9-8 天使の羽

「ご主人様、ご主人様っ」


 レナの声にふと気づくと、俺は地面に転がっていた。レナは胸を叩き続けている。


「くそっ」


 頭を起こすと、ミノタウロスは、俺の背後を睨んでいる。どうやら、気を失っていたのは一瞬のようだ。それでなければ、もう止めを刺されているはず。


「良かった。生きてる……」


 レナの涙が、頬にかかった。


「レナ、お前は」

「平気」

「なにが起こった……」


 ミノタウロスの視線を追い振り返ると、宙にキングーが浮かんでいた。神々しい黄金の光に包まれて。瞳を閉じ、手を胸の前で十字に組んで。背からわずかに離れた宙に、天使の羽が幻影として輝いている。


「あんな力が、キングーに……」

「さすがは天使の血筋だね、ご主人様」

「くそいまいましい天使の忌み子めがっ。煉獄の炎を中和するなどと……」


 ミノタウロスが呪詛の言葉を吐いた。そう言えば、キングーを連れていれば封印解除以外にも「なにかと役立つことがある」とは、天使イシスが天界で呟いていた。こういう事態も踏まえての言葉だったのかもしれないな。


「死んでもらおう」


 キングーに狙いを定めて構えたピッチフォークを、聖杖で払って叩き落としてやった。


「おっと。お前の相手は俺だろ」

「死なない小僧だ」


 溜息をついてやがる。


「冥王の使いなら、さっさと死んで冥界に帰れ、小僧」

「どうした。その槍がないと、なんもできないってか」

「俺を怒らせたな、貴様。俺を本気にさせた奴など、何十年ぶりかだわ」


 ミノタウロスの体が、赤黒く輝き始めた。熱い。凄い熱気だ。


「死ねっ」


 角の生えた頭を突き出し、前傾姿勢でラグビーのタックルのように突っ込んできた。俺を角で突き通し抱き潰す構えだ。


「ご主人様っ」


 それこそ闘牛のような突進だ。咄嗟に前に行くフリをした。相撲並にぶつかり合うと思わせておいて、スライディングするように仰向けになりつつ、ミノタウロスの胸を目掛け、ソロモンの聖杖を突き出した。


「ぐうっ!」


 ミノタウロスの体重が掛かり、高跳びの棒のように聖杖が反り返った。そのまま、先端が皮膚に食い込んでいく。


「よしっ」


 手応えがあった。先程とは異なる。明らかに強い手応えが。心臓を貫いたに違いない。


「行けっ! レナ」

「えーいっ」


 楊枝剣を構えたレナが跳びつき、ミノタウロスの喉笛を刺した。止めだ。


「ぐううううぅっ」


 走り込んだ勢いのまま、ミノタウロスは倒れ込んだ。数度体を揺らしたが、そのまま動かなくなる。


「……やったか」


 体を起こすと、背中に突き抜けたソロモンの聖杖を、俺は引き抜いた。情けない初期装備だと思ったが、やるときゃやるな、この「ひのきの棒」。


 そのとき、背後で大きな悲鳴が上がった。


 振り返ると、トロールやらサイクロプスやらが、炎に包まれ悶え苦しんでいる。


「ミノタウロスの耐炎魔法が効かなくなったんだよ、きっと。ご主人様が倒したから」

「そのようだな」


 エンリルとイシュタル、二体のドラゴンが吐き出す青い炎と赤い炎が、残存する敵を、次々血祭りに上げている。浮足立って逃げる奴もいるが、背後から容赦なく炎を浴びせて。


 キングーは、地に横たわっている。キラリンとタマが介抱しているようだ。キラリンが笑顔で俺に手を振ったから、多分、たいしたことはなさそうだが……。


 トリムはまだ矢を次々放って、残敵掃討を続けている。


「もう大丈夫」


 レナが抱き着いてきた。


「勝負は着いたよ。さすがはボクのご主人様。大好きだよ」

「それより、まだ戦いは続いている。俺達も戻るぞ」

「うん。キングーも心配だしね」

「そういうことだ」


 だが、案ずるまでもなかった。俺とレナが味方と合流する頃には、全ての魔族が地に倒れていたから。黒焦げになって。魔法の加護さえ消えれば、有象無象なんざドラゴンの敵ではない。


「平くん。体、平気?」


 イシュタルから下りた吉野さんが駆け寄ってきた。


「俺は無事です。頭が割れて痛いけど。……それよりキングーは」

「大丈夫だよ、平。今、意識が戻った。……でも」

「見せてみろ、トリム」


 横たわるキングーの手を取った。


「俺がわかるか、キングー」

「平さん……。僕、気絶してたんでしょうか……」

「わからん。ともかくお前、俺を助けてくれたんだぞ」

「そうですか」


 頭を振った。


「すみません。なにも覚えていなくて」

「お前、なんか知らんが、ミノタウロスの煉獄の炎とかいう技を、中和したんだ。天使の姿になって」

「ちょっと離れたところに、天使の翼の形の幻影が浮かんでたよ」

「そうなんですか、レナさん」

「うん。もうこーんなに、すごく立派な羽だった」


 レナが腕を拡げてみせた。


「あれ、天使の技なんだろ」

「知りません。ただ、平さんが死んでしまうと思ったら、体の奥が熱くなって、頭がぼうっと……。気がついたら横になっていて、トリムさんやタマさんが、介抱してくれていました」

「無意識に発動したのか」

「おそらく、魂の奥に封印されていた、天使の能力だろう」


 タマが呟いた。


「ボスの危機を前に封印が内部から破壊されて、能力が自動的に発動したんだ」

「天使の……封印」


 キングーは、ようやく体を起こした。はあはあと、まだ肩で息をしている。


「あっ」


 小さく叫んだレナが、俺の耳元に飛んできた。


「封印が解けて、他にも影響が出たみたいだよ。ご主人様」


 囁く。


「……たしかに」


 今、俺にもわかった。キングーの胸は、ミスリルのチェインメイルを通してわかるほど、膨らんでいた。どう見ても女のように。




●次話から第三部エピローグ開始!

全七話とたっぷりボリュームを取って、物語急展開&伏線回収しまくります

お楽しみにー

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