3-4 樹上螺旋階段
俺の首に短剣を突き付けたまま、ケルクスと名乗ったダークエルフは、パーティーを注意深く見渡した。
「この森は、立入禁止だ」
短剣を、俺の首に食い込むように当てた。刃を引いてないので切れてはいないが、さすがに怖い。力任せに引かれれば、それで終わりだ。
「どこにもそんなこと、書いてない」
強い力で抱き取られているので息が苦しいが、なんとか口にした。
「なくてもだ。――ハイエルフがいるなら、わかっていたはず」
「あたしたちは使いだよ。ハイエルフのケイリューシ国王の」
一歩も動かず、トリムが口を挟んだ。
「あたしはハイエルフの王族。このパーティーは正式な使者なんだ」
「正式な使者だと……」
俺を抱え込んだまま、ケルクスは大声で笑い始めた。体が動くので、肌が切れるんじゃないかと、はらはらする。動くと背中に胸を感じるから、やはりこいつは女だろう。
「こいつは大笑いだ。寄せ集め種族のへっぴり腰ではないか。それが王の
「そうだよ」
「信じられるものか」
「信じてもらうよ」
トリムは歌い始めた。俺の知らない言語。複雑な旋律。どうやって声を出すのかわからないが、高い裏声と低い地声を同時に出し、それぞれ別のメロディーを歌っている。
「それは……」
ケルクスは、俺の首から短剣を離した。
「たしかにハイエルフ王族だけが歌える使節歌」
ちっと舌打ちすると、俺をどんと突き放した。
「なら殺すわけにはいかないか」
短剣を鞘に収める。言い放った。
「ハイエルフの使節など、もう何十年も来ていない。そもそも我々はハイエルフとの接触など望まん。なにも困っていないし、ハイエルフを助ける義理もない」
冷たい瞳だ。見下すように、俺とトリムを見つめている。
「望んでなくても、王には会わせてもらう」
強い瞳で相手を見上げながら、トリムは言い切った。
「それとも、エルフとしての務めを果たす気がないほど、堕落したって言うの。ダークエルフは」
「くそっ」
地面に向かい、なにか毒づいた。ダークエルフの古語かなんかで、神のことでも罵ったに違いない。
「やはり黙って魔殺しておけばよかったか。仏心を起こしたばかりに、面倒を持ち込む羽目になろうとは……」
憎々しげに一瞥すると、後ろを向いた。
「お前らは一歩も動くな。動かば、
天を見上げると、ケルクスは大声で吠えた。エルフというより、獣人の遠吠えだ。戦いのとき、タマが吠えることがある。あれよりも殺気立った遠吠え、初めて聞いたわ。
しばらくは、なにも起こらなかった。捻じくれた大木の間を、風が渡る音だけが聞こえていたが、やがて、遠くから似たような遠吠えが聞こえた。
最初はひとつ。次に、もっと遠くからひとつ。次は、さらに遠くからいくつも。遠くが見通せない森での、伝令の狼煙代わりなのかもしれない。
●
ダークエルフの森、奥深くへと。俺達は一時間ほども歩かされた。例の「サルスベリ」的根っこがのたくる、滑りやすい足元を。
俺や吉野さん、キラリンあたりは何度も転んだが、ケルクスとかいうダークエルフ野郎は、速度を緩めるどころか振り返りもしやしねえ。吉野さんやキラリンには、タマとトリムが手を貸している。華奢なキングーは、意外にも森歩きもそこそこできるようだ。
荒い息の小走りで追いつくようにしつつ進んでいくと、いつの間にか、俺達の周囲に、ひとり、またひとりと人影が増えてきた。
深緑の、貫頭衣的なシャツに、ショートパンツ。ポケットの多い、フィッシングベストのようなものも、身に着けている。体型や顔つきからして男も女もいるが、ハイエルフの里などと異なり、衣服に男女差はないようだ。
エルフだけに顔立ちの整った美形揃いだが、瞳や表情にどこか荒んだ雰囲気がある。のほほんとしたトリムやトラエなどとは大違いだ。
どいつもこいつも、付かず離れず、俺達を警戒するかのように囲みながら進んでいく。誰も口を開かない。
いきなり、ケルクスが立ち止まった。どえらい巨木の根本で。地上付近の幹直径は、ぱっと見で五メートル。見上げると遥か上まで幹が続いている。もちろんつるつる樹皮の、例の樹木だ。
座り込んではあはあ言っている俺達を見下ろすと、呆れたように眉を寄せた。
