8-11 デオキシリボ核酸供給の代償
なにか気持ちいい夢を見ていたよ。天国に遊んで、天使イシスやなぜかキングーと談笑する。キングーが口を開いて、俺になにか言う。俺はそれを聞いてどえらく驚くんだ。あっと叫んで。
「あっ!」
自分の声で、意識が戻った。
「あれ、ここは……」
見回す。
マリリン博士の研究室。例のテスラコイルが轟音上げてるし。俺は椅子に座ってて、前にいるマリリン博士が、スマホキラリンをとんとん叩くのを見ている。半分ほどに減ったビーカーコーヒーが、まだ湯気を立てていた。
「――というわけで、デバイス形態のほうは、へその緒くらいの存在になったってことよ」
「あれ……」
「どうしたの、平くん、ぼーっとしちゃって。なんかヘンだよ」
「いや俺、どうかしてました?」
「なんか目がとろんとはしてた。毎日激務だから眠いんでしょ」
「そうかな」
「コーヒー飲みなよ」
「……遠慮しときます」
「こんなにおいしいのに」
自分のビーカーを取り上げると、博士はコーヒーを飲んだ。
「あーおいしい。やっぱり水のpH調整しとくと、香りが立つね。次は七・六くらいまで上げてみるか」
いつもどおりの、アレな博士だ。コーヒーも普通に飲んでるし。なら今のは夢……。いや結構リアルだった。謎実験からの天国会話とか。
「レナ」
「なに、ご主人様」
「俺、なんかされたろ」
「はあ? 寝ぼけてるんじゃない」
あっさり笑われた。特段俺になにか隠してる顔じゃない。なら気のせいか。頭を振って、俺は目の前の会話に集中した。
「人間だって同じ。胎児の間はへその緒はとても大事でしょ。そこからあらゆる栄養と酸素を供給されてるんだから」
「まあそうですね」
「でも誕生すれば別。へその緒なんて、記念に取っておくくらいの存在にしかならない。キラリンもへその緒から独立した。今ではこの人型が本体。このスマホは、ただのIデバイスに戻ったってわけよ」
「だから同時に存在したってことですね」
「そうそう。極端な話――」
スマホを手に取って、振り回してみせた。
「これを壊したって、もう関係ない。キラリンは永遠に、あんたの使い魔として存在する。人型で」
はあ。なんとなく俺にも構図が見えてきたわ。
「つまり向こうの世界でも、ずっと人型でいられるってことですか」
「それは無理」
マリリン博士は首を振った。
「これまでどおり、限界が来ると消えちゃう。ゲージが回復して召喚できるようになったら、喚べば来る」
「でも人型キラリンは消えちゃってる。このIデバイスは無味乾燥な機械に戻ったから、キラリンからのメッセージは、もうなにも出ないんですよね。どうやって時間管理すれば……」
「声で呼び掛ければ、あんたの頭の中に返事くらいはできるから」
「なるほど……」
俺は、改めてキラリンを見た。んじゃあキラリン、ときどき消えちゃう以外は、もうレナやトリムと同じってことか。
「これからもよろしくね、お兄ちゃん」
「お、おう……」
まあいいや。天才の博士が言うんなら、正しいんだろうし。
「さて、これで解決ね」
博士は立ち上がった。
「さあ帰った帰った」
なにかが引っかかった。マリリン博士は、こんなにあっさりしたキャラじゃない。むしろ俺を引き止めて、無理難題を振ってくるパターンのはずだ。
「……なんか急いでますね」
「そりゃ、暇じゃないもの。研究は目白押しだし。ほら帰って」
ついつられて立ち上がった俺を、入り口に押し出そうとする。
「劣化する前に、あたしも早く実験に入りたいし」
「劣化?」
「あーいや、こっちの話」
「ちょっと待て」
明らかになにかがヘンだ。
「レナお前、俺に嘘ついてないだろうな」
「つ、ついてないもん」
「なんで目を逸した」
「別に……」
そういや、今気づいた。なんか俺、妙に晴れ晴れ、すっきりしてるわw 身も心も軽いというかなんというか。
「まさかお前ら……」
博士に背を向け、パンツに手を突っ込む。
「なにしてんの。あたし見て興奮した? エッチは無理だけど、抜くくらいなら協力してあげるよ。前も言ったけど」
「いや待て」
下半身には、特に違和感はない。だがなんだ。妙にしっとりしてるぞ、俺の謎棒。まるでスキンケアした後のようだわ。
手の匂いを嗅いでみた。
「油臭い……。博士」
「なに」
「モリブデングリス使ったろ」
「使ってないし。なんの話」
博士まで目を逸してやがる。レナは俺の胸の奥に隠れてるし。
「いや、グリスを潤滑剤として、俺の謎棒に怪しいことしたはず。モリブデングリスだろ。前、言ってたし」
「違うし。今日使ったのは、お肌に優しいシリコングリスだし」
「やっぱり……」
んじゃあ、あれは夢なんかじゃない。
「勝手に抜いたんか、あんた」
「いいじゃん」
すっかり開き直って、マリリン博士は、握った右手を上下に動かしてみせた。
「これ、普通はお金取られるんでしょ。あたし、ただでしてあげたし。すやすや寝入ってはいたものの、平くんも気持ち良さそうな表情だった。やっぱあれね。サキュバスと契約した男は違うわ。睡眠中でもいろんなことできるし」
「……なんで知ってるんだよ。俺が夢であれこれしてるとか」
「Iデバイスには所有者の妄想探知機能があるって言ったでしょ。あんたがサキュバスと契約したってわかったから、こないだ来た時に、睡眠時の性ホルモン血中濃度測定機能も追加しておいた」
「よくわからんが、要するに俺がエッチな夢見てるのわかるってことか?」
