ep-4 第一の延寿

 吉野さんを連れ、会社の公式通路に戻った。タマに舐めてもらって出血だけは止まっていたが、社内診療室で頭の傷に包帯を巻いてもらい、経営企画室に顔を出して退社手続きを済ませた。労災で怪我した。今日はもう早退だ。


 ついでにシニアフェロー特権のハイヤーを呼んだ。鞄が重かったからだ。なんたって、ミスリルのチェインメイルが隠してある。混んだ電車で持ち帰るのは面倒だしな。


 この鎧はこっちに置いておくのか異世界の王宮クラブハウスか、きちんと運用方針として考えておかないとならない。ただ今日はもう面倒なんでな。


 シニアフェローとしてハイヤー使ったの、考えたら初めてだわ。すべての荷物と吉野さんを乗せて、マンションに向かわせた。


 同乗して同居をバラすわけにもいかない。俺は電車だ。


「クラブハウス」に着くと、吉野さんが、俺の寿命と延寿アイテムの使い途について、すでにみんなに説明してくれていた。きちんと。さすがは俺達の「肝っ玉姉さん」。マネジャーとして頼りになる。まあ経営企画室の業務でもそうだからな、実際。


「いいんだ平ボス。このアーティファクトは、平ボスが獲得したもの。どう使おうがボスの自由だ」


 タマは憮然と頷いている。


「そうだよ平。……あたしに話してくれればよかったのに。辛かったよね、きっと」


 先程まで泣いていたのか、トリムの瞳は赤い。吉野さんと同じだ。


「平さん、あなたの高貴なお心は、よくわかっています」


 キングーは、吉野さんと手を取り合っている。


「……お兄ちゃん」


 キラリンが抱き着いてきた。


「こらこら。苦しいだろ」

「……」


 俺の胸に顔を埋めたまま、なにも言わない。


「さてご主人様、じゃあ早速、アイテム使っちゃおうよ。どのくらい寿命が回復できるか、早く知りたいし」


 レナだけ普段通りで笑うわ。まあこいつはずっと前から真実を知ってたからな。当然ではあるが。


「そうだな。いつまでも引っ張っても仕方ないし、とっとと使うか。今晩はドワーフの宴会にも行かにゃならんし」


 レナにあっさり急かされて、むしろ気が楽になった。なんか俺の命の……とかで、みんなが緊張するの悪いしさ。


「楽しみだねーご主人様。ドワーフですら正体がわからなかったとかいう、謎のアーティファクト」

「これ、開ければいいんだよな」


 リビングの大テーブルに置かれた飾箱を、じっくり見てみた。


 石を切り出し、研磨して作った箱だろう。黒曜石のように真っ黒で、つやつや輝いている。表面には、こっちの世界で言うところのケルト民族模様のような、複雑な曲線の模様が描かれている。模様部分は、虹色に光っている。


