1-9 散歩中、「とてつもない大事件」(キラリン談)に遭遇w

「ふう……。冬の空気は澄んでいて気持ちいいわね」


 ぞろぞろと朝食後の散歩に出ると、ようやく吉野さんの緊張も解けたようだ。俺の隣で、普段通りの笑顔を見せてくれた。もちろん全員、人間化けをしている。


「そうですね。吉野さん」


 なにかこう、ピンと一本、筋が入ったような凛々しさなんだよな。冬の朝の空気って。濁った都内でもそう感じるんだから、こんな森の中の温泉なら、なおのことだ。


「おいしい空気」


 手を横に広げ、くるくる回っている。宿から温泉街を抜け、山頂の神社へと向かう道。周囲は見事な雪景色だが、道路だけは朝イチで除雪されたらしく、歩くのに不便はない。


「森の近くだとね、フィトンチットっていう成分が空気に含まれているからだよ」

「あらそうなの、レナちゃん」

「うん。スマホで勉強した」

「いい子ね。ふふっ」


 そのとき、前の方で雪に突っ込んだりして遊んでいたキラリンが、駆け戻ってきた。


「お兄ちゃん。女の子が泣いてる」

「なに……」


 行ってみると、道の脇、ちょっとした空き地で、女の子がしゃがみこんでいた。小四くらいだろうか。服で目をこすっているから、多分泣いている。


「どうしたの。迷子になった?」


 隣にしゃがんだ吉野さんが、声を掛けた。


「猫……」

「猫?」

「猫」


 また泣き出した。


「どうしよう、平くん」

「警察の場所とかもわからないし、連れてって宿の人に対処してもらいましょうか。一一〇に電話するほどの案件でもないし」

「その前に、エレクアでしょ」


 トリムが口を挟んできた。


「途中にスイーツ屋があったじゃん。あそこでおいしいもの食べさせてあげれば、元気になるよ」


 なんだもう目を付けてたのか。相変わらず、口の卑しいエルフだな。


「まあいいか。どっちみち宿への道すがらだし」

「やったーっ」


 飛び上がって喜んでやがる。


「ほら。ここにいると寒いよ。お姉ちゃんと一緒に行こ」

「うん……」


 助け起こすようにして、吉野さんが立たせた。


         ●


「なるほど、猫か」


 和風甘味処で汁粉だのずんだ餅だのを全員ぱくつきながら、なんとか聞き出した。迷子じゃあなかったよ。


「うん平くん。たしかに猫ね」


 話はこうだった。この子――みゆうちゃん――が朝、遊びに出ると、あの場所の付近で猫の鳴き声がした。甘えるような声ではなく、なにか逼迫したような鳴き方だったという。この雪で、あんな場所にいたら寒さで死んでしまう。必死で捜したが見つからず、途方に暮れて泣いていたという。


「迷い猫かあ……」

「たしかに死んじゃうかもね。この寒さだと」

「特に子猫だったりすると、危ないですね。……一応、戻って捜してみますか」

「そうしよ」

「ちょっと待って平。もう少しで白玉善哉、食べ終わるから」


 トリムは真剣な瞳だ。食べ残してなるものかという、鬼気迫る情念を感じるw 見られるわけにもいかないので、レナはずっと体を隠したままだ。後で特別になんか食わせてやらないとな。ひとりだけ甘味抜きとか、かわいそうだから。


「わかったわかった。ゆっくり食え」


 トリムがやっつけ終わるまで待った。現場に戻って捜してみたが、猫はいない。


「どこにもいないですね」


 キングーが首を振った。


「ああ」


 俺はタマを見た。猫とくれば、猫獣人ケットシーたるタマの出番だ。


「タマ、猫の匂いするか」

「いや。全くだ」


 首を振った。


「平ボス。このあたりには猫はいない。なにかの勘違いだろう」

「風に枯れ木が鳴る音でも聞こえたんじゃないの。里でも、そういう音はよくするよ」


 森林の民であるトリムの意見には、一理ある。


「ねえみゆうちゃん。猫、いないみたいよ。ここは寒いし、もうお家に帰ろうか」

「いや。猫ちゃん、いるもん。悲しい悲しいって、泣いてるもん」


 首を振って、またしゃがみ込んでしまった。


「困ったわねえ……」


 吉野さんも首を傾げている。


「とりあえず、警察に電話しておく? このままこの子置いといたら危険だし」

「そうですねえ……」

「ダメだよ、お兄ちゃん」


 キラリンが、強い口調で言い切った。


「あたし、この子を助けたい」

「ありがとう、キラリンお姉ちゃん」


 みゆうちゃんが、キラリンに抱き着いてきた。キラリンは、みゆうちゃんの頭を撫で、精一杯お姉さんしている。


「気持ちはわかるが、そうは言ってもなあ……」


 困惑した。再度見回してみた。ただの山道だ。この空き地の周囲は低木の雑木林で、雪が積もっている。猫がいるとしたら、こうした木々の下、雪のないところに隠れているとかだろう。何度も捜してみたが、どこにもいない。


 それにそもそも、猫がいたらタマの鋭い嗅覚が嗅ぎつけるはずだ。タマが居ないと断言する以上、本当にいないのだ。なら勘違い以外の真実はないはず……。


「宿に戻ってフロントに相談しよう。地元の人なら、猫が集まる場所とか知ってるかもしれんし」

「いやっ」

「いやっ」


 キラリン、みゆうちゃんとハモってるがな。


「でもキラリン、ここに突っ立っていても埒が明かないだろ。駄々こねるな」

「もう少し捜そうよ、お兄ちゃん」

「あっ」


 吉野さんが叫んだ。


「なにか聞こえた」

「猫ですか」

「多分……ほらっ」


 俺にも聞こえた。微かだが、たしかに鳴き声だ。木の音とかじゃあない。


「平ボス。猫の匂いはしない。ただ、鳴き声は猫だ。間違いない」

「そうか……」

「タマちゃんにも匂いがわからないのに、どこに猫が……」


 吉野さんと俺は、顔を見合わせた。

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