5-2 異世界の夕陽をふたりで眺める
黙ったまま、ケルクスは俺の手を振り払った。
「平お前、なにか勘違いしているな」
ようやく俺を見つめた。冷ややかに。
「自分を抑えてお前に協力しろと、王はあのとき、そう耳打ちしたのだ」
「そりゃ嘘だな」
なるだけ軽く言ってみたが、ケルクスに睨まれた。
「なぜ嘘と思う」
「ブラスファロン国王は聡明だ。倫理的に問題があっても、ダークエルフのために最大限の収穫を得ようとするだろう」
「どう言ったと思うんだ」
興味深そうに、ケルクスの瞳が緩んだ。
「戦いの際、ハイエルフの被害が大きくなるように動けって言われたんだろ。それに、俺の持つアーティファクトの力を探り、機会があれば持ち帰れ――くらいは言われていても不思議じゃあないよな」
「なにを馬鹿な……」
言ったものの、強く否定はしない。
「女神の封印に成功したとしても、ハイエルフの多くが死に、俺も倒れたとする。その大混乱の最中なら、俺の持ち物をひとつくすねて逃げるくらいはたやすい。一刻も早くユミルの杖を持ち帰らないと――とかなんとか、口実を付ければいいんだし」
「お前は変わっているな」
また海に視線を戻した。
「いつもそのように他人の悪意を読んでいるのか」
「そりゃあな。俺は底辺社畜だぞ。これまでどんだけないがしろにされ、
事実だ。まあ俺の場合、スルースキル鉄壁だから、メンタルダメージゼロだったわけだが。
「シャチーク……。なんだそれは。お前の世界のモンスターか」
困惑したように眉を寄せている。
「モンスターというより、奴隷だな」
「そうかお前。奴隷出身なのか」
出身ってか、今でも奴隷だがなー。ただその身分をうまく利用して、今は好き勝手してるってとこだ。
「苦労しているんだな、お前も」
なんか勘違いしてるようだが、まあいいか。
「……あたしは孤児だ」
ぽつりと呟く。
「そうなのか」
「ああ」
こっくりと頷いた。荒っぽい海風に髪を揺らしながら。
「あたしを生むとき、母は死んだ。父はそれ以前にモンスターとの戦いで命を落とした」
「大変だったんだな」
「だからあたしにはダークエルフの仲間しかない。そのために生きている」
「自分のために生きるんだ、ケルクス」
俺はまた手を取った。
「王の命令なんてクソだ。考えてもみろ。ブラスファロンは、なんでダークエルフからお前たったひとりしか出さなかった。ダークエルフ先祖伝来のアーティファクト、ユミルの杖を取り戻す戦いだというのに」
ケルクスは黙っていた。
「なぜなら、戦いでの被害が最小限で済むからだ」
ケルクスひとりに背負わせたの、孤児だったからかもな。死んでも悲しむ家族はいないから。有能だが冷徹だぞ、ブラスファロン国王。
「もうよせ。平」
ケルクスは首を振った。
「あたしはひとりで死んでいく。不満はない」
「でも――」
「だが、あたしは誓う。お前の命には従う。それは信じてくれていい。あたしは戦士だ。戦いの儀礼は心得ている」
俺の手をそっと外した。立ち上がる。
「見ろ平」
傍らのペレを指す。
「まるで天地の
俺も立ち上がった。
傾きかけた陽に照らされて、ペレの顔には複雑な影が射している。明るく澄んでいたに違いない瞳も、今は鋳鉄のよう。風に煽られたまま凍りついた髪に陽が遮られ、暗く沈んでいる。泣いているかのようだ。
「……そうだな」
「あの姿はあたしだよ。そしてお前だ。あたしもお前も、なにか心に欠けるものがあるんだ」
「そうかな」
「そうさ。だから求める。信じられる仲間を。強く。心が満たされないからだ」
言われると、なんかそんなような気がしてきたわ。吉野さんやみんなと暮らす毎日こそ、俺にとって今、もっとも大事なものだからな。それを守るためなら、変な話、死んでもいい。生きるために死んでもいいなんて逆説的で笑っちゃうが、俺の実感だ。
ケルクスも、ダークエルフのために命を捨てる気でいる。自分で口にしたとおり、心が満たされていないからなんだろう。
「ケルクス。一緒に戦おう。ダークエルフのアーティファクトのため、そしてダークエルフの森とハイエルフの森、双方を守るために」
「ああ。共に戦おう」
海に背を向け、ケルクスは、俺の手を握った。力強く。風になびいたケルクスの髪が、俺の頬をくすぐった。
「だが勘違いするな。あたしが戦うのは、お前とあたし自身のためだ。国王もハイエルフもどうでもいい。戦士はな、平、戦友のために命を懸けるものだ。そうだろう」
力強い瞳で言い切った。
「たしかに」
ケルクスの言うとおりだ。
異世界の太陽が傾き、そろそろ夜の気配を振り撒き始めた。陸が冷えるので、じきに風向きが変わる。海風は陸風へと、座を譲るだろう。
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