螺鈿らでん細工かしら。貝殻を使った」

「吉野さん、これは貝じゃなくて、鉱物だと思うよ」


 トリムが覗き込んできた。


「ドワーフは鉱山の民。海辺にはあまり居ないからね。なんらかの特殊な鉱石を薄く削って貼り付けてあるんだよ。多分だけど」

「そう言われてみると、そうかも。さすがはトリムちゃんね」

「へへーっ」


 トリム、調子戻ってきたみたいだな。泣き腫らした目で笑ってるし。


蝶番ちょうつがいがあるよ、ご主人様。だから反対側の、この槌の飾りが鍵じゃないかな」


 たしかに、ドワーフがよく使うような金槌と木槌が十字に交わっているような金属の飾りが、箱の中央に取り付けられている。


「これを引っこ抜けばいいのか」

「表面に円形に擦れた跡があるから、捻るんじゃないかな」

「こうか」


 槌の飾りに手を掛けると、たしかに動く。回転させてみると、カチッという、微かな音がした。見ると、蓋の部分が微かに浮いている。


「……開けてみるか」


 隙間に手を入れて、蓋を開けてみた。中には真紅の布の詰め物があり、中央の凹んだ部分に、青く輝く、丸い物体が収められている。深い海の水青。そんな感じの色だ。


「たしかに、ドワーフの言うように、金属製みたいだね」


 顔をくっつけるようにして、トリムが観察している。


「でも、なんでできてるんだろ。あたしにもわからない」

「あたしもだ。見たことがない」


 タマは唸っている。


「不思議な色をしている。心が吸い込まれるような……」

「神秘的ですね」


 キングーも興味深げだ。


「食べたらおいしそう」


 いやキラリン、お前www


 ドワーフが言っていたように、握りこぶしくらいの大きさだ。サイズといい形といい、たしかに饅頭っぽくはあるが、雰囲気全然違うだろ。


「なんだか、ちょっと『珠』に似ているわね」

「ええ、吉野さん」


 マジそうだ。饅頭じゃなくて「珠」。俺の元には今、イシスの黒真珠、ペルセポネーの珠、それにドラゴンの珠がある。形もそうだし、こうしたアーティファクトとこいつは、醸し出す雰囲気に、近いものがある。


「とにかく使ってみようよ、ご主人様」

「そうだな、レナ」


 取り出してみた。重いな。ひんやりしている。


「えーとたしか、握り締めて祈ればいいんだったよな。俺の命を延ばしてほしいと」

「そうそう。間違ってエッチなこと考えちゃダメだよ、ご主人様」

「当たり前だろw」


 てか、そんなこと言われたら、エッチなことが頭に浮かぶだろ。カンベンしろよレナ。このアーティファクト握り締めて、吉野さんとの裸エプロン妄想しちゃったらどうするんだよ。責任取れよな、お前。


「じゃあ始めるぞ。……大丈夫とは思うが、なんか爆発とかしたらヤバい。一応、みんな離れてろ」


 全員距離を取らせると、俺は両手で珠を包み、瞳を閉じた。


 そして吉野さんのエッチなイメージを……じゃなかった。


 頭を振って、色っぽいバーチャル吉野の幻影を振り払った。レナー(怒)


 ひとつ深呼吸すると、俺は心を集中した。


 ――頼む。俺の寿命を戻してくれ。なるだけ長く。できれば、短くされた五十年分すべて。そうすれば、俺はもう延寿探しから解放されるんだ。頼む……。




――キン――




 頭の中で、氷が熔け割れるときのような音がした。続いて、謎の声が。




――イェルプフ、ドラージ、ハヤテ――

――祖霊の力に依りて――

――汝に畢生ひっせいの時を与える――

――シャイア・ブルトレア――




 と、手の中の珠が、急に熱くなった。だが、焦って落とすわけにもいかない。必死で熱を堪えていると、珠からなにかが、俺の手に入ってきた。手のひらから前腕、上腕、そして肩を透して全身に。ちょうど、血管を熱湯が流れているような感じ。酒を一気に煽ったかのように、体がかっと熱くなる。




――採納終了――

――三〇九〇日――




 それきり、声は途絶えた。ふと気づくと、珠や体の中に感じられた熱も、もう消えている。


 俺は瞳を開いた。心配そうな顔でこちらを見ているみんなが、視野に入った。


「……終わったようだ」

「どうだった、ご主人様。ちゃんと延寿できた?」


 レナが飛んできた。


「ああ……多分」

「何年。ねえ何年」

「そうだな……」


 なんか古臭そうな言い回しばかりでわからん部分もあるが、とにかくあの声は三〇九〇日とか言ってた。それが延寿日数だろう。一年は三六五日。ってことは十年もない。


「ちょっと待て」


 謎スマホでなく、普通のスマホを取り上げ、電卓アプリを起動する。


「八年と……ちょっと」

「そ、そう。良かったじゃん、ご主人様」


 レナは笑顔を作ってくれた。


「ああ……」

「おめでとう、平くん」

「良かったね、平」

「平さん」

「平ボス」

「さすがはあたしのお兄ちゃん」


 みんな祝福してくれたが、俺は微妙な気分だった。心の中に穴が開けられたように感じる。


 この延寿をたったひとつ手に入れるのに、どれだけ苦労したことか。


 国境の危険な大河を渡り、足元の怪しい登山をし、天国に上るやいなや、砂嵐の沙漠を縦断。地下で冥王と悪霊に取り囲まれ、今後は猛毒とネームド巣食う大湿地帯を踏破。魔族の本拠地で回転吊り天井に弾かれて頭を割り、ミノタウロスと対決した。その間、何度も死にそうな目に遭っている。


