2-3 樹上の声

「明日は節分ね」


 突然、吉野さんが口にした。


「そうですね」

「今晩、福豆買って帰らないと」

「はい」

「マンションの私の部屋と平くんの部屋だけでいいよね。……アパートにも豆撒きたい?」

「いえ。あっちはほんと、稀にしか帰らないんで」

「ならいいか」


 ほっと息を吐いている。しかし節分となるとなー。


「もしかして鬼役は俺ですか」

「当たり前じゃない。ウチ、男は平くんだけで、あと全員女子か天使だし」


 だと思った。トリムとかキラリンが嬉しそうに全力で豆投げてくる未来しか見えないわ。タマはタマで、無表情で淡々と急所を狙ってきそうだし。


「人数多いから、豆もたくさん買わないと。……あーでも、掃除が大変か」

「大丈夫。どうせトリムとかが掃除機のように拾って食べまくるし」

「それもそうね。安心した」

「……でも今、そんな話してる場合じゃないと思うんですけど」

「あらごめん。つい気になって……」


 俺達パーティーが隠れている大木の陰から、吉野さんはこわごわ、顔を出した。


「特に敵もいないみたいだし、いいかなって」


 俺達は今、鬱蒼とした古代樹の森林地帯に踏み入ったところだ。秋猫温泉から帰り業務に復帰した俺達は、三週間ほど費やしてアスピスの大湿地帯を東に抜けた。途上、キングーの力で雑魚は出ないし、アスピスロードのようなネームドも湧かなかった。もちろん魔族も。ミノタウロスの迷宮にいた魔族は全員死んだってことだろう。


 だから楽に距離を稼げた。迷路のような底なし沼迂回地獄と湿地帯の臭気には閉口したが。


 いずれにしろ、呑気に福豆の量とか考えてる場合じゃない。吉野さん、相変わらずのほほんとずれてるよなあ……。


「敵……というか、ここいらからは、エルフのテリトリーらしいですし。……そうだよな、トリム」

「うん」


 頷くと、トリムは大木に飛びついた。そのまま、猿のように器用に木を登っていく。はるか上、多分二十メートルくらいまで這い上がると、枝に移って葉陰に消えた。


「大丈夫」


 しばらくして、声が下りてきた。


「ずっと先の大木に見覚えがある。あたしの生まれた里は近いよ。このあたりなら、敵対的な種族は出ないはず」


 ざざっと音がすると、幹を滑るようにして降りてきた。


「……ただエルフは割と用心深いから、敵意がないって見せないと」

「わかった」


 木陰で、俺は仲間を見回した。昨日までの沼地装備から一転、今日は軽量で動きやすさを重視した、身軽な戦闘服仕様だ。足元は山歩きに適した、トレッキングシューズ。格闘戦担当のタマだけは、すねまで覆う編み上げのコンバットブーツだ。


「じゃあ、あえて大声で雑談しながら進もう。飯の話をしながら踏み込んでくる間抜けな敵がいるはずないからな。どうだレナ」


 レナは俺の胸で頷いた。


「いい考えだよ、ご主人様」

「ここからはあたしが先頭になる。土地勘があるから」


 トリムが進み出た。


「わかった。どうせ獣道で狭いはず。一直線で進もう。頭はトリム。次が俺。吉野さんキングーキラリン。前や足元だけじゃなくて、左右も注意しろ。タマは最後尾で俯瞰しろ。なにかあったら、みんなを守るんだ」


 全員頷いた。


「キラリン、眠くないか」

「平気だよ、お兄ちゃん」


 眠くなったらすぐ言えと念を押しておき、俺はトリムに合図を出した。


         ●


 二時間ほど進んだところで、昼休みにした。落雷かなんかで数本木が倒れていて、見晴らしのいい場所があったからだ。倒木はベンチにもなるし、ちょうどいい。


 この森は広葉樹が中心で、いろいろな種類の大木が思い思いに枝を広げている。広葉樹のせいか、森自体の雰囲気が優しい。どの枝にもこれでもかってほど葉が生えているから、そこそこ陽は遮られている。とはいえところどころ、広めの野原がある。そこは眩しいほど明るくて気持ちいい。


