9 ペルセポネー奪還作戦

9-1 本拠地

「平くん……」


 吉野さんが、俺の手を握ってきた。怖いのだろう。緊張の汗で、手が火照っている。


「大丈夫ですよ、吉野さん」


 俺は手を握り返した。


 正面にアスピスの大湿地帯が続いているが、百メートルくらい先で紫の沼は途切れ、ごつごつした岩の大地になる。大湿地帯の中央部。そこだけ島になっているわけだ。小島ではなく、かなり大きい。


 俺達の周辺にも、ところどころ沼地から同じ岩が突き出ている。これ幸いと、俺達は、岩陰に隠れてここまで進んできたわけさ。ヤバいんで、キラリンも人型として召喚してある。


「あれが敵の本拠地……」

「ええ」


 島には、大きな不定形の建造物が点在している。建造物とはいっても、端正な様式美があるようなものではない。酔っ払いがバロック建築を設計したらこうなるといった、歪んで荒々しいものだ。


「平ボス。敵だ」


 タマが、目で方向を示した。


「今、俺にも見えた」


ある建物の背後から、三体ほど、モンスターが現れたところだ。いずれも人型。ただサイズが結構違っていて、多分ヒューマンより小さいと思われるものが一体。ゴーレムほどの大きさが二体いる。


「小さいのはゴブリンか?」

「いや。似ているが、あれはオーガだ。ゴブリンよりずっと狂暴で危険な奴」


 黒光りするゴキブリのような肌で、遠いから細部はよくわからないが、粗末な金属の鎧を身に纏っているようだ。腰には長い剣を提げている。


「大きなのはトロールだよ、ご主人様。格闘系の前衛モンスター」

「トロールだと厳しいよ、平。あいつら肌が極端に分厚くて硬いから、あたしの矢が通らない」


 たしかに灰色の、かさかさした肌だ。俺の体くらいはありそうな、冗談のように大きな棍棒を、軽々と振り回している。


「爆発矢でどうだ」

「やってはみるけど、目潰しくらいの効果しかなさそう。目を閉じられたらダメだと思う。……いずれにしろまあ、顔を狙うよ」

「それにご主人様、爆発矢を使えば、大きな音で敵全体に気づかれるよ」

「たしかに」


 遠距離から音もなく敵を倒すという、スナイパー的な弓使いの利点は消えてしまう。


「多分あのオーガが、三人のリーダーだよ、平」

「ご主人様、トロールは頭が良くないからね。オーガもそうだけど、トロールよりはマシだから」

「なるほど」

「どう攻めるの、お兄ちゃん」

「そうだな、キラリン……」


 俺は考えた。


「キングー、ペルセポネー……コレーが幽閉されている場所はわかるか」

「はい平さん。正面右のほうに存在を感じます。今見えている建物ではなく、多分その後ろの建物か、さらにもう少し後ろくらい」

「よし」


 天使の血を引くキングーは、ペルセポネーのような、冥界の存在を感知できる。


「幸い、このあたりの敵の警戒は緩そうだ。しばらく観察していても、あの三体しか出てこなかったし。だからまず沼を抜け、あの島に上陸しよう」


 全員が頷いたことを確認して、続ける。


「島の端、湿地帯側の岩陰に転送ポイントを確保したら、今日は現実世界に帰還する。今、俺達は湿地帯攻略用の装備だ。それを戦闘用装備に変更して、明日からペルセポネー奪還作戦に入る。……いや、明日は作戦を立てよう。今日、近づくにつれ、ある程度の情報を得られるはずだからな。それを元に、明日、計画を立案する。作戦実行は、明後日予定だ」

「いいわね、それ。ペルセポネーさんを救い出したら、その場でキラリンちゃんの力で現実に戻ればいいんだものね」

「ええ。作戦検討用に、吉野さんは、自分の謎スマホでたくさん写真を撮っておいて下さい」

「わかった」


 吉野さんが、俺の手をぎゅっと握ってきた。


「ただ、撮影に夢中になりすぎないように。足元には気をつけてくださいね。道を踏み外せば底なし沼だ」

「わかってる」

「タマは吉野さんに注意していてくれよ」

「当然だ。あたしはふみえボスの使い魔だからな」


 タマは頷いている。


「では始めるか、平ボス。今ちょうど、オーガ連中が建物に戻った。あれは多分、兵舎だろう」

「タマ、少しだけ待ってくれ」


 謎スマホを取り出し、俺は地図モードを起動した。


 例のラハムとかいうアスピスロードを倒してから、もうネームドは出なかった。迷路のように道を辿るだけだから、慣れたこともあり移動速度は上がり、十日ほどで、ここまで到達したってわけさ。


 とにかく複雑な、パズル並の迷路だった。だからこうして踏破地図を見ると、アスピスの大湿地帯の、こっち側一/四くらいは、ほぼ制覇したことになっている。くねくね曲がり続けた挙げ句、ぶっとい直線が入り口からここまで続いてるようなもんさ。


「うん。あそこが大湿地帯の中央だ。間違いない」


 勘違いがないことを確認した俺達は、そろそろと、岩陰を辿り始めた。敵の本拠地に向かい。

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