 ここまでやって、たった八年だというのか。俺が一瞬で失った五十年の、六分の一にも満たない。


 なら五十年分取り戻すには、どれほど苦労すればいい。どれほど仲間を危険にさらせばいい。どれほど吉野さんの命を……。


 我慢しなけりゃと思ったが、抵抗は無駄だった。


 心の糸が切れ、勝手に涙が溢れてきた。


「八年……。俺……」


 それ以上、言葉が出てこなかった。胸が詰まり、言葉はどこか奥のほうで迷子になって泣いている。


「平くんっ」


 吉野さんが抱き着いてきた。トリムもタマも。レナもキラリンも。


「大丈夫。平くんは大丈夫だから」

「ボスは強い男だ。パートナーよ。あたしが護ってやる」

「あた……しも」

「ご主人様。予定通りだよね。五年、十年を積み重ねていこうって話したじゃん。ボクも頑張るから。だから……だから」

「お兄ちゃん。あたし、もっともっと勉強するね。お兄ちゃんの助けになる。だって、だってそれが嫁の心得だもん」

「平さん……」


 キングーが近寄ってきた。決意を秘めた瞳で。


「僕も平さんと共に行きます。次の延寿を探す旅に。断られてもついていきますから」

「キングー……」


 いつも冷静な天使亜人のキングーだけは、静かに俺を見守っている。だが吉野さんもトリムも、レナも泣いている。キラリンも。タマは気丈にも堪えているが、顔を歪めて、苦しそうだ。


 ……くそっ。


 俺だ。俺が踏ん張らないと。みんなを悲しませてどうする。俺はこのパーティーのリーダーだ。泣いてなんかいられない。


 頭を振って涙を飛ばすと大きく息を吸って、肚に気合いを入れ直した。先程の声を思い返す。……まず、ここから解き明かさないと。


「タマ」

「なんだ平ボス」

「イェルプフ、ドラージ、ハヤテって、聞いたことあるか」

「なんだそれ」

「このアーティファクトが言ってたんだ。俺の頭の中で。多分、延寿の呪文だと思う。その呪文を使う魔法とかわかれば、延寿アイテムが俺達でも作れるかもしれないだろ」

「あたしは知らん」

「もう一度言って、平」


 トリムは瞳をごしごし、袖でこすっている。


「イェルプフ、ドラージ、ハヤテ、だ」

「ドラージっていうのは、ドワーフの真祖と言われている、伝説の存在だよ」

「そうか……」

「イェルプフはね、神話上のエルフ。三つに分かれていたエルフの系譜をまとめ上げたって伝えられてる。……まあ神話だけど」

「ハヤテは?」

「それは知らない。……キングーかレナは知ってる?」

「いえ、僕は知りません」

「ボクも」


 レナは首を振っている。


「前のふたりが人物名なら、最後もそうだろう。声は、祖霊の力に依り、延寿を施すって言ってたんだ。祖霊ってのはじゃあ、この三人のことかもしれないな。どう思う、レナ」

「そうかも。三支族だから、三人いるんじゃないの」

「レナの言う通りかもな」

「平くんが求めるものは、東の森にあるって、ペルセポネーさんは言ってたよね」

「ええ吉野さん」

「森にはエルフの里もある。第二の支族はやっぱり、エルフじゃないかな」

「かもしれませんね」

「たしかに、あたしの里はその方面にあるけどさ。でも、第二の支族だったとかいう伝説はないよ」


 トリムは首を傾げた。


「前も言ったよね、これ」

「そうだけどさ。トリムも知らないエルフの謎とか、もしかしてあるんじゃないのか」

「それは……あるかもしれない。エルフにもいろいろ……部族があるし」


 眉を寄せている。


「とにかくアスピスの大湿地帯を最後まで突っ切り、東の森に行くしかないだろう。平ボス」

「そうだな、タマ。……今日はこの後、宴会だ。とりあえず全部忘れて、楽しもう。なんにせよ、寿命は戻ったんだし。怪我が痛むって話にして、明日は有給休暇を取る。一晩ゆっくり寝て、明日もまったりのんびりしよう。うまいもんをたらふく食って遊ぶ。いろいろ考えるのは、明日の夜からだ」


 いったん言葉を切ると、パーティーを見回した。


「たとえ戦時下で明日の命も知れないどんなにシビアな状況でも、人間ってのは遊ぶもんだ。それが命だ。生きてるってことだ。……そうだろ、みんな」


 全員、頷いてくれた。

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