7-9 金属資源事業部長と「握る」

「あなたは、自分が川岸を送り込んだと思っている。自分の部下だし、実際、三木本Iリサーチ社の動向はあなたに筒抜けになったはず」


 海部金属資源事業部長の顔色が変わった。


「……誰だ」


 さすが勘が鋭いな。三段跳びで結論まで辿り着いてやがる。


 俺は大きく息を吸った。ここからが対決の正念場だ。


「川岸はあなたが送り込んだように、他の役員全員には見えてますね、実際。でも、それこそ『黒幕』の思う壺だ。陰謀がバレるとか三木本Iリサーチ社が失敗するとかの、不測の事態が起これば、あなたの責任にできる」

「社長レースで、私に傷を付けられるということだね」

「ええ」


 事業部長は、ソファーに深く背を沈めた。そのままなにか考えている。俺は続けた。


「おまけにIリサーチで問題が起こらなくてもいい。それならそれで、黒幕がいちばん得するから。一石二鳥どころか、一石三鳥、いや四鳥くらいの良手だ。単細胞の川岸なんかと違って、この黒幕は相当に頭が切れる」


 海部は唸った。


「川岸は、キー情報だけは握って隠し、そいつひとりに流しているんだな」

「普通はそうするでしょうねえ」

「そうか……」


 もうすっかり冷めてしまったコーヒーを口に運んでいる。


「誰なんだ」

「ねえ海部さん。俺は今、自分を危険に晒し、あなたに情報を与えている。この話をあなたが他の役員に漏らせば、俺は終わりだ。いくら社長派シニアフェローとはいえども、始末されるでしょう」

「そうはならない。安心しろ」

「これだけのリスクを背負って、俺は話している。……無償ですか?」

「ふん……」


 事業部長は、身を乗り出した。ひそひそ声になる。


「なにが欲しいんだ。出世の確約か?」

「それは無理ですね。さっきも話したとおり、俺はもう出世できない。シニアフェローですからね。スペシャリストコースに分岐した頂点ですから。経営陣を目指すマネジャールートへの路線変更は、もちろんもうあり得ない」

「なら金か」


 唸った。


「では法人を作れ、平くん。実質、君ひとりだけの。株式会社設立には役員が最低ふたり必要だが、君と吉野くんでいいだろう。約款やっかん上の業種は、コンサルティングファームがいい」

「はあ、コンサルティングの顧問料って奴ですね」

「そうだ。私の権益から君の企業に年間三桁の金を落とすくらいなら、なんとでもなる。もし私の将来が輝けば、四桁だって行ける。問題はない。法人の作り方がわからなければ、知り合いの行政書士を紹――」

「ご配慮ありがとうございます。……ただそれも不要です」


 将来が輝けばってのは、自分が社長レースで勝ったらって意味だな。


「では、なにが希望なんだ」


 さらに身を乗り出してきた。


「遠慮なく言ってみたまえ」


 優しげな声だ。これで騙される奴も多いだろうなと、ふと思った。


「なにもいりません」

「なにも……?」


 体を離すと、首を捻りながら俺を見つめている。


「ええ、なにも。……ただ、俺と吉野さんの邪魔だけはしないでほしい。俺達が手掛ける案件は放っておいてほしいんです。いいでしょ。どうせ社長レースとはまったく無関係の、筋の悪い経営企画室案件なんだから」

「わかった。そうしよう」


 即座に決断すると、事業部長は大きく頷いた。


「この件で、君は私に大きな貸しを与えることになる。それでどうだ」

「助かります」

「では話せ」


 がっつきすぎwww ジェントルマンの仮面、もうすっかりハゲてるじゃん。


「ここまで引いておいてなんですが、実はまだわかっていないんです」

「そうか」


 おや、怒りもしないな。あっさり納得してやがる。


「たしかに君は、『炙り出そうとしている』と言ってたものな」


 さすが鋭い。ここ三木本のメイン部門で、のし上がってきただけある。


「ええ。何人か候補は浮かんでいます」


 実際はCFOの石元が鉄板と思われるが、ここはあえて数人と濁しておく。ひとりとか言うと、こいつにも悟られる可能性があるからな。なんたって切れ者だし、今はもう川岸の陰謀に気づいた身だ。その前提で考えるわけだし。


「そのうち見えてくると思うので、そうしたらあなたにはお教えします」

「社長にも言うんだろ」

「当然ですね。俺は誰かのために動くんじゃない。汚らしい害虫を退治して、三木本を良くしたいだけなので」

「それでいい。私も害虫退治には賛成だからな」


 斜め下を向き、事業部長はしばらくなにか考えていた。それから俺に向き直る。


「私はこれまでどおり、川岸と接触しよう。態度は変えずに。……ただ、アンテナ全開で接触する。なにか探り出せないか、いろいろ試しながらな。君とは定期的に、情報の摺り合わせをしよう。それが我が社の未来のためになる」


 まあ我が社というより自分の未来のためって考えてるんだろうが、三木本を掃除できるなら、俺は結果オーライだ。


「了解しました」

「それと今この瞬間から、君と吉野シニアフェローを、私は全力で護る。いきなり表立って守護するのは論外だから、やんわりと社内の議論を誘導する方向でな。カモフラージュのため、ときどき君たちをけなしながら」

「助かります」

「君と吉野くんは、社長に続き、私の守護も得た。思う存分、三木本で暴れたまえ。正面は社長が、背後は私が固める。……正直、役員会議での君の大暴れが大好きでね」


 初めて微笑んだ。思ったよりいい笑顔だ。


「ありがとうございます」


 差し出された手を、俺は握り締めた。


         ●


 事業部長室を出ると、もう夜だった。神経を磨り減らす面談が、長時間続いた。冬というのに、緊張で冷たい汗まで掻きまくったし。さすがに疲れたわw


 ほっと息を吐くと経営企画室に戻り、退社手続きをして本社ビルを出た。


 クラブハウスはまだ家具や設備が揃い切ってないし、連日吉野さんの家に転がり込むわけにもいかない。今日はおとなしくアパートに戻り、レナと半額弁当&なんちゃってビールを楽しむわ。どうせトリムも酒と三助目当てに来るだろうし。……もしかしたらキラリンも。


 どんな弁当にするかなー。たまには贅沢するか。久し振りに猫泉のカツサンドとかどうよ。あれ半額まで残ること割とあるんだよな。元が高いからさ。


 自宅で「追い辛子」して食うとスパイシーで、つまみに最高! ビール(なんちゃって)が、進む進む。


 などとニヤけていたら、横から声が掛かった。


「平シニアフェロー」


 聞き覚えのない声だ。見ると黒塗りの高級車。ウチの役員専用車だろう。地下駐車場から出たスロープ途中に駐めたままになっているし。後部座席のスモークウインドウが開いて、知った顔が見えていた。


「平くん、ちょっと話がしたいのだが。どうかね」


 声を掛けてきたのは、三木本商事CFO、つまり最高財務責任者の石元だ。役員会議でよく俺に絡んでくる奴。もちろん、手下の川岸を守るためだろう。


 社長、副社長に続く、ウチの経営陣のナンバースリー。専務や常務より、はるかに社内政治力がある。


「乗りたまえ。移動しながら話そう」


 川岸を陰から操る、陰謀の黒幕野郎。とうとう直に乗り出してきたーっ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る