9-4 ミノタウロスの迷宮

「こんな地下までよく来たな」


 ミノタウロスの、冷静な声がムカつく。俺達のこと、毛ほども脅威と思ってない態度だ。


「ボス、こいつが間抜けな盗賊っすか」


 扉の陰から、何体かの魔族が顔を覗かせた。


「けけっ。こいつは愉快」


 どいつもこいつも、黒光りする下卑た顔だ。


「どけっ。俺にも見せろ」


 オーガの頭をひっつかんでどこかに投げつけると、トロールが顔を出した。


「おう。女がいるではないか。楽しみにしていろ。殺してから犯してやるからな」


 俺はみんなを振り返った。阿吽の呼吸でトリムが矢を射って、吉野さんとキラリンが毒薬のボトルを投げる。一瞬怯んだ隙を突いて、タマと俺が走り込んだ。俺はバスカヴィル家の魔剣で刺突の構えだ。


 だが、全ては虚しかった。なにか見えないゴムの壁のようなものが連中の前にあって、すべての攻撃は跳ね返された。さっきはミノタウロスに矢が当たるには当たったから、あれから結界でも張ったのだろう。


「諦めろ。この迷宮での俺の力は強大だ。なんにもできんぞ」


 ミノタウロスは嘲笑っている。


「間抜けな冥界の戦士が引っ掛かると期待していたんだがな。そのために死人しびと封じの罠まで作って。だがなんだ。ただのヒューマンに、木っ端使い魔ばかりではないか。どういうことだ。……ええいお前ら、静かに見ていろ」


 先程から見物を争って殺し合いしている(マジ剣で殺し合ってたりする)部下にうんざりしたのか、周囲の岩をボコ殴りで崩して入り口を拡げた。これなら部下も存分に俺達を見られるからな。気にせず拡げたということは、この部分にも結界はありそうだ。


 今はまっすぐ立ったミノタウロス。手には二又の、大きな槍のようなものを持っている。


魔槍まそう……ピッチフォーク」


 キングーが呟いた。


「平さん。あれは魔族特有のやりです。魔力を解放する力を持っている」

「ふむ。お前も奇妙だ」


 キングーを睨んだ。


「天界の力を感じる。天界が冥界に協力するとはな。……どうにも、どれもこれも常識外れだ」

「魔人ってことはお前、悪魔だろ。悪魔が常識語るなっての」

「どうしてここに来た。話せ」


 俺の悪態は丸無視して、続ける。


「コレーを解放するなら、話してやる」

「わかった。だから話せ」


 なんだ。あっさり認めるな。


「ご主人様、相手は魔族だよ」

「そうだったな。では今の条件、契約書にしてこい」

「ちっ……」


 なにか小声で悪態をついた。


「小賢しい妖精だ。お前、ただのピクシーではないな」

「ボクは、ピクシーでもコロボックルでもない。サキュバスのレナだ」

「お前のようなサキュバスがいるか」


 苦笑いしている。


「だが待てよ。……どういうことだ」


 目を細めて、まるで初めて見るかのように、レナを見定めている。


「ふむ……。たしかにサキュバスの気配もある。そんなはずは……」


 唸っている。


「興味深い。お前だけは殺さずに助けてやろう。俺の女になるならな」

「お断りだよ。ボクのご主人様は、ここにいるドラゴンライダー、ただひとりだからねっ」


 飛んできて、俺の胸のいつもの定位置に収まった。


「おうっ……」


 周囲を取り囲む悪魔どもがどよめいた。


「馬鹿を言うな。ドラゴンライダーなど、この世界にいるはずはない。あれはただの伝説だ。存在していたのは、はるか太古だぞ」


 ミノタウロスは苦笑いしている。


「ここにふたりもいるがな」


 タマが進み出た。


「ふみえボスもドラゴンライダーだ」

「こいつは愉快だ」


 悪魔全員に、大笑いされた。


「あーわかったわかった。俺もドラゴンライダーだ」

「俺もだ」

「俺様は子供の頃からだ。この基地にはドラゴンライダーが百人はいる」


 涙を流して喜んでやがる。


「助かりたいからと、こすっからい嘘を並べ立ておって」

「もういいわ」


 まだ続く部下の大笑いを制すると、ミノタウロスが叫んだ。


「情報を取り出したかったが、もう飽きた。こっちはコレーさえ確保していたらあとはどうでもいい。結界を維持できるからな」

「結界……」

「なんだ、それすら知らんでここまで来たのか」


 溜息なんかついてやがる。ムカつく野郎だわ。


「ヒューマンの地との境に立てた結界だ」


 ああ、あれか。シタルダ王国とライカン村の間にあった結界。あれで人間と『蛮族』との交流が途絶えたんだよな。マハーラー国王に、あの結界を解く方法を探ってくれって頼まれてる奴。


「平くん。あの結界、突然出現したのは、約百年前だよ」

「吉野さん。それって、ドワーフの地下迷宮に冥王ハーデスが出現した頃ですよね。……つまりペルセポネーがさらわれたのは、このためか」

「ペルセポネーをさらい、コレーの珠として封じて呪力を引き出したからな。あれであの広範囲の結界を作り、維持している。……さすがは冥界の女王。呪力は無限大に近い」

「なんで結界なんか作ったんだ。あんたら悪魔には、亜人や蛮族とヒューマンとの交易なんか、関係ないだろ」

「我々は、魔族大戦の真っ只中にいたからな」

「魔族大戦?」

「サタンとかいう時代遅れの存在を叩き出す、栄誉ある戦いよ」


 そういや、前サタン崩御に伴い、新サタン派と反乱派で内戦が起こってるんだったか。


「人間と魔物――お前らの言う蛮族――が、亜人を介して手を握り、介入してくると厄介だからな。さすがに人間と魔物の双方を封印するのは難しかったので、魔物のみを封印させた。ルシファー様の鋭いお考えだ」

