもしていない様子だ。そのまま、一歩一歩崖に向かい、歩き始めた。


「なあペレ――」


 ペレがまた腕を上げると、赤熱した熔岩の噴出が激しくなった。草原の斜面をどろりと流れ、崖の下に大量に落ちてゆく。はるか下から、じゅっという轟音が響いた。熔岩が海に達し、海水を沸騰させているのだろう。崖の先で白い蒸気が大量に立ち昇り始めた。


 前回のペレ戦では、二十メートルほどの崖の半分が熔岩で埋まった。このままではじきに崖が埋まってしまう。熔岩が盛り上がればいずれ草原から森へと、新しい熔岩の流れも生じるだろう。そうなればエルフの森は壊滅する。


 大量の熔岩が噴き出しているため、ペレから百メートル離れたこの場所でも熱気が凄い。目を細めないと、眼球がからからに乾いて失明するんじゃないかってくらいだ。硫黄とも炭とも取れない、強い刺激性の臭いがする。熔岩の熱気で上昇気流が生じ、風が不安定に逆巻いている。


 いつまでもこのまま放置はできない。


「くそっ。やるしかないか」


 吉野さんの手を優しく離すと、俺は両手でペルセポネーの珠を握り締めた。ずっと握っていたせいで、銅色の珠はほんのり温かい。


 タマは俺の前で、盾を掲げている。吉野さんも盾を持ち、キングーとキラリンのカバーに入った。


「レナ、いいな」

「うん。ボクはいつでも大丈夫」


 俺の胸で、レナが親指を立ててみせた。


「平殿……」


 脇に立つハイエルフ参謀に促された。


「ああ。始めてくれ」


「――!」


 なにか俺の知らない言語で叫ぶと、参謀が高く掲げた腕を振り下ろす。と、ハイエルフ連中に動きが生じた。盾を掲げる防御役の背後で、弓兵が一気に弓を引き絞る。きりきりと弓を引く音に遅れて、放たれた大量の矢が空を駆ける引き裂き音が続いた。


 太陽の光を受けて、矢尻がきらきらと輝く。矢は高い放物線を描いてペレへと向かった。が、ペレ周辺に生じた上昇気流のせいか、いかなハイエルフの弓兵と言えども、狙いがばらけ気味だ。


 想定通り、俺が作業を開始したら、弓兵の援護は期待できそうもない。俺に刺さったら意味ないから、参謀が止めるはずだ。


 トントンと音を立て、矢がペレ周囲の溶岩に刺さる。あまりに高温のためだろうが、着矢した途端、次々に発火している。


「ご主人様。やっぱりダメだよ」


 レナが指差した。ペレへと向かった矢はどれも、体に刺さる以前に燃えてしまい、勢いを失っている。矢尻だけが稀にペレの衣服に落ちるだけだ。


「いいさレナ。あくまで牽制だ。倒すのはハナから期待してない。とはいえ……」


 思わず溜息が漏れた。


「どんだけ熱いんだ、あのへん。ペレ、インフルエンザかよ」


 俺の冗談には、誰も反応しない。俺は今からあそこに突っ込んでいくのだ。



 攻撃を受けると、ペレは右手を高く掲げた。そこから、なにかが次々発射され、射手に向かった。多分、例の火山弾って奴だろう。かすっただけでスカウトの頬に大きな傷を残した。


 防御班のライオットシールドが、攻撃を受けて揺れている。大きな音を立てて。一部は盾を貫きすらしている。ハイエルフが数人倒れるのが見えた。


「くそっ」


 仲間が倒れてもひるみもせず、ハイエルフの矢衾やぶすまは続いている。背後のキングーに、俺は合図を送った。時間がない。長引けば味方の被害は拡大するばかりだ。


「キングー、頼む」

「はい。平さん。今から集中します」


 背後のキングーが、なにか単語にならない言葉を呟き始めた。


 後ろから凄いパワーを感じる。今俺を倒しそうなくらいに当たっている強い風とは違う。なにかもっと力場のような、不思議な感覚のパワーだ。


「母様……」


 キングーの囁きが、今度ははっきり聞こえた。


「平……さん」


 ……と、突然、俺の前で盾を掲げるタマの猫耳が、なにかに照らされ金色に輝いた。


「見ろっ!」


 誰かが叫ぶ。ハイエルフの弓兵がひとり、いきなり立ち上がって俺の背後を指差すと、慌ててまたしゃがみこんだ。


 振り返ると、キングーが見えた。二メートルほど、宙に浮かんでいる。仏像の光背のように、黄金の光に包まれて。瞳を閉じ、手を胸の前で十字に組んで。背からわずかに離れた宙に、天使の羽が幻影として輝いている。


 羽が発動したんだ。


「女神……ペレ……」


 キングーが声を出すと、組んだ腕からなにか、白紫に輝く雲のようなものが発射された。凄い速さで、前方にまっすぐ。


 急いで視線を戻すと、雲がペレに達したところだった。一瞬、ペレの体を包むように取り巻くと、消えた。


「凄い……」


 レナが呟いた。


「見て、ご主人様」

「ああ」


 言われるまでもない。雲は消えたが、ペレの周囲の空間は妙に歪んで見える。なにかできの悪いレンズを通したか、蜃気楼でも見ているかのように。


「時間が止まってるよ。髪が――」

「そうだな」


 風になびいたままの形で、ペレの髪が凝固している。ペレの周囲だけ、時間が極度に遅くなったからだ。キングーの奴、成功したな。


「平殿」


 ハイエルフの参謀が、ペレとキングーを交互に見ている。


「わかってる」


 キングーの母親である天使イシスの話では、この技は、いつまで持つかわからない。いつ破られるかわからない以上、とにかく急ぐしかない。


「――キラリン」

「任せて、お兄ちゃん」


 キラリンの声が聞こえたと思ったら、俺はもう女神ペレのすぐ側に立っていた。


 秒で、ペレの様子を窺った。時間が極度に遅延しているのははっきりしている。あれほどなびいていた髪も衣も、今は凍りついたよう。とはいえ……。


「なんだよここ」


 愚痴が思わず口をついた。だって灼熱地獄じゃん、このあたり。いくら時間がほぼ止まっていて熱伝導も極端に遅くなっているとはいうものの、それでも厳しい。サウナの中で全開炭火バーベキューしてる感じ。


 息するだけで肺が焼けそうになるし。おまけにこっちは金属のチェインメイルを着込んでいる。熱の逃げ場がない。あっという間に汗が噴き出してきた。


「ご主人様、早く。ここにいたら死ぬよ」

「ああ」

「急いで。詠唱時間が確保できるか微妙だよ」


 珍しく、焦ったようにレナがきょろきょろとあたりを見回している。やはり弓兵の攻撃は一時的に止まっているようだ。ペレの時間が止まっているわけだから、牽制の意味もあまりないしな。


「わかってるって」


 女神ペレの背には、杖が刺さっていた穴が開いている。痛そうで、ちょっと気の毒だが、今は同情している場合ではない。


 ペルセポネーの珠を握った手を、ペレの背に当てた。というか当てようとした。


「あっ!」


 汗で手が滑った。


 珠が落下する。足元の熔岩に落ちた。


「ちょっ待てよっ!」


 熔岩なんて硬く、しかも熔岩の時間は止まっているはずだ。それなのに、ゼリーの上に落ちたかのように、珠はゆっくり沈み始めた。どういう理屈かはわからない。おそらく女神の珠だからだ。ペレもペルセポネーも女神。なんらかの共通する要素があるのだろう。


 ゆっくり、だが着実に。球は赤い熔岩に沈んでゆく。

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