8-12 対アスピスロード戦
「さて、そろそろ奴が出る場所だが……」
周囲を見回してみた。三六〇度、いつもの毒湿地帯が広がっている。
どうやってもネームドとの一戦が避けられないと悟った俺達は、覚悟して進むことにした。事前に対アスピスロード戦を徹底的にシミュレートした上で。
ドワーフ連中と話を着けて、仕掛け付きのミスリル鎖を作ってもらってある。さらに咬まれたときの生存可能性をわずかでも高めるため、全員、ミスリルのチェインメイルを装備している。
それにトリムには、神経毒を塗った矢を大量に用意させた。毒を持つモンスターに効果があるかはやや疑問だが、もし効果があれば、奴の動きを封じられる。
この方法で、うまく行けば倒せるはず。ただこれ、囮作戦なんで、ちょっとでも全員の息が狂うと、囮役が死ぬ危険性が高い。諸刃の剣作戦だ。
「いいなみんな。事前の計画通り動くんだ。でないと誰か死ぬからな」
全員、厳かな顔つきで頷いている。囮役はもちろん俺だ。そのために今日は、先頭を進んでいる。
時間も、しっかり選んだ。俺達が太陽を背にした逆光で、奴の目をくらませるためだ。その時間帯まで王宮のクラブハウスで待機した上で、キラリンの力でアスピスロードの巣、その直前まで飛ばしてもらったってわけ。
すでに謎スマホの支配を脱したキラリンだが、今日は即、決戦なんでクラブハウスを出る時に人型にしてある。
いよいよ決戦の時は来た。奴の戦い方は、これまででわかっている。それが俺達の利点だ。逆に言えば、それしかすがるもののない、綱渡りの作戦ではある。
「行くぞっ」
俺は一歩踏み出した。
二歩、三歩。まだなにも起こらない。さらに数歩進むと、右前の毒沼から大量の泡が生じ始めた。
「来るぞっ」
俺のすぐ後ろに立つタマが叫ぶ。水面が急に盛り上がると、突き破って奴が出てきた。
俺達を見て、首を傾げる。
「なにがしたいんだお前ら。何度もちょこちょこ俺の巣をうろついた挙げ句、戦いもせずに逃げ帰るとか。まるで
「余計なお世話だ、ラハム。今日こそ年貢を納めてもらうぞ」
「真名を知られたまま逃してるのも気に入らん。お前らこそ地獄に落ちろ」
言うやいなや、もたげた鎌首で飛びかかってきた。もちろん、先頭に立つ俺に向かってだ。
と、タマが動いた。手にしたミスリルの鎖を振り回すと、奴の顔に叩きつける。
「むっ!」
咄嗟にかわそうとしたが、もう遅い。この鎖からは、有刺鉄線のように鋭い棘が無数に生やしてある。しかも返し付きだから、一度刺さると抜けない。しかも先端に分銅がある。
鎖が皮膚に食い込み、分銅がぐるりと奴のばか長い口を回って戻ると、鎖に当たって錠でロックされた。もう口は開けられない。
「よし。毒の牙は封じた」
タマが叫ぶ。
奴には手足がない。口枷を外すのはかなり難しいはず。蛇体ならではの、俺達の作戦ってわけさ。
驚き、一瞬すくんだ隙を見逃さず、トリムの矢が、アスピスロードの両目に突き刺さった。
「っ!」
言葉にならない叫びを上げ鎌首を高くもたげて、アスピスロードのネームド、ラハムは苦しんでいる。どれだけ皮膚が強固でも、眼だけは弱い。そう睨んだ作戦が成功した。これで奴の視界も奪ったことになる。
「今だっ」
バスカヴィル家の魔剣を抜き放った俺は、沼に落ちないギリギリまで走り、奴の胴をざく切りにする。さすがは魔剣。あの硬い皮膚をなんなく切り裂いている。紫と黄色の禍々しい皮膚の下の、なまっちろい肉が覗いている。
「タマっ」
「おう」
俺が斬った内部の肉に、タマは激しい蹴りを加えている。
「ぐっ……」
一声高く唸ると、奴の尾が信じられないほど素早く動いた。まるでタコの足のように、俺の体に絡む。
「平さんっ」
キングーの悲鳴が聞こえた。
「ご主人様。斬って」
俺の胸から、レナが叫ぶ。
「くそっ」
魔剣を振るったが、体勢が悪いので力が入れられず、皮膚を弱々しく削るくらいしかできない。体をぎりぎりと締められ、息ができない。あばらも折られそうだ。俺は、気が遠くなってきた。
「平ボスを沼に引きずり込むつもりだぞっ」
攻撃を続けながらも、タマが大声を上げた。
「なんでもいい。トリム、矢を放て。大量に」
「平っ」
鋭い風切り音が次々続いて、奴の体に矢が刺さった。だが皮膚が硬いだけに深くは刺さらず、すぐに抜けてしまう。たとえ毒に効果があったとしても、あれでは期待薄だ。
「お兄ちゃんっ」
キラリンは泣きそうな声だ。
と、俺の体は宙に浮いた。奴が身を引く。このまま沼に沈んで逃げるはずだ。キングーの保護範囲から離れれば、俺はすぐに毒で死ぬ。それに水中に引きずり込まれたら、一分と持たずに溺死するだろう。なんせ締め付けられていて、深呼吸や息止めすらできそうもない。
くそっ。俺、ここまでか。
目の前が白くなり気が遠くなった。なんか妙に気持ちいい。俺、いよいよ天国――は無理か。地獄に落ちるんだな。
と、急に体に強い衝撃が走り、目が回った。異世界の空が見えている。どうやら俺は横になっているようだ。ジェットコースターで振り回されるような感覚は消えている。俺、静止しているのか?
