9-2 迷宮獄舎
二日後、準備万端に整えた俺達は、敵の本拠地についに上陸を果たした。
「あれが牢獄か……」
「ええ」
岩陰から前方の建物を覗き見ながら、キングーが頷いた。
「建物の中から、冥界の力を感じます。それもかなり強い」
「冥王ハーデスと共に冥界を仕切ってきたペルセポネーなら、強いわけだよな」
「はい。だからペルセポネーで間違いないと思います」
他の建物同様、不定形の醜い建造物だ。岩製に違いない。
ドワーフの地下迷宮で見たような、岩をくり抜いて造ったものではない。岩盤を何枚も切り出して、どうやってるのかわからんが、それを貼り合わせて造ってあるようだ。魔族は魔力が強大というから、魔法で固定してあるのかもしれない。
ここまで、トロールやオーガといった魔族が時折見回っている程度。特に警戒は感じなかった。だがこの建物の入り口左右には、鬼のような形相のマッチョモンスターが立っている。中になにか大事なものがあるからだろう。
「あの門番、仁王みたいだな」
「平ボス、あれはヤクシャ、鬼神だ。
「鬼神……。それであの表情か」
睨まれるだけで漏らしそうだわw それくらい恐ろしげな顔だ。
「ご主人様、ヤクシャっていうのは、
レナの解説を聞き流しながら、俺は対ヤクシャ戦をシミュレートしていた。
「矢で倒せるか、トリム。無音で始末したい」
「幸い、皮膚は普通に見えるから、矢は有効だと思う。……ただし一発で倒せないと、大騒ぎされるよ、平。だから睡眠矢はどうかな」
「睡眠矢?」
「あたしがパーティーに加わる前、グリーンドラゴン戦のために、睡眠薬作ったんでしょ。それタマからもらって、あたしが矢尻に仕込んだんだ」
「ああ、あの薬か。あっさりイシュタルに見破られて使えなかった奴な」
「うん。それ」
あんときゃ情けなかった。……まあ、薬が無駄にならんで良かったわ。
「ヤクシャなら身体能力は高いけど、薬には弱いと思うんだ。耐性がないから」
「どのくらい寝かせておける」
「わからないから、寝かせた上で毒矢を放って止めを差しておく」
「よし。トリムがあいつらを倒したら、急いで進む。中に別の獄司もいるはずだ。睡眠矢連発で行こう。建物の中なら動いても目立たないから、毒矢だけでなく、俺やタマの直接攻撃でも止めを差せるしな」
「わかった。いいみんな、行くよっ」
全員頷いたのを確認したトリムは、天に向かって弓を引き絞った。
「いやトリム、方向全然違うぞ」
「いいんだよ、平。直接狙うには岩陰から出ないとならないし、そうすると気づかれて騒がれるでしょ。岩の上を通して射つんだ。……やっ!」
小声で叫ぶと、矢を二本放った。続いてまたつがえて二本射る。今度は毒矢だろう。
放たれた矢は、岩陰から天を目指し極端に高い放物線を描いて落下すると、見事にヤクシャどもに命中した。肩の柔らかい部分だ。叫ぼうとしたまま崩折れた連中に、追撃の毒矢が刺さる。
そのまま動きはない。
「よし。いいよ、平」
「おう。行くぞ、みんな。戦闘フォーメーションだ。トリムは先頭に立て。敵がいたら、全員眠らせろ。止めより無力化優先だ。倒すのは俺とタマがやる。吉野さんとキラリンは自分が襲われたとき以外、戦闘はするな。室内だから火炎弾とか使うと、こっちまで危ない。アイテムを使って、エンチャンター兼ヒーラーに徹するんだ。全員、いいな」
「わかった」
岩陰から出ると頭を下げ、小走りに進む。今日は全員、ドワーフから借用中のミスリルのチェインメイルを着用している。人型にしてあるキラリンは、吉野さんと手を取り合って進んでいる。
