2 ハイエルフの帰郷

2-1 社内陰謀の尻尾

 温泉と美食ですっかりふやけた俺は、予定を一日だけ早めて東京に戻った。社長に呼び出されたからだ。まだ休暇中なんだが、どうしても会いたいらしい。


 ごろごろするのも飽きてきた頃だ。ちょうどいいタイミングでもある。一日海を眺めていても退屈しないビーチとは違う。朝から晩まで温泉ってのも、単調なものだ。


「なんです、社長」


 例の銀座七丁目のワインバーで、社長は俺と吉野さんを待っていた。


「まあ座り給え」

「はい」


 ワインを飲み、休暇の話を適当に。俺と吉野さんの社内恋愛は秘密なんで、俺は温泉、吉野さんは実家に帰ったって線で、示し合わせてある。


 嘘八百交えた休暇トークが一段落したところで、社長は切り出した。


「ところで例の件、なんとか抑えた」


 俺とダイヤの話だろう。


「ありがとうございます」


 一応、礼を言っておく。


「もう連中も、社内にこれを流すことはない。……ただ、私と連中の力関係が崩れれば別だ」

「そうでしょうね」


 溜息を漏らすと、社長はワイングラスを口に運んだ。


 蒸し返されるってことは、そのときすでに、社長はかなり追い込まれてるってことになる。そこでダイヤ話をきっかけに「社長の監督不行き届き」って流れを作られる危険性は常にあるってことか。


「だから安心したまえ」

「はい。安心しました」


 オウムのように繰り返して、社長によくわかるように感謝の意を表しておく。


「気は抜かずにな」

「心しておきます」

「うむ……」


 またグラスを口に運ぶ。どろりとした血のような赤黒いワインを味わいながら、俺は違和感を感じていた。


 たったこれだけの話で、休暇を中断させるだろうか。この程度の案件、出社後に社長室に俺達を呼びつけるだけで話は済む。まだなにか、爆弾がありそうだ。面倒だから、こっちから突っついてみるか。


