第三部エピローグ

ep-1 ペルセポネーの珠

「いよいよか……」


 俺は周囲を見回した。マジックトーチに照らされ、ドワーフの地下迷宮の壁が、てらてらと輝いている。微かに金属質の香りがする。俺とパーティーの目前には、大穴がぽっかり開いていて、底知れぬ暗闇が下に広がっている。


「みんな、準備はいいな」


 全員、緊張した面持ちで頷いた。


「始めるぞ」

「気をつけてね、平くん」

「わかってます、吉野さん」


 ペルセポネー奪還に成功した俺達は、ドラゴンどもと別れ、ドワーフの地下迷宮へと飛んだ。キラリンの力で。最深部、冥界の大穴の前まで。冥王ハーデスに相まみえるために。


 こっちにはペルセポネーの珠がある。問答無用で殺されはしないとは思うが、なんたって相手は冥王と無数の悪霊だ。なにが起こるかはわからない。一応全員に戦闘準備をさせているが、正直、なんの役にも立たないだろう。ただの気休めでしかない。


「ハーデス、出てきてくれ」


 腹から気合いを入れ、大声を張り上げた。勝負どころだ。


「話がある」


 周囲の空気が、ゆらりと揺らいだ。穴の底、奥深くから、微かな音が聞こえた。なんだかはわからん。


 しばらく、なにも起こらなかった。それから、どんっと、太鼓のような音が響いた。穴の底から。


 どんっ。


 どんっどんっ。


 どんどんどん。


 音はどんどんテンポを上げてきた。まるで……まるで、戦いを鼓舞する軍楽隊の太鼓のように。


「くそっ。やる気かよ」


 仕方ない。俺はバスカヴィル家の魔剣を抜き放った。


「全員、準備。タマ、吉野さんの大太刀抜刀。トリムは結界作っておけ。キングーは吉野さんの隣に移動してポーションの準備。キラリン、いざとなればお前が頼りだ。逃げるぞっ」


 言い終わる前に、突然、眼前の空気が揺らいだ。


「構えっ」


 俺の前に、冥王ハーデスが立っている。体長三メートル。凄い威圧感だ。油断しないようハーデスを睨みつつ、ちらと横目を使ってみた。周囲に悪霊はいない。ハーデスひとりだけだ。


 この間同様、豪奢なローブ姿で、金属製らしき、ど太い杖を構えている。


「小僧。なにをしに来た。逃げ帰り、せっかく繋いだ命だと言うのに」


 首を捻っている。


「命を粗末にしてはいかん。……そんなに冥界入りしたいのか」

「俺も仲間も、死にに来たわけじゃない」

「ならなんだ。こっちは忙しい。忌々しいドワーフの封印を解かねばならんからな」

「コレーだ」

「……どういうことだ」

「コレーを……ペルセポネーを救出してきた。魔族から」

「これは愉快」


 冥王は、大声で笑い始めた。笑い声の音圧で、あちらこちらの壁から、岩の欠片が散った。


「お前のような小僧にできるクエストではない。からかうなら、全員、この場で命をもらう」

「冗談じゃないんだ。ペルセポネーをさらったのは、ミノタウロスだった」

「ふむ。それは知っているのか。……なら、まんざら冗談でもないわけだな」


 ようやく、真面目な顔つきとなった。


「だが救出もくそも、お前はコレーを連れておらんではないか」

「ここにいる」


 懐からコレーの珠を掴み出すと、手を広げて見せた。


「……これは」


 ハーデスは黙り込んだ。食い入るように珠を見つめている。


「寄越せ」


 手を広げた。そろそろと近づき、グローブほどにも大きなハーデスの手に、コレーの珠を落とした。


 手を握り感触を確かめるような仕草をしてから、目の前まで持っていき、調べるように珠を見つめている。


「たしかにこれは、コレーの珠だ」


 食い入るように見つめていた珠から視線を外すと、不思議そうに俺を見下ろしてきた。


「どうやったんだ」

「ミノタウロスはコレーを珠に封じ、魔力を引き出して国境の結界封印展開に使っていた。その本拠地に乗り込んで、奴を倒したんだ」

「お前らがか。寄せ集めの、たった数人のパーティーではないか。それなのに、ミノタウロスを倒したというのか。しかも本拠地で。あいつの力がとてつもなく賦活される本拠地で」

「そうだ」


 天を仰ぎ、体を揺らしながら笑い始めた。ぐおっぐおっという、くもぐった笑い声が響く。


「こっぱヒューマンがリーダーの、このパーティーがか」


 まだ笑いが止まらないようだ。


「ボクのご主人様は、世界一のリーダーだよっ。ドラゴンを二体も従えているんだからねっ」

「ほう……」


 愉快そうな瞳だ。


「なかなか面白いのう、お前らは」


 手にした珠に、ようやく視線を戻した。


「まあいい……。コレー、ペルセポネーに戻るのだ」


 右手の人差指を、そっと珠に当てた。冥界の炎が、指先にぽっと浮かぶ。その炎で撫でるようにすると、珠は煙と共に掻き消えた。――と思ったら、冥王ハーデスの脇に、女性が立っていた。


 たおやかな印象の優しそうな女性で、柔らかそうな布をゆるやかに身に纏っている。人間で言うなら、二十代前半といったところ。ちょっと天使イシスと似た雰囲気が感じられる。身長は俺と同じくらい。だからハーデスよりはるかに小さい。