「ルシファーだと……」

「お兄ちゃん。ルシファーは堕天使。悪魔の中の悪魔だよ」


 キラリンが叫んだ。さすが調べてるだけあるな。てか俺でも知ってるわ。その名前くらいは。


「お兄ちゃん。キリスト教では魔王サタンと同一視されるけど、実際は違う存在なんだ。天使ルシファーは神に反旗を翻して悪魔堕ちしてサタンに仕え、堕天使となった。そのサタンを今度は裏切ったってことだよ」

「どんだけ嫌な野郎だよ」


 よっぽどトップに立ちたいんだな。俺の会社の悪の黒幕みたいなもんじゃん。


「この結界により、サタン追撃に集中できた。サタンはわずかな手勢と共に逃げたが、その後手勢は全員死亡。サタンは孤立無援となり、どこぞに隠れた。もはや奴に力などない。魔族を支配するのはルシファー様だ。もちろん、人間やモンスターどももな」


 含み笑いを漏らした。


「内乱によって、魔族は混乱した。だが、その後始末は、終わったも同然。もう、すぐにでも準備が整う。ルシファー様の栄光ある進軍を、恐怖しながら待つがよい」


「もうひとつ教えてくれ」

「なんだ」


 ミノタウロスがぺらぺらとアホみたいに情報を流してくれるのは、俺達を見くびっているのと、殺すつもりだからだ。このチャンスを生かさない手はない。……まあ実際死ぬかもってとこだけ、情けないが。


「どうやってペルセポネーをさらったんだ。冥界に忍び込んで女王を奪取するとか、よほど頭が良くないとできない荒業だ。お前、相当頭が切れるな」


 適当に持ち上げてやる。


「簡単なことよ。部下をひとり殺して、冥界に送り込んだ」


 鼻を鳴らして続ける。


「ペルセポネーに近づき、奸計で秘薬『ナルシスの露』を飲ませて珠にした。部下の魂には、特別な魔法術式が仕込んであったからな。冥界でその魔法術式を起動。部下自らの魂をエネルギーとして使うことで、コレーの珠を俺の手元に転送させたのだ。エネルギーにされたそいつは冥界からも消滅したが、それはそれでいい。下手に存在が残ると、冥王ハーデスに利用されるからな」

「ルシファー様の策略だ。ナルシスの露も、ルシファー様がお造りになった」


 ミノタウロスの左右に居並ぶ雑魚が付け加えた。


「さすがはルシファー様。悪魔の王となられるお方だ」


 おべんちゃら丸出しだがな。


「王となる、ではない。もはや王だ。このたわけっ」


 ピッチフォークを振るうと、雑魚を串刺しにする。槍が輝くと、部下の体は干からび、砂のように崩れ落ちた。


「愚か者とはいえ、多少は魔力補充の役には立ったか」


 溜息をついている。俺に向き直った。


「お前達、ハーデスに命じられてここに来たのであろう」

「だからどうした」


 実際はちょっと違うけどな。まあ似たようなもんだわ。ハーデスも、犯人が魔族なのは知ってたし。


「ハーデスは俺の部下の残存思念を読み取ったのだな。……だから我々の陰謀を知った。取り返すべく、冥界から現世へと進行し、お前らに託したのだろう」


 ああそうか。地上に向け冥界から掘り進んだところで、ドワーフが冥界結界を踏み破り現世と繋がったってことか。


「冥王ハーデスは恐ろしい男よ。怒りのあまり、邪魔する存在はすべて殺すだろう。ハーデスと会ったお前らが生きていられたのは、奇跡だな」


 それでドワーフとの戦闘に入ったのか。問答無用で。


 だがドワーフの封印で、地上への道を封じられてしまったってわけか。今は誰かが封印を破るのを待っているってことだな。


「もういいだろ」

「いや待て。ルシファーって奴はどこにいるんだ」

「お前に関係ないだろ。死ぬんだから」

「死んだらルシファーに化けて出る。そのために場所が知りたい」

「なんだこいつ」


 ミノタウロスの部下がゲラゲラ笑っている。


「ルシファー様はな、『よこしまの火山』にお住まいだ」

「邪の火山……」


 トリムが呆然と呟く。心当たりがあるのかもしれない。


「まさか。それじゃあ……」

「まあせいぜい化けて出るがいいさ。そのためにも、お前らには、そろそろ死んでもらおう。お前が望んだんだからな、死ぬことを。化けて出たいんだろ。なら死ぬしかないじゃないか。ええ、間抜けな救出者どもよ」


 ミノタウロスがピッチフォークを振ると、歯車が噛み合うような大きな音が、どこかで響いた。しかも続いている。


「ご主人様、上っ!」


 レナの叫びに見上げると、天井が回転しながら下りてくるところだった。岩がきしむ音を立てながら。ゆっくりとだが、無情なくらい淡々と進んでくる。


 吊り天井じゃん。部屋が円柱状だったわけだわ……。


 天井は岩肌で、ごつごつした岩が刃のようにあちこちに突き出ている。あれでごりごりやられたら、押し潰される前に挽き肉になるだろう。俺も吉野さんも、使い魔やキングーも。


「平くん。怖い」

「大丈夫ですよ。吉野さん」


 すがってきた吉野さんを、俺はかき抱いた。岩が擦れた細かな粉が、吉野さんの頭に積もり始めた。

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