「雰囲気のいい森だったねー、ご主人様」


 俺のタマゴ亭特製ミックスグリル弁当を楊枝でつつきながら、レナが周囲を見回した。


「陽気な原生林って感じよね」


 ミックスグリル弁当の華とも言える豚の味噌焼きを、吉野さんは箸で摘んだ。


 これ、うまいんだよな。生姜焼きなんかとはまた違う、味噌ならではの香味と味の深さがあって。味噌の味が強いから負けないように、肉は生姜焼きなんかより厚く切ってあるんだよ。薄いと味が染みすぎてしょっぱくなるしな。


 肉が分厚いだけに噛みしめると、甘みにも似た味噌の旨味が、肉汁や脂の味わいと、ちょうどいい塩梅で溶け合うんだ。くあー、たまらん。


「どの木も、高さ数十メートルあるんじゃない。枝を広げてる分、木々の間が広いのは、歩きやすくていいけど」


 俺達全員で手を繋いでも、幹の周囲囲めないくらい太いしな。樹齢何百年、下手したら千年くらいいってるかもしれん。


「とはいえあれ、獣道でもないですよね。雨が降ったときの水の通り道、つまり涸れ沢って感じだったし」

「本当に」


 降雨量が多いとは聞いていた。実際、今は晴れているが、それでも木の上からぽたぽた、水が垂れてきてたからな。風に揺れて、濡れた葉から雨水が落ちてくるんだわ。


「でも、すっごくいい香りだったよ。ご主人様」

「たしかに」


 すがすがしい匂いって、これのことだわ。深呼吸すると神聖に澄んだ空気が肺を満たして。気持ちいいんだわ。


「あれはね、フィトンチッド」


 キラリンが解説を始めた。さすが元スマホ。知識豊富だ。検索してるだけだろうが。


「揮発性のアルコール類で、殺菌作用がある。樹木が自分を守るために放出するんだ。人型に対しては、リラックス効果もあるよ」

「僕も心を洗われるように感じました」


 天使亜人キングーは、例によってなにも食べていない。カップの茶だけ飲み、ごく稀に、俺や吉野さんのおかずをねだるだけだ。


「僕が住んでいた山とは随分違いますね」

「あっこは高いから、上のほうは裸山も同然だったからな。下草が生えているだけで」


 それにここは降雨量が多いだけに、大量の樹木をうまく育成させられるんだろうさ。


「じき、ハイエルフのテリトリーに入るよ。……多分、今日中には」


 黙々と箸を進めていたトリムが、ぼそっと口にした。


「……わかった」


 雑談しながら進んできたわけだが、道々、トリムは口数少なめだった。やはり、いろいろ複雑な思いのある故郷への帰還だ。気持ちはわかる。


「あたしが先頭になろうか」


 珍しく、タマが陣形に言及した。


「山歩きならあたしも得意だ。木にだって登れる。ケットシーだからな」


 無骨なタマなりに、トリムに気遣っているのかもな。


「いいよタマ。トータルであたしのほうが利点があるし」

「……ならいいが」


 ぐいっと、一気に茶を飲み干すと、タマは立ち上がった。


「念のため、あたしは周囲を警戒しておく。ふみえボスや平ボスは、ゆっくり飯を食っていてくれ」


          ●


 トリムが警告していたとおりになった。例によって二時間たっぷり時間を取って昼飯を楽しんだ俺達が「午後の腹ごなし」に山道を辿り始めてすぐ、最後尾から、タマの叫び声が聞こえたんだ。