「そうそう。意外に理解早いじゃない」
ここで褒められてもなー。不吉な予感しかしないし。
「だから今さらいいでしょ、性細胞の一億や二億、あたしにくれても。あんた、このレナちゃんと、もう二百回以上、夢でエッチな行為に及んでるじゃないの。一回で一億も放出されるんだからね。どんだけ性細胞の無駄遣いしてんのよ。この絶倫ハゲ」
「いやハゲてないし。ふさふさだし。それに夢で射精しても、現実ではお漏らししないからな」
「へえ、じゃあ夢での射精はドライオーガズムって奴? 興味あるわぁ……。今度睡眠実験させてよ」
「お断りだわw」
なにされるかわからん。
「そんなにたくさん睡眠エッチしてるんだから、一度くらいあたしが抜いたって、誤差みたいなもんでしょ。どっちも睡眠中だから」
「それとこれとは話が別だわ」
「あんなに硬いもんだとは思わなかったわ。あたしの胸くらい柔らかいもんだと思ってた。それに火傷しそうなくらい熱いし。脈打ってるし。……やっぱり文献読むだけじゃあ、本質把握に限界があるわね。実体験しないと」
うんうん頷いている。
「興味があったから硬度計で測ったら、ゴム硬度にして九十度だった」
精子抜くだけじゃ飽き足らず、そんなことまでしてたんかwww さすがアレ科学者だけあるわ。
「硬度九十とか、カッチカチじゃない。ゴルフボール並だよ、あんた」
「余計なお世話ですわ」
「それにいずれエッチなことするときの勉強……というか予行演習ができてよかった。あたしもそろそろ恋する年代だし……。勢いよく出て顔に掛かったから、少し舐めてみた。デオキシリボ核酸って、ああいう味なのね」
「デオキシリボ核酸って、なんすか」
「頭文字を取るとDNA。遺伝暗号の主体となる分子だよ。遺伝暗号に関係する核酸にはデオキシリボ核酸とリボ核酸、つまりRNAがあって。それぞれの役割の違いは……」
俺の表情を見て話を止めた。
「学校で習ったでしょ、平くん」
「忘れました」
「呆れた。……まあいいわ。それよりなんなの、あの勢いで脈動するとか。鮭の放精動画を思い出しちゃったわよ。やっぱり人間も動物ね」
バレちゃったからもういいと思ったのか、頭が痛くなるような話を、ペラペラ続ける。新発見新知識を、誰かによっぽど話したかったんだろう。一応科学者だし。それにしても恋を夢見る乙女とか。こんなことしといて、なんだよ。はっきり言わせてもらうが……。
お前のような乙女がいるかw
「……レナもキラリンもガン見してたのか」
頷いたレナと異なり、キラリンは
「お兄ちゃんのエッチ」
「無理矢理されただけだろ」
「今度あたしもしてあげようか。嫁だし。もう見て覚えたし、いろんなエッチも検索しといた。嫁の心得として。日本伝統の四十八手って言うのも覚えたよ。駅弁とか」
「恥ずかしいこと、口にするな。お前、まだ子供みたいなもんだろ。Iデバイス時代入れても生後一年とかそこらだろうし」
「生殖機能は成熟してるよ」
マリリン博士のような口の利き方をする。やっぱ親子的だな。
「いつでもバッチコーイ」
頭が痛くなるキャラも引き継いでるし(謎)
「……それにレナ」
「なあにご主人様」
「ストッパーになれってあんだけ言い含めといたのに、使い手の俺を裏切るとか」
「だあってえ」
悪びれずもせず、笑ってる。
「ボクは愛の妖精だし。ご主人様の愛の体験を推奨する立場だって言われちゃうと、たしかにそうだなあって」
「それであっさり寝返ったのか」
「えへへ。でも気持ち良かったでしょ。ボクが博士にやり方を教えたんだよ。こう、全体を左手で握って、右手で先っぽを優しく撫でるように――」
右手で花を包んで摘むかのような、謎動作をしてみせている。
「特に裏側のこの部分を――」
「ああもういい。黙れ。お前はほんとにもう」
これはキラリンも謎知識をたっぷり仕入れたに違いない。俺の未来が心配だw
俺は博士に向き直った。
「終わったことは仕方ない。とにかく、もう二度としないで下さい」
「わかった。今度は間に合わせのグリスじゃなくて、ちゃんとエッチなジェル使うから。あんたがすやすや眠ってる間に、もう注文しといた。ネット通販の猫天で」
頭痛くなってきた。まあいいか、減るもんじゃなし(泣)
「あと俺の精子を用いたホムンクルス作製は禁じます」
「えーっ。それは困る」
不満そうな顔だ。
「こっちが困るわ。知らんとこで子供できとるとか」
「子供じゃなくて人工生命だし」
「どっちにしろ禁止だ」
「……わかった。ホムンクルスは諦める。あんたの精子を分析するだけにしとくわ」
博士は溜息をついた。
「その代わり、ひとつだけ頼みを聞いてくれる?」
「なんか頼まれる筋合いでもないと思うが」
「そう言わずにさ」
白衣姿のまま、俺の腕をそっと抱く。
「もうエッチなことした仲じゃない。あ・な・た」
「覚えてないし。寝てたし」
「なら今度は起きたままでしてあげるよ。特別サービス。なんならあたしも裸になって――」
「お断りします」
「なに、冷たいなあ……。あんたの業務に協力してあげてるじゃないの。今日だってキラリンの謎、解決してあげたし」
「……くそっ」
それ言われると弱いわ。
「チェックリストを作っといたんだ。それ埋めてくれないかな」
「チェックリスト? なんのです」
「それはね……」
博士の要請は、意外なものだった。
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