先頭のトリムが、倒れたままのヤクシャを蹴った。確認のためだろう。実際、動きはない。
「よしっ」
こうして見ると、けっこうでかいな。身長二メートルくらいあるじゃん。マッチョだから体重二百キロは優にありそうだし。
トリムが扉に辿り着いた。押す。ノブはない。
「開かない」
振り返った。
「鍵だよ、平」
「仕方ない。ぶち破れ、タマ。なるだけ静かにな」
「うおーっ」
強烈な前蹴りをタマが食らわすと、岩の扉は三つに割れて落ちた。ごとっと、鈍い音がする。さすが、高レベルの格闘職だけあるわ、タマ。経験を積んだからか、出会って半年で、どんどん力も増してるし。
「急げ。離れるな」
タマに続き、弓を引き絞ったままのトリムが入る。
「吉野さん、足元注意です。扉の欠片を踏むと捻挫します」
囁くように注意しておく。吉野さんは、無言で頷いた。
内部に照明はない。窓が極端に少ないので、とにかく薄暗い。レナの話だと魔族は夜目の利く種族が多いらしいから、これでもいいのだろう。夜は最低限の灯火を灯せばいいし。
それになんだか臭い。アスピスの大湿地帯のような腐敗臭というより、生まれてから一度も体を洗っていないような、獣の臭いだ。空気は淀んでいて息苦しく、しかも暑い。いくら軽くて頑丈なミスリルのチェインメイルと言えども、熱気は防げない。すぐに俺達、汗まみれになるはずだ。
キラリンは、扉の外を注意深く見回している。それから振り返って頷いた。今の音で誰かが駆けつけてくる心配はいらないってことだ。とはいえ表にはヤクシャが倒れている。発見されれば大騒ぎになる。時間はない。
「キラリン、ここから転送できるか」
「大丈夫だよ、お兄ちゃん」
小走りに走ってきて、大丈夫と耳元で囁いてきた。
よし。ペルセポネー奪還に成功したら、こんな辛気臭い場所、とっととおさらばだ。
暗いんで足元が心配だ。ドワーフから借用中のマジックトーチで明るくする手もあるが、目立ってしまう。ステルス侵入中の今は、暗さはむしろ好都合と言える。
幸い、扉が落ちた音にも、誰も出てこない。誰も寄せ付けない猛毒&封印の大湿地帯にある本拠地だけに、侵入などないと慢心しているのかもしれない。
とにかく急ごう。
「キングー、冥界の力を感じるか」
「はい平さん。左手二番目の階段の下です」
「あそこか……」
建物の内部、ここは多分入り口ホールってとこなんだろうけど、設備はなにもない。ただ階段だけがあちこちに設けられており、階上や階下に繋がっている。
まるで迷宮のような造りだ。
ちょっとドワーフの地下迷宮を思い起こさせるが、あれは少なくとも機能に従った結果の迷宮状態だった。たとえば鉱石運び出しには急斜面は不便だから、長いだらだら斜面にする。ただし長い斜面だと空間に収まり切らないから螺旋状にする――とかな。そういう意図がちゃんと感じられた。
それに比べ、ここはただただ、人を惑わせるために迷宮状に造ったかのようだ。邪悪な意図を感じる。
それに階段と言えば聞こえはいいが、段の高さも幅もバラバラ。踏面だって岩を並べただけだから、平坦からはほど遠い。よほど注意していないと、それこそ足を挫くわ。山道の石階段だって、これよりはるかにマシだろう。
「全員、足元に気をつけろ。行けトリム」
ふわふわと軽い足取りで、トリムが階段を下りていく。弓を引き絞ったままの体勢で、足元を見ずに先に狙いを定めたままなのに、たいしたもんだ。里の森では樹上も枝を伝って楽々進むという、エルフならでは。さすがのバランス感覚だな。
少し先の踊り場から先の階段は、一八〇度、つまり逆向きに下に続いているようだ。