「ボス。前に誰かいる」

「誰かって……」


 見回したが、特にここまでと変わりはない。太い樹木がチェス駒のように立ち並び、涸れ沢が間に続いているだけだ。ランダムに生えているから、遠くまでは見通せない。


「上だ。平ボス」


 見上げたが、特になにも見えない。葉が鬱蒼と茂っていて、陽光を遮っているだけだ。


「誰だ、お前ら」


 樹上から声だけ降ってきた。姿は見えない。


「誰だか知らんが、俺達は冒険者だ。害意はない」

「信じられるか」


 ひゅっと風切り音がして、俺の足元に矢が突き刺さった。


「おいおい勘弁してくれよ」


 わざと間抜けな声を出しつつ、キラリンを振り返った。頷いている。いざとなれば転送してくれるだろう。


「敵意はないって言ってるでしょ」


 先頭のトリムは、反撃も結界も展開していない。問答無用で殺されることはないと判断しているんだろう。……つまり相手は、トリムがよく知る種族ということだ。


「おい待て」


 別の声がした。といっても例のごとく、誰も見えないが。


「あれはエルフだ。しかもハイエルフ」

「なんてこった。トリムニデュールじゃないか、あれ」

「ああ。服が違うからわからなかったが、確かに」

「おお……」


 誰か知らんが、口々に叫ぶ。……と、正面の樹上、幹の陰から太い枝に、誰かが顔を出した。エルフ。男のエルフだ。


「たしかにトリムニデュールだ」

「カーナ……。久し振り……」

「どういうことだ……。里を捨てたお前が、今さらなんの用だ……」


 厳しい言われ方に、トリムは唇を噛んだ。


「長い話があるんだよ」

「それに……」


 ようやく俺達に視線を移した。


「なんでそんな連中とつるんでいる」

「事情があってね」


 トリムは見上げた。


「あたしたちは、情報を集めている。協力してほしいんだ」

「ちょっと待て」


 カーナと呼ばれた男が飛び降りてきた。もはや警戒すらしていない。すたすた近寄ってくると、先頭のトリムをしげしげと眺めた。


「間違いない。トリムニデュールだ」


 トリムは黙っていた。この男、さすがハイエルフというか、涼やかな目元で顔立ちの整った若者だ。人間で言うなら二十歳くらいに見えるが、相手はエルフだからな。実際は百二十歳とかかもしれん。


「雰囲気変わったな、トリムニデュール。……いや待て、恋人ができたんだな」


 目を見開いている。


 どうでもいいが、トリムの本名、トリムニデュールって言うんだな。最初に召喚したときトリムはツンケンしていて、名前も自分で決めたわけだが、本名の略だったってことか。


「こいつは驚いた。一年も経ってないのに、あのトリムニデュールが男を作るとは」


 呆れたような苦笑いのような、複雑な表情を作ると、俺達を見回した。


「相手は誰だ。お前に釣り合う男なら、相当だろう。……ここにいるとも思えんが」


 トリムは無言のままだ。男はほっと息を吐いた。


「まあいい。それにしてもヒューマンにケットシー、よくわからん亜人に妖精か……。寄せ集めのパーティーだ。戦闘目的なら、もっと効率的なパーティーを組むはず。といって宝探し目的にしても、バランスが悪い」


 宝探しなら普通は鉱物に詳しく穴掘り得意のドワーフを組み込む、その場合はもちろんエルフは入れられないが――と、男は続けた。


「うーむ……」


 首を捻ってやがる。


「女が多いし、旅芸人の一座とかなのか」

「言ったろ。俺達は冒険者だ。里をまとめている奴と話をしたい」

「寄せ集めで冒険だと……。こいつは奇妙だ」


 男は片方の眉を上げてみせた。


「なああんた……カーナだっけ、ハイエルフには王族がいると聞いた。王に会いたい」

「素性の知れない者など、会わせられるものか」


 一笑に付された。


「このパーティーなら、あたしが保証する。ねえ、お願いカーナ。父様を通じて頼んでみて」


 トリムが口を挟む。ハイエルフは、微かに唸った。


「まあ……いずれにしろ、お前は両親に会わせないとならんしな」


 そういや、トリムは王族の末端だったな。


「そういうことなら、自分で頼め。お前の両親も会いたいはずだからな」


 振り返ると指笛を吹いた。


 葉鳴りが聞こえ、ハイエルフが次々に地上に舞い降りる。男が多いが、女もいる。 なんだ三十人近いじゃんか。


 全員、弓兵だ。威力や射程距離に優れた長弓装備の者、それに発射頻度を上げられる短弓装備の者。さらにボウガン的な見た目の、よくわからない種類の弓を提げている奴までいる。


 戦闘にならんで良かった。樹上から矢ぶすまで間接攻撃されるんじゃ、俺もタマもお手上げだ。


 最初にトリムを召喚したときは、長い薄衣のような服だった。あれがハイエルフの民族衣装かと思っていたが、ここの者は全員、身軽に動けそうな衣服だ。


「では里に案内しよう。……くれぐれも、変な気を起こすなよ。死にたくなければな」


 後ろも振り返らず、カーナはすたすたと歩き始めた。ついてこいと言わんばかりに。

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