1-3 無料アップグレード

「いいところじゃない」


 吉野さんが左右を見回すと、白い息が揺らいだ。


 旅館の門を潜ったが、本館はまだ先。そこまできれいなエントランスが続いている。左右にはしっかり手入れされた低木が、俺達を歓迎するかのように茂っている。今日は雪こそ降ってないが、昨日降ったようで、低木には雪が積もっている。今日がクリスマスイブだからか、飾り付けされている樹木もある。エントランスだけは、きちんと除雪されてるな。


「森の香りがする」


 ぴしっとひとつ締まった、冬の匂いだ。


「この近くのNEKOUサーキットで、夏休みにバイトしてたんですよ。寮住み込みで。学生の頃の話です。だからこの宿は、指を咥えて見ていただけですね」

「都内じゃなく、わざわざここまで来てバイトしたんだ」

「ええ。リゾートバイトみたいなもんです。それについでにバイクの走行会に出られるんで。一石二鳥ですよ」


 ここは宮城県秋猫温泉。猫亭の門を潜ったところだ。社長命令で長期休暇を取ったわけだが、冬なら温泉だろってことで、俺が場所を押さえたんだわ。もちろん、社用スマホは電源オフ。社員は休暇中も持ち歩くよう指定されているんだが、緊急連絡があろうが知るか。俺は休暇中だ。文句あるか。


「バイクって、オートバイでしょ。平くんがアウトドア派なんて、意外……」

「昔のことですよ」


 俺の無趣味は吉野さんもよく知っている。だから驚いてるな。まあ十年近く前の話だし。ひとり金持ちの友達がいて、そいつが飽きたとかいうバイクを装備ともども買ったら、なんだかはまっちゃってな。タダ同然だったから、楽しむハードルが低かったんだろう、多分。ともかくそんなわけで、サーキットでバイトしながら走行会に出てたんだわ。


 本気でレースするならともかく、走行会ならほとんど金かからないからな。それに他人と競い合うレースなんかは、興味もなかったし。


 味占めて学生時代の夏は毎年、ここでバイトしながら走行会だツーリングだって楽しんでたんだが、エンジンが焼き付いたのを機に、バイク趣味は封印したんだわ。修理する金もなかったし。今でも稀にバイク乗ってる夢見るけど、なんか遠い世界の話にしか感じない。


「でも懐かしいですね。賄いのハムエッグ定食。ハムとは名ばかりのぺらっぺらで」

「今晩は豪勢な温泉旅館の料理でしょ。楽しみにしてるんだ、私」

「ですねー」

「ちょっとふたりとも、ボクたちがいること、忘れてない」

「悪い悪い」


 俺の胸で、レナがむくれている。実際、トリムやキラリン、キングーまで、平パーティー軍冬季標準装備もこもこ仕様で並んでいる。つまりダウンな。気温変化に強いタマだけは、普段どおりのミニスカート姿だ。


 沖縄バカンスでは、使い魔連中にはチェックインのときは隠れててもらった。でも今回はホテルじゃなくて旅館だ。飯は人数分しか出てこない。なので人間化けしてもらった上で、全員で逗留するって算段なのさ。


「じゃあ宿に入りますか」


 磨き上げられたガラスの扉を抜ける。周囲の張り詰めた冷気が、暖かく穏やかで優しい空気に変わった。


「いらっしゃいませ」

「お世話になります。平です」


 レセプションに立つ和服姿の女性が、ディスプレイにちらっと視線を走らせた。


「平様御一行、五名様ですね。お待ちしておりました」


 もちろんレナだけは除外してある。


「恐縮ですが、クレジットカードを拝見できますでしょうか」

「デポジットですね」


 カードを渡すと、微笑まれた。


「しばらくお待ちを……」


 なんか端末を操作する。


「幸い、しばらく本館シニアスイートが空いておりますので、二部屋並びでお取りします」

「予約した部屋と違いますが」

「アップグレードいたします。……カード特典ですので」


 ああ、そういう……。


 さすがブラックカード。無料アップグレード特典があるとか。ならここも、カードデスク通して予約したほうが早かったか。覚えておこう。


 今回、大きな部屋をふたつほど隣同士で予約してあった。友達旅行って体にしてあるからさ。男部屋、女部屋。ないし俺と吉野さんの恋人部屋、残りの友達部屋。といった偽装で。


 飯は全員分、どちらかの部屋に用意してもらえばいい。ほっとけば布団は二部屋に敷かれるだろうが、自分たちで勝手に移動して、どうせどっちかで雑魚寝だろう。頼めば、どちらかにまとめて敷いてくれるだろうし。


 それに猫耳尻尾では、大浴場には行けない。トリムなら例の薬でエルフ耳引っ込められるんだけど、タマは無理。なので家族露天風呂付きの部屋にした。


 それなりに大きな部屋を予約したんだが、これがさらにアップグレードされるとか。これは期待しちゃうわ。


         ●


「うわ、豪華」


 案内された部屋に踏み込むなり、吉野さんが感嘆の声を上げた。


 広さこそ、あの沖縄ホテルの半分くらいだが、とにかく調度が豪華。そういう世界に疎い俺ですらわかる。なんたって天井が高い。古材を移設したと思われる太い柱や梁も、黒々と輝いているしな。おまけに床の間には由緒有りげな掛け軸が下がっている。九谷焼らしき細密模様の壺まで置かれているし。


 新しい畳がいい香りだし、食事用のテーブルも大きい。


 窓際の縁がまた広い。大きく重厚な木製テーブルがあり、簡素だが良デザインの椅子が四脚、置かれている。縁の向こうには広いバルコニーがあり、卓球台より大きな個室温泉が、湯気を立てている。木の縁だから多分、檜の湯船だな。


「予約した部屋も広かったけど、ここ、倍くらいありますね」

「ご主人様、こっちも凄いよ」


 俺の胸から飛び出してあちこち部屋を探検していたレナが、俺を振り返った。


 ふすまの向こうは、広い続き部屋だ。こちらは寝室として使うのだろう。てか布団並べて全員寝るどころか、タマゴ亭さんからエロ図書館長、アーサーだのミフネだののシタルダ王朝組みんな呼び込んでも余裕の広さだわ。


 おまけにバルコニーの露天風呂以外に、室内の個室バスルームまである。こっちはバルコニーと異なり、湯船は御影石のような黒い石造り。もちろん温泉だろう。


「平くんって、凄いね」

「いえ単にカードの力だし。吉野さんのところにも届いてるでしょ、ブラック」

「そうだけど、ここ選んだの、平くんだしね」


 俺の腕を取った。


「さすがよ、私のご主人様は。手配に優れた、立派な部下だわ」

「ありがとうございます」

「ねえ平」


 入り口の扉が開いて、トリムが顔を覗かせた。


「あたしたちの部屋、チョー最高だよ。お茶菓子が死ぬほど置いてあってさ。全部無料だって。早く食べよっ」


 スイーツを前に、どえらく興奮してるなw


「こっちもたくさんあるから慌てるな」


 テーブル上の菓子の鉢を、俺は掴んだ。仙台名物ずんだ餅だとか抹茶クッキー、茶饅頭とか、やたらと並んでいる。


「じゃあ吉野さん、あっちの部屋でお茶にしましょうか」

「うん。ちょっと待ってて」


 ダウンを脱ぐと、吉野さんはハンガーに掛けた。


「平くんのも貸して」

「はい」

「……さて、行こうか。ここきっと、お茶も美味しいに違いないわ。楽しみね」

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