9-5 吊り天井
「平くん、怖い」
「くそっ」
吊り天井は回転しながら徐々に下りてくる。天井は三メートルほどと高いが、あの速度だと、あと五分かそこらで俺の頭までは下りてくる。そこから這いつくばったとして、三分のアディショナルタイムが追加されるだけだ。
「トリム、結界を張れ」
「でも……」
トリムは言い淀んだ。
「これ魔法の仕掛けだし、多分結界を突き破ってくるよ。単に岩が落ちてくるとかなら、防げるんだけど」
「いいからやれ」
「わかった」
トリムが周囲に矢を射り、結界を張った。
「タマ、周囲の壁を壊せ。岩を積み重ねてつっかえ棒にするんだ」
「うおーっ」
頷いたタマが、壁を激しくぶち壊し始めた。
「私も手伝う」
気丈にも、吉野さんが岩の塊を運ぼうとする。トリムやキラリン、キングーも一緒に取り付いたが、重くて諦めた。
「あたしがやる」
タマが黙々と積み重ね始める。
「お兄ちゃん、タマにもっと壁を壊してもらったらどうかな。別の部屋とか廊下に抜けるかもよ」
「そうだなキラリン。たとえそれが無理でも、窪みに隠れれば天井をやり過ごせるかも」
「それだよご主人様」
レナが瞳を輝かせた。
「よし。タマ、頼む」
タマは一箇所に集中し始めた。ぶち壊し、それを大急ぎで床に積んでは、また作業に戻る。
「見ろよあれ。あの悪あがき」
魔族どもが大笑いしている。
「無理に決まってるだろ。その程度、全部対策済みだわ」
「こいつら、もっと面白いものを見せてくれるぞ」
「こいつは楽しみだ。……どこまで耐えられるかな」
「こんな楽しいショー、久し振りだわ」
「おうよ」
「酒を持ってきたぞ」
歓声が上がった。
なにかの頭蓋骨を使った杯に、赤黒い液体をどろっと注ぐと、全員で回し飲み始めた。
すごい悪臭だ。腐った排泄物のような。これが酒だってのか……。
もう天井が、頭のすぐ上くらいまでに迫ってきた。轟々と、突き出した岩が回転しながら、凄い騒音を立てている。
あとなにかできることはないか。
俺は必死で考えた。
そうだ。この際、グレーターデーモンでもサタンでもいいから、とっとと召喚するってのはどうだ。そりゃ使い手としてのレベル不足で殺されるかもしれんが、このままじゃ天井に押し潰される。どっちにしろ死ぬなら、ダメ元だ。
だが問題は、時間がないってことだ。召喚し、使い魔契約を説得する間に磨り潰されてしまう。天井の降下速度がせめて半分なら、この手も使えるんだが。天井は淡々と機械的に、無慈悲に低くなりつつある。
「私の大太刀をつっかえ棒にするわ。長いから」
「ええ。一緒にやりましょう」
吉野さんの大太刀を直立に立て、みんなで周囲から支えた。が、回る天井に弾かれ、転がってしまった。ここぞとばかり、魔族が大拍手してやがる。
タマが積んだ岩も、あっさり崩されたり割られたりしている。
「くそっ。みんな集まれ。壁の窪みで屈むんだ」
全員、俺の周囲に駆け寄ってきた。だが、連中が言うように、窪みでやり過ごすのは無理そうだ。窪みの上部の岩が割れ落ち、その上にも回転吊り天井が見えてきたから……。
「平さん、僕……」
涙を浮かべた瞳で、キングーが俺を見上げてきた。
「平さんと死ねて良かった」
「なに言ってるんだキングー。俺達は死にやしない」
「言わせて下さい」
抱き着いてきた。
「心にぽっかり穴が開いたままの、長い人生。最後の一か月は、僕にとってこれまでの人生よりはるかに充実していました。平さんは、僕の命――僕の魂の恩人です」
「いい見世物だのう……」
魔族は大歓声だ。
「酒が進むぞ」
「あっ!」
吉野さんが叫んだ。誰かが投げたナイフが飛んできて、腕をわずかに切ったのだ。血が微かに滲み、床には粗末な石のナイフが落ちている。入り口の結界、一方通行で向こうからはなんでもできるんだな。よくできてやがる。
「てめえっ!」
頭に血が上り、俺は叫んだ。
「お前ら、絶対全員ぶっ殺す」
魔族が全員、拍手した。
「俺の大事な人に傷を付けたんだからな」
「おう、楽しみにしているぞ」
「まったくだ」
「全員磨り潰されて死んだら、魔法で体だけ蘇らせて、そのねえちゃんは俺が犯してやる。だから安心しろ」
「お前の粗チンではかわいそうだわ。俺がやる」
鎧を脱いで、下半身を露出した馬鹿までいやがる。我慢しきれないのか、もう反り返っている。
「てめえは一番に殺してやる」
俺が投げた岩は、そいつの目前で結界に跳ね返された。と、岩を投げるのに体を伸ばした俺は、回転岩に頭を弾かれ、激しく転倒した。
「平くんっ」
吉野さんが駆け寄ってくる。
「いやだ、血が出てる」
流れた血が、目に入って痛い。頭はもっともっと痛い。
「く……そっ。全員、腹這いになるんだ」
屈んだまま集まってきたみんなが、手に手を取り合って横たわった。もう天井の岩刃の先端は、寝転んだ俺達の頭上十センチほどまで迫ってきている。いよいよ、頭を横にして、少しでも時間を稼ぐしかない。
……だが、なんの時間を稼ぐんだ。死ぬまで、あと数秒だけ稼いで、なんの意味がある。
「お前ら、絶対許さない」
「寝転んだまま、なに強がってるんだ。えっ、勇者さんよ」
「どこまでも威勢がいいのう」
「まったくだ。俺は岩投げられたとき、殺されるかと思った」
「怖いーwww」
「これは酒が進む」
魔族は酒をぐいぐい煽っている。
そのとき、どこからともなく、声が響いた。
「その酒、余にも飲ませてくれるかのう……」
吊り天井の騒音を跳ね返すほど大きな声。
「だっ、誰だ」
見回している。
「お前ら、よくも我の一夜妻を……」
「イ、イシュタル。それにエンリル」
どういうことだ。封印により、ドラゴンはここには来られないはず。声だけ飛ばしてきて、連中を脅してくれるってのか。それともなにか、遠隔魔法のような必殺技が……。
頭をもたげた俺は、岩にまた叩かれ、気が遠くなった。
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