「ところで、他になにか話がありますよね」

「……君も鋭いな」


 頭を傾けて首を鳴らすと、社長は俺の目をじっと見据えた。


「なら予定より早いが、もう訊くか。……平くん、君、CFOと会ったろ。最高財務責任者の石元だ」

「えーと……」


 隠し玉はこれか。俺は瞬時に腹を決めた。嘘ついても仕方ない。ヒャクパー、バレてるだろこれ。


「はい。休暇のちょっと前に」

「しかも金属事業部事業部長の海部とも」

「そうですね。同時期……というか同日です。でも、社長のご命令どおり、臭い連中の身辺を洗っただけですよ」


 とにかく「社長の一手」ってことにしとかないとな。


「そりゃそうだが、勝手に動けとは言ってない。なんで黙ってた」

「連中の動きをしっかり把握して、まとまってからと思いまして。……社長も混乱するでしょ。いちいち細かな動きを報告されても。お忙しいでしょうし」

「陰謀案件は特別だ」


 一喝されたわ。仕方ないんで、俺は説明した。彼らが俺にどういう話をしたか。黙って聞いていた社長は、俺の話が終わると、ほっと息を吐いた。


「ふたりとは、怪しい奴を互いに探ろうという線で握ったということだな」

「はいそうです」

「そうか……」


 上を向いて瞳を閉じ、社長はしばらく黙っていた。それからワインをもうひとくち飲む。


「平くん、君も先走る男だな。まだ早いだろ。直接接触は」

「どっちも、向こうから呼び出されたんで。役員からの呼び出しを撥ね付けられるほど、俺の地位は高くないですよ」


 シニアフェローは事業部長クラス同等とはいえ、マネジャーじゃないからな。マネジャーでないという意味では、係長にも劣るし。


「それもそうか」

「社長。これはいいチャンスですよ」


 黙って俺達のやり取りを聞いていた吉野さんが、口を挟んできた。


「黒幕を炙り出すには、調査が必要です。こちらから動けば警戒される。でも呼び出されて会ったのなら、そうはならない。社員としての義務を果たしただけなので」

「なるほど。さすがは吉野くん、鋭いな。たしかにそのとおりだ」


 頷いている。


「それで平くん、石元と海部、どちらが怪しかった」

「はい社長。俺の勘ですが、ふたりともシロです」

「どうしてそう判断する」

「黒幕なら、俺を取り込むか脅すかするはず。ふたりとも、そういう案件ではなかったですし」


 とはいえ、特に石元は、まだ正体をごまかしている可能性がある。俺は半身で情報交換していくつもりだ。


「なら君は、どいつが怪しいと思うんだ」

「そうですね……」


 俺は唇を舐めた。あんまり不確定な話はしたくないが、今晩はそれでは逃げられそうもない。


「石元も言っていましたが――」

「石元さんだろ。相変わらず口が悪いな」


 呆れたように俺を見た。


「まあいい、続けろ」

「はい。石元も口にしていましたが、特に怪しいのは、異世界子会社、つまり三木本Iリサーチ社の所轄役員にクーデターで収まった八人です。うち海部は、今回の感触で外れる」

「うむ」

「残りは七人。このうち、ダイヤ案件を社長に斬り込んできたシステム担当役員、こいつも黒幕じゃない」

「なんでそう思う」

「社長に直接文句言ってくるはずはない。この黒幕はそんなに間抜けじゃない。システム担当役員は、駒として踊らされただけでしょう」

「それは私もそう思っていた」


 はあ念のため俺の判断を聞きたかっただけか。


「となると、あと六人。もちろん全然違う奴が黒幕である可能性はあります。とはいえここを、最重点として探るべきです」

「注意しておこう」


 トイレに立った社長は、戻ってくると話題を変えた。


「ところでこれから、異世界ではどう動く」

「はい」


 俺は吉野さんと顔を見合わせた。阿吽の呼吸で、吉野さんが解説を始める。


「今、私達はアスピスの大湿地帯の中心にいます。ここから東に進み、大山脈地帯を目指そうと思います。……ただ、到着には日数が掛かるかも」

「君達は時折、とてつもない長距離を短時間で踏破したりするな。あれをやればいい」


 馬車やドラゴンを使ったからなー。


「あれは特別です。とりあえず当面は使えないかと」

「そうなのか」

「はい」


 実際、ドラゴンで例の山脈の麓までひとっ飛びできれば超絶楽だ。だが連中は気位が高い。ドラゴンライダーや召喚主(しかも仮だし)と言えども、そうそうこき使えるわけじゃない。基本、危機のときに助けてくれる程度と思っておいたほうが無難だ。たまに遊んでくれたり乗せてくれたりは、実際、向こうの気まぐれな厚意でしかないし。


「山脈地帯では、なにをするのかね」

「それはですね……」


 吉野さんは言い淀んだ。まさか俺の寿命を延ばすためのアイテムを探すとは言えない。


「社長。山脈となれば、なにを連想します?」


 俺は助け舟を出した。


「山岳地帯となれば当然、鉱山だ」


 さすが鉄鋼商社が祖業の会社のトップだけある。即答だ。


「そうですよ。火山とくれば変成岩。地殻変動で地下深くに埋没していた鉱山が、地上近くまで隆起したりする。マッピングには最適の場所じゃないすか」

「たしかに……」

「それで俺達の休暇の間、川岸チームはどうだったんですか」


 深く突っ込まれるとボロが出るかもなので、さっさと話題を変える。


「どうもこうも……」


 苦笑いしてるな。


「街道の地図だけは、整いつつあるな」


 どうしようもないという表情で、皮肉を口にする。


「相変わらずってとこですか」

「それに比べ、君達が一気に距離を伸ばしたんで、役員の間でも話題になっている」


 ドラゴン様様だな。


「君達の踏破距離は、三木本Iリサーチ社の成績に算入される。だから形としてはそれも、川岸チームの業績にはなっている。だが……」


 首を振った。


「この落差を見ては、黒幕もいずれ川岸を見放すだろう」

「社長もそう思いますか」

「ああ。……となると、どうなると思う」


 思わせぶりに、社長は俺と吉野さんを見やった。

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