「ペルセポネーよ、よくぞ戻った」

「はいハーデス様。お会いしとうございました」


 ふたりはしばらく見つめ合っていた。それから、ペルセポネーが俺に瞳を移した。


「すべては、ここにいる者たちのおかげです」

「これは……礼を言わねばならんのう」


 冥王ハーデスは、ひざまづくと、杖を地に置いた。


「お前の名前は」

「平だ。平ひとし」

「平よ。そして平を助けた命知らずの勇者たちよ。お前たちに、このハーデスの、心からの感謝を捧げよう」


 頭を下げる。そのまま一分近くも、じっとしている。


「もう頭を上げてくれ、ハーデス。なんだか気恥ずかしい」

「そうか」


 ハーデスは立ち上がった。杖はまだ置いたままだ。俺達に礼を尽くしているのだろう。軍隊の「捧げ銃」のようなものだと思うわ。敵意がないという象徴の行為。


「ところでハーデス。ドワーフに地下迷宮を明け渡してくれるか」

「もちろんだ。もはや地上に向かう意味がないからな。……そもそも現世とはあまり関わりたくない」


 冥王は頷いた。


「地上は混乱しており生きにくい。知っておるかもしれんが、はるか過去のように、悪魔共が跳梁跋扈する時代が、また訪れようとしている」

「そうだな」


 魔族の内紛、そして他種族への侵攻計画は、ミノタウロスが口にしていた。その元凶がルシファーだともな。


「秩序にあふれた冥界こそ、理想の地だ。冥界の地で、ペルセポネーと共に静かに暮らす」


 傍らのペルセポネーの肩に、手を置いた。


「平よ、お前も現世に倦んだら冥界に来い。それなりの地位を用意しておいてやる」


 ハーデスの奴、とんでもないことを口にする。


「ふざけんな。死ねってことじゃんかw」

「嫌でもそうなる。誰しも死からは逃れられんからな」


 不吉な予言を口にすると、ハーデスはまた笑った。なにがおかしいんだかわからんが、冥王だと笑うところなんだろう。


「それに……お前。その調子で生きていれば、じきに死ぬ。戦闘で」


 それはまあ……否定はできない。そうなりたくはないが。


「……加えて戦闘せずともお前の命の炎は、もう燃え尽きそうではないか」


 鋭い瞳で、俺を見据える。


「見たところ、あと一年持たんな、お前の寿命。そろそろ、体のあちこちに不調が出てくる頃合いであろう」

「……とにかく消えてくれ。冥界の穴は、これで封じておく」


 イシスの黒真珠を取り出して、ハーデスに見せた。


「おう。それは……天使の珠」


 驚いたかのように、瞳を見開いた。


「それまで持っているのか。ドラゴンを従え、天使の珠を持ち、いくつものアーティファクトを保持するとは。……つくづく、お前は奇妙な運命の元に生まれているのだな」


 今度は、意味ありげな含み笑いだ。


「面白い奴だ。……冥界で会えるのを、楽しみにしていよう」

「だからよせっての」

「では冥界に戻るぞ。ペルセポネー」

「あなた。しばしお待ちを」


 ハーデスの手を振り切ると、ペルセポネーは小走りに駆け寄ってきた。


「平よ。そなたの高貴な心は、珠となり肌に接していて、伝わってきました。これはほんのお礼ですが……」


 俺の手を包むように握ってきた。なにかを手渡される。


「これは……」


 手を開いてみると、ゴルフボールくらいの大きさの珠だ。コレーの珠と同じく、鈍い銅色に輝いている。あの珠と瓜二つだ。


「これはペルセポネーの珠。わたくしの心の一部です」

「頂いてよろしいのでしょうか」

「そなたが困難な旅をせざるを得ないことは、知っています。この珠が、いずれ役に立つこともあるでしょう」

「ありがとうございます」

「大湿地帯から東に向かいなさい、平」


 ペルセポネーは、俺の目をまっすぐ見つめてきた。


「東には雨が多く降る豊かな大山脈地帯が広がっており、森の種族が多数住んでいます。彼らの助けを借りて、険しい最奥部の森と山を目指すのです。そこにこそ、そなたが求めるものが眠っているでしょう」

「は、はい」

「ただし、たいへん危険です。好戦的な種族と、わたくしをさらった魔族。彼らが、憎み合いながらも手を握っているので」

「どういうことですか」

「行けばわかります」


 ふと、トリムに瞳を向けた。


「そなたはハイエルフですね」

「……はい。トリムと申します。ペルセポネー様」

「しかも、王族巫女の血をひいている」


 トリムは黙って、答えなかった。


「平を助けられるのは、そなただけですよ」

「でも……あたし……」


 トリムはうつむいてしまった。なにか悲しげに眉を寄せている。


「大丈夫。心のままに生きるのです、トリム」


 励ますかのようにトリムの肩に手を置くと、ハーデスの傍らへと戻った。


「あなた……」

「うむ」


 ふたりの姿が、ふと霞んだ。


「平よ。此度こたびの働き、大儀たいぎであった」

「必ずや道は開けます。それを覚えておきなさい。トリム」


 声だけ残し、ふたりの姿はかき消えた。

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