1-2 社長追い落としの絵図
「川岸だよ」
社長は吐き捨てた。
「あそこからの情報らしい」
やっぱりあの野郎か。
俺のはらわたに、怒りが巻き起こった。
話はこうだった。街道ぶらり旅を続ける川岸パーティーは、跳ね鯉村で情報を得ようとして、当然追い払われた。ゴーレムを連れた怪しい連中に注意しろとの、マハーラー国王のお触れが国中に回っているからな。
川岸と口論した村人のひとりが、興奮して俺のことを話したらしい。あんなに優れた人に比べ、欲しがるばかりのお前はなんだと、恩人平の功績を口にした。そのとき、俺には謝礼としてダイヤを渡したと、思わず口走ったんだとか。
当然、川岸はそれを黒幕に「ご注進」する。黒幕はその情報を、有効に利用したってわけだ。
「でもダイヤ入手は、社内規定に反していませんよ。異世界での個人的な贈与は個人のものと、はっきり書いてあります」
異世界事業を始めるにあたり、三木本商事は労務に詳しい弁護士や経産省の担当役人、さらに納税絡みで財務省の役人とも調整済みで言質を取ってある。法律的にも間違いはない。
個人としての納税だってそうだ。贈与税も、変な話、相続税だって掛からない。税金が掛かるのは、それを日本円に現金化したときの、所得税だけだ。
なんせ異世界での事業なんてまだ実験段階。財務省国税局も、面倒な立法には及び腰だからな。日本円にすればはっきり金額が出るから、現行法でも課税が容易だ。なら当面、そこだけでいいってことさ。
「それはそうだが、ものがダイヤとなると、話は別だ。インパクトが大きすぎる」
どうやら、まだ量はバレてないようだな。そっちまで漏れていたら、とんでもない騒ぎになったはずだし。
「社内規定に反してないのに、なにが問題なんです」
「たしかに、それはそうだ。だが連中は背任行為も同然だと言っている」
背任ってことは、横領とかと同一視してるってことだ。
「いいか。『同然』だ。規定には反していないから、『同然』という苦し紛れで糾弾してるわけさ」
腹立たしそうに、社長はまずいと言ったワインをまた飲んだ。
「なら無視しとけばいいですよね。正義はこちらにある」
「君達の出世は早すぎるんだ」
言い捨てた。
「心理的反発が社内に満ちているところで、この情報だ」
溜息を漏らした。
「規定には反してないから、君を処分することなど、もちろんできない。だが、監督不行き届きということで私を糾弾することは可能だ」
なるほど。「不行き届き」なんて、具体的な定義すらない。いくらでも言い募れるからな。
「でも、社長も処分なんて受けないですよね。この程度では」
吉野さんが指摘した。
「その通りだ、吉野くん」
腹立たしげに言い切った。
「連中の狙いは、私の処分でもない。私に傷を付けることだ」
「付けてどうするんです」
「反社長派の役員を増やしたいんだろ。私の任期切れのときに反旗を翻し、黒幕が社長になるために」
なるほど。絵図としてはわかる。
こうなるとむしろ、システム担当は黒幕ではなさそうだ。直接社長にあやつけてくるほど、この黒幕は間抜けじゃない。システム担当は、焚き付けられて踊った阿呆ってところだろう。
しかも黒幕が直接焚き付けて、足跡を残すはずもない。おそらく川岸に告げ口させたんだ。これなら黒幕の存在は、誰にもわからないからな。
システム担当だって一応、三木本Iリサーチ社の所轄役員だからな。川岸が報告しても不自然じゃない。
しかし、ひとつだけ、引っ掛かるポイントがある。
「社長」
「なんだ、平くん」
「三木本商事では、社長の任期は長い。それにウチは、社長は三期務めるのが伝統だ。社長、まだ一期目でしたよね」
長期に君臨できるからこそ、社内で絶大な権力を持つことが可能。だからこそ三木本商事では、社長ワンマンが伝統になったわけで。
「そうだ」
「あと二期半も待つにしては、仕掛けが早すぎませんか」
「たしかにそうよね」
吉野さんが頷いた。
