4-11 川岸が凸してきた

 脳内で幾通りものシミュレーションをしていると、突然、オフィスのドアが開いた。なんせここは安雑居ビル。本社のようなICカードを用いたセキュリティーとかはない。誰だって勝手に入ってこられる。


「おい平」


 入ってきたのは川岸だった。なんやら知らんが、こめかみに青筋がぴくぴく立っていて、頭から湯気が出てきそうなくらい。どうやら怒ってるな。かなり。


「……なんだ川岸。お前、俺に用なんかないだろ」

「おおありだ」


 怒鳴ると、ドアを乱暴に閉める。


 なんだ川岸、やろうってのか。


 俺は身構えた。


「お前、どうしてくれる」

「なんの話だ」

「俺は異動になる」


 俺の前まで進んでくると、机になにかを叩きつけた。びたーんと、派手な音がする。A4用紙。なにか印字されている。はあもう副社長動いたのか。朝の会議からまだ数時間だぞ。こりゃもう全部調整終わってたな。説教会議で俺に振ったのは、俺の態度と考えを確認するためだけだったに違いない。副社長やるなあ……。


「異動するのか。お前が」


 一応驚いてみせた。


「あれか、金属資源事業部の兼務が外れて、三木本Iリサーチ社専任になるってのか」


 適当にとぼける。


「逆だ逆」


 内示はもちろん、まだ出てないはず。これはドラフトだろう。


 吉野さんとのエロ妄想を書き綴った用紙を全部引き出しに収めてから、その紙を取り上げた。




――辞令 川岸祐太郎 三木本Iリサーチ社課長(出向) 兼 本社金属資源事業部課長補佐(兼務)    四月一日付で Mikimoto Nijeria Corp.課長級とする(出向)――



 なんだ課長「級」とか、微妙に職階も落とされてるじゃん。多分現地の課長枠がいっぱいとかそういう話にして事実上降格させたんだな。


 それにしてもそうか、労務担当役員の高田、ナイジェリアにしたか。以前俺が川岸の腐敗国への更迭を提案したとき、高田は否定した。そうしたところこそ、悪に取り込まれないよう、人格高潔な人材が必要だと。


 ナイジェリアは、アフリカ大陸では知的な能力の高い国だ。おまけに経済も新興国としてはかなり強く発展しつつある。なんせ犯罪の面ですら「ナイジェリア詐欺」ってのが世界的に有名なくらい。それくらい頭がいい。だからクズの川岸と言えども、悪いことはそうそうできないだろう。本社から叩き出すとしたら、たしかにいい飛ばし先だ。やっぱ高田、頭切れるな。


「へえよかったな。海外出向なんて、商社では出世ルートじゃないか」

「ふざけるなっ」


 また机を叩いた。


「俺は異世界を支配するんだ」


 おう。例によってすげー先走ってるのな。笑うわ。


「いいだろ、一生そこにいるわけじゃないし。また異世界に戻ってくればいいじゃないか」

「なめんな」

「異世界でお前、なんかドジ踏んだんじゃないのか」

「お前が動いたんだろ。俺を外させようと」

「知らんよ。知ってのとおり、俺はマネジメントコースから外されたスペシャリストだ。人事に手を突っ込めるわけないだろ」

「くそっ」


 目を剥いてやがる。ちょうどいい。ちょっと突っついてみるか。


「まあ座れよ」


 椅子を進め、茶を出してやった。


「俺やお前は、役員の小間使いに過ぎない。哀れなリーマン。将棋の歩みたいなもんだ」


 どすんと腰を下ろし茶を一気に飲み干すと、川岸は溜息を漏らした。いや喉火傷するぞ、お前。


「……まあ。それはそうだ」

「お前だって山本と一緒に三木本Iリサーチ社に異動になって、八人の役員に同時に仕えたんだ。そいつらに頼んで動いてもらえばいいじゃないか。異動を取り止めさせろってな」

「してみたが……全員渋くてな」


 なにを思い出したのか、顔をしかめている。


「川岸お前、そもそも金属資源事業部との兼務人事だろ。そこに戻れるんじゃないのか、普通」

「そっちは四月人事で新入社員が多く入るんで、人事に睨まれてるんだってよ。これ以上人を欲しがるなって」


 はあ。やっぱり事業部長の海部には叩き出されたか。当然だが。


「そりゃ、全社の人的リソースのバランスを取るのが人事のミッションだからな」

「くそっ」


 ついでやった茶を、またぐいぐい飲む。もう出涸らしだが、川岸だからかまやしねえわ。


「本当に、八人全員、誰も動いてくれなかったのか。労務担当役員までいるってのに」


 まあそこにチクって動かしたのは俺だがな。


「ああ。あの八人はクズばかりだ。一緒にIリサーチに乗り込んだときは、俺のことをちやほやしてたってのに」


 怒り心頭といった表情。


 どういうことだ。八人のうち誰かが陰謀の黒幕だと思っていたが、川岸の言い方を見るに、想定が揺らぐ。こいつ馬鹿だから、迫真の演技はできそうにないし。となると……誰かが別の場所で糸を引いているのか。


「他に誰か口添えしてくれないのか。誰か……社内への影響力を持ってる役員とか」


 探り針を打ってみた。川岸の表情が、一瞬、引きつった。


 これは……。

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