3-3 「迷いの森」踏破

「あれがダークエルフの棲む森か……」

「うん……」


 複雑な表情で、トリムは頷いた。


 俺達は今、「迷いの森」を抜け切り、小さな沢に出たところだ。沢の対岸に、ここまでとは全く様相の異なる森が広がっており、トリムはそれを指差している。


「あたし、あんまり入りたくないな……」

「種族仲が悪いからか」

「それもあるけど、森の雰囲気がね……」


 ハイエルフの里がある森は、多種の広葉樹が思い思いに枝を広げ、ところどころたおやかな草地の広がる、豪奢な森林だった。


 迷いの森は、密生した針葉樹の大森林で、真っ昼間でも夜のように暗い。足の踏み場もないほど密に生えているのでまっすぐ進むことなど不可能。くねくねとすり抜けるように進むうちに、方角がさっぱりわからなくなる。なんせ密生林で隠れているから、太陽の位置を確認するのも難しいくらいだからな。おまけに樹木が地中深くから吸い上げる水で陽炎が立っていて光景が揺らぎ、時には蜃気楼さえ浮かぶ。


 まさに「迷いの森」としか呼びようのない、攻略の難しいフィールドだった。


 だがまあ、俺のパーティーには「森の子」トリムと、地図なら任せとけのキラリンがいる。トリムの勘に従って進み、弁当タイムとおやつ時間だけキラリンを呼び出して、休憩のついでに現在位置と目標方向を確認してトリムの勘を修正するだけで、難なく切り抜けてきた。


 魔物が多いという話だって、キングーがいればポップアップ型は出ないし。戦闘したのは、定着型植物モンスターが密生していた場所、二箇所だけだ。


 とはいえ迷路を進むため進行速度は亀なので、ここまで1か月も掛かったが。もう三月に入ったから、じきに俺の誕生日だ。二十六歳……実質六十八歳の。


「たしかに、楽しく遊べそうな森じゃあないなあ……」


 ダークエルフの森は、広葉樹とも針葉樹とも感じが違う。


 なんたって樹木種が異なる。サルスベリの木ってあるじゃん。樹皮というより人肌のようにつるつるしてて、妙に捻れてる奴。あれが巨木になって、幹が盆栽並みに捻じくれまくってると思えば、なんとなく近い。


 そんな大木が並んだ森。どういう具合かはわからんが、鬱蒼と葉が茂っている木が並ぶ一方、ほとんど葉がない裸樹のような木が密生する部分もある。だから地上は真っ暗だったり眩しかったり、まだら模様の三毛猫のようだ。


 なんというか、森と聞いてイメージする癒やしの気配は微塵も感じられない。荒廃した沙漠のような印象さ。


「あの木には雄雌があるんだ。葉が生えていて力強いのが雌。裸が雄」


 トリムが指差す。


「へえ……」

「あっちの世界にも雌雄のある木はあるよね、平くん」


 タマにもらったボトルの茶を、吉野さんは飲んでいる。迷いの森は日光が遮られていたとは言うものの、暑いからな。午前中、ずっと歩きっぱなしだったし。


銀杏いちょうとか杉ですよね」

「木じゃないけど、ほうれん草とかもそうみたいよ」

「へえ……勉強になります」


 返事はしたものの、俺は上の空だった。ダークエルフは排他的で攻撃的と聞く。言ってみれば、ここから敵フィールドに踏み込むと考えておいたほうがいい。


「なあトリム。ダークエルフは、自分たちのテリトリーに入ってきた他種族を、問答無用で攻撃してくるのか」

「それはないとは思う。……多分だけど」


 眉を寄せてみせた。


「多分かあ……」

「あたしエルフだよ。エルフ連れのパーティーに、いきなり襲いかかっては来ないとは思うんだ。大人数の軍隊ってわけでもないし」

「寄せ集めだもんな、俺達」

「ただ、自信はない……。ダークエルフは気性が荒いからね。機嫌が悪かったら、警告もなしに矢ぶすまにされるかも。ダークエルフ側の論理としては、自分達に非がないから」


 溜息を漏らしている。


「なあキラリン」


 俺は、姿を消したままのキラリンに呼びかけた。


「ここはもう転送ポイントとして確保したな」


 ――うん。いつでも戻れるよ、お兄ちゃん――


 脳内に、キラリンの声が響いた。


「よし。……タマ、向こうの森に、ダークエルフとかモンスターの気配を感じるか」

「いや、感じん」


 吉野さんのカップにお茶のおかわりを注ぎながら、タマは首を振った。タマはいつもどおり、荷運びのシェルパ役も買って出ている。背負った登山用ザックは、満載だ。戦闘用の予備の薬草やら各種アウトドアグッズ、さらに弁当、もちろん大事な大事なおやつまで入っている。万一の戦闘時には、ザックを放り出して先頭まで駆けてくる算段になっている。