「平くんのダイヤなんて、いつ問題にしてもいい。明らかにして騒ぐなら、社長任期切れの直前が、いちばん効果的ですよね。新鮮なうちに工作できるし。二期半待たないにしても、最短でも次の任期切れということになります」
「そこはたしかに、平くんや吉野くんの言う通りだ。仕掛けが早いのには、なにか理由があるだろう」
「どんな理由です」
「私にもわからん」
椅子に深く背をもたせかけると、社長は溜息を漏らした。テーブルのボタンを押すと、別のワインを持ってくるように店内トーカーに命じている。
「私にとっての最悪の事態を想定すれば、取締役会で連中が、代表取締役社長解任決議を発案することだ」
「解任決議ですか」
「ああ。出席取締役の過半数を確実に押さえれば、決議は可決され、私はこの地位を失う」
「でもそんな荒事したら、社内が大揺れになりますよ」
吉野さんが指摘した。
「おまけに、三木本商事くらいの規模の企業で社長解任動議なんか出たら、マスコミも大々的に取り上げます。当然、解任後に社長に収まる黒幕にも、大きな傷が付きます」
「あることないこと、新社長もマスコミに追われるのは、まず確実ですね」
「それも、平くんや吉野くんの読みどおりだ。だからそれは最後の手段だろう」
ワインが届いた。ママさんが新しいグラスに注いでくれる間、俺達は誰も口を開かなかった。どんな酒かの雑談すらしない。異様な雰囲気を読み取ったのか、ワインの説明もせず、ママさんは退去していった。
「普通に考えられるのは、過半数の役員をすでに押さえたと私に告げ、自ら退任するよう、強く迫ることだ。会長として残すとしてね」
「その線でしょうね」
俺もそう思うわ。落とし所として見事だ。だがおそらく、会長もないな。そこは社長の読みが甘い。社内への影響が残るからな、会長だと。多分、現社長は体調が悪く「お体のため」とかなんとか適当な理由をでっち上げて、監査役か相談役くらいに追いやるに違いない。
新しいワインを味わうと、ようやく社長の顔つきが和らいだ。
「吉野くん、平くん。私はしばらく、網を広げてみる」
「はい」
「お願いします」
「幸い、言ってきたのはその男ひとりで、社内で公にはされてない。反社長派役員の間でも、知っている人間と知らない人間がいるだろう」
「でしょうね」
せっかくの情報だ。焦って使わず、なるだけ温存しておくだろう。社長追い落とし勝利が微妙になったとき、大々的に社内にバラして一般社員層にまで「社長憎し」の空気を作らせ社長交代機運を盛り上げるのが、一番効果が高いだろうし。
ほんとにこれ、チェスとか将棋だよな。一手一手、相手の出方を見ながらゆっくり指していって追い詰めるってのが。こっちはこっちで、相手の出方を見て次の一手を変えるわけだし。
「ほとぼりが冷めるまで、君達は社内から離れていろ。どこかから茶々入れられると困る。ちょうど年末だ。年始に掛けて長めの休暇を取っても、不自然ではない。なんなら成人式終わりまで出社するな。……有給休暇は、まだ大分残っているだろ」
「はい」
俺と吉野さんは、顔を見合わせた。延寿の秘法を求める旅に遅れは出るが、とりあえず八年は寿命を回復した。焦る必要はない。ルシファーにしても、明日にでも攻めてくるってわけでもないだろうし。
それに「楽しく暮らす、楽しくサボる」ってのが俺のモットーだ。なら社長の提案は渡りに船。さっそく乗らせてもらうわ。社長命令なんだから、どんだけ休んでも、文句言われる筋合いないし。
「異世界案件は少人数。ひとり欠けると運営に支障が出る。だからふたりが同時期に休暇を取るのは、むしろ自然だ。調整して合わせたんだろうとなるからな。誰にも怪しまれないだろう」
「たしかにそうですね」
「では改めて、私達の団結のために乾杯しよう」
社長がグラスを持ち上げた。
「今度の奴は、かなりいい。開けたばかりだからまだ硬いが、それでも深みの真髄は感じられるからな」
グラスのわずかに触れ合う音が、狭い個室の壁に吸い込まれていった。
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