「登れ。……と言いたいところだが、木登りできそうなのは、エルフとケットシーくらいか。他は木登りどころか、もう倒れる寸前といった風情だし」
呆れた使者だと言い捨てると上を向き、一声、吠える。……と、するすると、木の箱のようなものが、ロープに吊るされて下りてきた。リアカーの荷台くらいの大きさと形。見たところ、簡易エレベーターといったところだろう。
「乗れ」
顎で促され、縁を跨いで乗り込む。俺達が全員箱に収まると、ケルクスも入ってきた。周囲のダークエルフ連中は、乗ってこないどころか、話しも、身動きもしない。ただただ、俺達をきつい瞳で睨んでいるだけだ。
「平、ダークエルフは、樹上に棲んでいるんだよ」
トリムが俺の袖を引く。
「なにしろ、嫌な連……警戒心の強い種族だからね」
「なるほど」
樹上高く住居を作れば、他種族からは発見されにくくなるし、攻防戦のときも上から弓で攻撃できるから有利だ。そもそも敵は、樹木を登ることすら難しそうだし。
木を根本から燃やされたらやばそうだが、生木は燃えにくい。火炎弾や魔法で燃やす手はあるだろうが、その程度のことは、敵が間抜けなオークでも思いつく。当然ながら対処済みだろう。
「なあトリム。敵に攻め込まれて兵糧攻めされたら、どうするんだ」
「幹を掘れば水が出てくるんだ。地下から吸い上げてるから。それにこの木は一年中実をつけるから、何年閉じ込められても、食糧も問題ない」
「そいつはいいな」
なら兵糧攻めも効かないのか。
「それにね、平。密生してるから枝から別の木に飛び移れる。だから包囲した敵の外側から攻撃できる。兵糧攻め自体が成立しないんだ。全部の木を一本一本取り囲むなんて、無理でしょ」
「なるほど」
よくできてやがる。
「無駄口を叩くな」
ケルクスは、トリムを睨みつけた。蔓草を編んだと思われる吊り紐のひとつをケルクスが二度引くと、箱は上に向かい、動き始めた。
「国王ブラスファロン様に、無礼するなよ。ケイリューシ国王の使者であるのならな」
この簡易エレベーター、設置されている場所が絶妙だ。鬼のように生えている太い枝のちょうど隙間を、うまいこと上へと抜けていくから。
主枝を十本も抜ける頃には地上からかなり高い位置まで運ばれた。群を抜いて高い木だったのか、すでに多くの木々の樹冠を見下ろす形になっている。まるで雲上の富士山だ。この木の枝葉以外、遮るものもないので、陽光がさんさんと降り注いでいる。
状況も忘れて見とれていると、ふと、「エレベーター」が止まった。
「あたしに続け」
ケルクスは、箱の縁を跨いだ。幹に木の板が打ち込まれており、螺旋階段状に、上部に続いている。
「足を踏み外すな。死ぬ」
すたすたと歩き始める。……てか、ここ歩くのか。踏み板部分は一メートル×五十センチくらいはあるから、そう難しい階段ではない。とはいえ幹はつるつるで掴まるところがない。森の上部に抜けているから、風もそこそこ通る。ちょっと気を抜くと足が滑り、墜落しそうだ。
てかそもそも恐ろしい。俺達に高所恐怖症はひとりもいないが、それでもバンジージャンプの踏切板に立った程度には感じる。つまりめっちゃ怖い。
「これは……」
「平ボス。いつぞやの橋と同じだ」
「そうだな、タマ。ロープとカラビナを出してくれ」
背負った七十五リッターの大容量登山ザックを下ろすと、タマが必要なものを取り出した。国境の「平均台」橋を渡ったときのように、全員、体をロープで繋いで固定する。これなら、誰かが足を踏み外しても、残りが踏ん張って支えられる。
「あたしが先頭を進む」
タマが縁を跨いだ。
「タマ。ゆっくり進みすぎると、かえって怖い。初詣で神社境内の長い階段を上った。あれくらいの速さで頼む」
「わかった、平ボス」
「みんなは前を進む仲間の背中だけ見ていろ。下は絶対に見るなよ」
俺の言葉に、全員頷く。顔を見たところ、怖がってそうなのは吉野さんだけだな。というかはっきり言えば、俺と吉野さんな。
「よし。タマ、頼む」
頷くと、タマは慎重に階段を上り始めた。
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