「動きはない。エルフの匂いは感じるが、それはテリトリーだから染み付いているのだろう」

「キングーはどう思う」

「僕は食事不要でも平気ですが、もうお昼です。今日はここまででお弁当にして、後は王都ニルヴァーナで遊んでもいいかもしれませんね。王様に面通りするとか」

「それもいいか……」


 たしかに、迷いの森を抜けたことで、ひとつの段階は踏んだ。切りよく帰るのも、手ではある。しかし……。


 心の中の迷いを振り切るように、俺は首を振った。


「よし。もうちょっとだけ進もう。本格的に攻略するのは明日からでいいが、今日のうちにダークエルフの森の雰囲気だけでも味わいたい。それで見えてくる戦略もあるだろうからな」

「うん。それがいいわね、平くん」


 吉野さんも賛成してくれた。


「じゃあ、ちゃちゃっと沢渡りしましょ。見たところ、すねくらいまでしか水深なさそうだし」

「ええ。ここのところ珍しく雨が少なかったからでしょう」

「一回渡っておけば向こう岸に転送ポイントを確保できるから、また増水しても関係ないもんね。さすがはご主人様」


 レナにおだてられた。


「じゃあ早く進もうよ。ボク、お腹減った。さっさと済ませてお弁当タイムにしたいし」


 それが本音かw まあ俺も賛成ではある。


「じゃあ行こう。……タマ、お茶をかたしてくれ」

「わかった」


 装備を整え直し、沢渡りした。念のため全員をロープで繋いだが予想通り浅く、苔で滑るのだけ注意しておけば、危険はなかった。暑かったから、冷たい水が逆に気持ち良かったくらいさ。


「さて、行こうか」


 俺は巨樹を見上げた。すぐ近くで見ると、高さも凄いわ。何十メートルあるんだろ、これ。これまでとは違った樹木の香りがする。迷いの森は湿気った苔の匂い。ここは栗の皮を焼いたような、香ばしい奴だ。


「進行はここまでと同じだ。まずトリム。次に俺。吉野さんとキラリンとキングー。殿しんがりはタマだ。ないとは思うが、もし前方にモンスターが出るとか万一の事態になれば、タマは前線まで来い。いいな」


 全員頷いた。


「よし、トリム、行けっ」

「うん」

「ゆっくりだぞ。俺達はお前のように軽やかに森は進めないからな」

「わかってるって」


 トリムは数歩踏み出した。俺達を振り返る。


「地面に木の根がやたらと這ってるよ。この木は幹も根もつるつるで滑るから、気をつけてね」

「わかった」

「じゃあ進むよ」


 トリムに付き従い十分ほど進んだだろうか。そろそろ王都郊外に飛んで弁当タイムでも……と思った瞬間、森に奇妙な音が響き渡った。風のような獣の鳴き声のような、判断に迷う音だ。


「平。ダークエルフかも」


 トリムが駆け戻ってきた。


「ここでか」

「ううん。まだ遠いとは思うけど。あたしたちに気づいたんじゃなく、遠くで狩りでもしてるんじゃないかな」

「タマっ」

「わかってる」


 前線まで駆けてきた。いつもの取り決め通り、吉野さんたちも距離を詰め、全員近くにまとまった。


「キラリン姿を現せ」

「――お兄ちゃーん」


 ぽんっと、キラリンが現れた。


「わかってるな。危険が生じたら、瞬時に転送だ」

「どこがいい」

「どこでも。家でも王都でも」

「了解」


 キラリンは周囲を見回した。


「なんだか気味悪い森だね、ここ」

「平くん、帰りどきかもよ」

「そうですね、吉野さん。俺も――」


 言いかけた瞬間、頭上から声が降ってきた。


「動くな」

「誰だっ」


 見上げても木々が葉を広げているだけで、人影はない。


「あたしはケルクス。この森を守る者だ」

「平、エルフの名前だよ」


 トリムは小声だ。


 瞬時に逃げるかとどまるか、一瞬迷った。転送が楽とはいえ、せっかくの接触チャンスを逃すのは惜しい気がして。なにせダークエルフと話し合うのが目的だ。いきなり襲われるのでないなら、チャンスは生かしたい。


 迷ったのが失敗だったかもしれない。


 あっと言う間もなく、俺の眼前に誰か立っていた。長い銀髪のエルフだ。この森の葉の深緑に近い色の、動きやすそうな服を着ている。肌は浅黒いし、姿形からして、ダークエルフだろう。俺よりわずかに背が高い。エルフはみんな美形だから性別は迷うところだが、声を聞く限り、女だろう多分。


「キラリン、手を出すな」


 俺は叫んだ。殺す気はないはず。殺すなら名乗らず樹上から射っていただろう。弓と矢筒を背負っているし。


 ケルクスと名乗ったダークエルフは、あっという間に俺を反転させると頭を抱え込んだ。抜き放っていた短剣を首に当て、パーティーに見せつける。一瞬だけ見えたが、刃が黒い、奇妙な短剣だ。反射的に蹴りを出そうとしていたタマが、回しかけていた脚を、ゆっくり下ろした。


「全員、一歩も動くな」


 ケルクスは、静かに言い放った。

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