「大丈夫、平くん」
誰かが顔を覗き込んできた。
「吉野……さん」
「今、助ける」
見ると、手にミネルヴァの大太刀を構えている。キラリンかキングーに抜刀してもらったんだろう。
「えーいっ」
気合い一閃。俺は締め付けから解放された。
「……俺は」
首を起こし、体を見た。俺を締めていたのは、アスピスロードの下半身。それも今は、吉野さんの大太刀で分断されている。
「……っ」
「痛む。平くん」
「へ、平気です」
ようやく頭が働き出した。
「奴は?」
「逃げた。沼に沈んで」
注意深く水面を警戒しながら、タマが告げた。
「上半身だけだがな」
「倒せたのか」
「多分無理だよ、ご主人様。蛇体のモンスターは生命力が強いんだ」
「そうか、レナ」
そういや、同じく蛇体のグリーンドラゴン、つまりイシュタルは、対戦車ロケット砲の直撃を食らい大量に出血しても、死にはしなかったな。
「でもあいつにはもう視力がないし、胴体が真っ二つだから怪我の程度は酷い。もう二度と出て来られはしないはずだよ」
「なるほど」
俺は体を起こした。あちこち触ってみたが、とりあえず骨が折れたりはしてないようだ。
「危なかったね、お兄ちゃんっ」
キラリンが抱き着いてきた。
「ああ。……心配かけたな、キラリン」
「僕、心臓が止まるかと思いました。平さんが死んだら、もう僕も生きていけない……」
キングーは涙目になっている。
「ごめんな、キングー」
「いえ……」
涙を拭った。
「もう平気です」
「もう大丈夫ですよ、吉野さん」
吉野さんは、まだ大太刀を握り締めている。
「う、うん。なんか力入っちゃって、離せない」
「タマ頼む」
「ああ」
タマが吉野さんの手を優しくマッサージすると、ようやく、吉野さんは拳を開くことができた。大太刀を、背中の鞘にそっと収める。
「あいつを切り刻むの、俺の役目でしたよね」
「だって平くんが死んじゃうって思ったら私、もう夢中で……」
それ以上は言葉にならなかった。大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。
「私……私……」
「ありがとうございます」
抱いてやると、俺の胸で泣きじゃくる。
「吉野さんのおかげですね。俺が生きていられるの」
「見ろ、まだ胴体が動いてるぞ」
残された下半身を、タマが指差す。消防士の手を離れた放水ホース並にうねうねと動き回っていて、たしかに気味悪い。
「生命力が強いんだな。レナが言うように」
それにしても、ミネルヴァの大太刀、アーティファクトだけに切れ味凄いな。非力な吉野さんが振るったというのに、あの樽のような分厚いアスピスロードの胴体、プリンを切るかのように真っ二つじゃん。切り口はみずみずしいキウイのようで、ちょっと気持ち悪い。
「みんな大丈夫か」
「それ、こっちのセリフでしょ」
トリムが呆れたような声を出した。
「それもそうか」
思わず笑っちゃったわ。
「多少アクシデントはあったが、平ボスの囮作戦、見事に成功だな」
「ああタマ。結果オーライだ」
俺は天を見上げた。
「時間を選んだから、もう午後も遅い。今日はここまでにして帰還する。嫌な野郎が消えたから、明日からはさくさく進めるはずだ」
「喜んでるところ悪いけど、ご主人様」
「なんだよレナ」
「ネームドがあれ一体かどうか、まだわからないからね」
不吉なことを言う。
「……たしかに」
「ネームド自体レアだから、多分もう出ないとは思うけど、保証があるわけじゃない」
「わかったよ。明日からも気を抜かずに進もう」
全員、頷いている。
「よーしっ。じゃあ帰ろうよ、平」
トリムが手を上げた。
「強敵を倒した記念に、今日はおいしいもの食べようね。ドナツーとエレクアも」
「よし。なんか出前取るわ。あともちろんなんちゃってビールな、お前には」
「わかってるじゃん、平」
嬉しそうだ。
「なら僕も、ご相伴になってよろしいでしょうか」
いつも控えめなキングーが、珍しく希望を出した。
「平さんのところの晩餐、皆さんいい方ばかりなので、楽しいんです」
●次話より新章「ペルセポネー奪還作戦」、急展開です
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