「ひとりで先行しすぎるなトリム。俺達はお前ほど素早く進めない。この階段、足元が怪しいからな」
わかったのか、踊り場で俺達を待ちつつ、その先の階段を睨んでいる。
「平、この先三十段ほどでまた踊り場。そこから階段が三方向に分岐してるよ。そのうちひとつは、逆に上に向かってる。残りのふたつのうちひとつは、すぐ先でまたふたつに分かれてる」
ややこしい作りだな、この建物。マジ迷宮じゃん。暗いし絶対迷うから、行きも帰りも、侵入者にとって超危険。とはいえ俺達はキラリンの力で転送されるから、関係ない。キラリンに感謝だな。
「キングー」
「右の階段下です、平さん」
「よし進め、トリム」
つがえた矢を前方に向けたままのトリムの背中を叩いて合図した。トリムがするすると階段を下り始める。時折、左右に弓を向けながら。
――そうして、俺達は迷宮の階段を上ったり下りたり。千鳥足のように進み、ついにペルセポネーが幽閉されていると思しき牢獄の前に立った。ややこしい道のりで、ここが地下なのか地上なのかすら、もうわからない。
ここまで、敵の姿はなかった。本拠地だけにやはり、さほど警戒する必要はないと踏んでるのかもな。
とはいえ、さすがにこの部屋の扉の前には、やはりヤクシャが二体立ってはいた。すでに門番と一度対戦していることもあり、トリムの矢の敵ではなかったが。今はもう、足元にだらしなく倒れているわ。
「キラリン、現実世界に転送できるな」
「うん、お兄ちゃん。棒が立ってるよ。このフロアなら多分、どこでも大丈夫。それにあたし、全然眠くない。安心して」
「了解だ。暑くて汗だく。そこに臭い埃が付くから、最悪に気持ち悪い。とっとと任務を完了して戻るぞ。……トリム、この岩のドア、開くか」
「ダメだよ、平。やっぱり鍵が掛かってる」
「トリム、扉が開いてもすぐには飛び込むな。中の様子を見てからだ。矢だけはつがえておけ。毒矢は使うな。最悪、敵と間違えてペルセポネーを射ってもいいように。眠らせるだけでいい。敵がいたら即、眠らせろ。始末は俺とタマがする」
「任せて」
俺はバスカヴィル家の魔剣を抜き放った。暗い室内で、奇妙な青い光を放っている。頼むぞ、魔剣。そう念じると、魔剣がぶるっと震えた。
「よし。タマ、ぶち破れ。多分入り口の扉よりは頑丈なはず。周囲に敵はいない。思いっ切り蹴り飛ばしていいぞ」
「うおーっ!」
大声の気合いと共に脚をぶん回して慣性を乗せ、タマが強烈な後ろ回し蹴りを放った。高い天井まで続く大きな扉が、轟音と共に崩れ落ちる。……タマ、どんだけパワーアップしてるんだよ。
埃もうもうで、中は見えない。ただただ暗いだけだ。俺は魔剣を握り直した。敵がいたら即、遭遇戦になる。
「平、中に敵はいない」
トリムが叫ぶ。
「見たところ、囚人もいないがな」
タマが唸った。
「どういうことだ」
獣人は夜目が利くし、トリムは森の民。さすがだ。この埃を通しても細部まで見えるとか、人間ではちょっと考えられない。だが肝心のペルセポネーがいないとは……。ふたりとも、さすがになにか見誤ってるんじゃないのか。
魔剣を鞘に戻した。敵がいないのなら、剥き身でだんびら下げているのは危険だ。
「平さん、たしかに中から冥界の存在を感じます。それも、とてつもなく強く」
キングーが俺の腕を取った。
「これだけの気配、ペルセポネーで、まず間違いないでしょう」
「よし。確かめよう。いるのかいないのか。……いいかみんな、注意して部屋に入るぞ」
ようやく埃が収まってきた牢獄に、俺達は踏み入った。
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