5-6 日本橋猫越でスーツを
「吉野さん」
声を掛けると、正面入り口、猫の銅像の脇に立っていた吉野さんが振り返った。
「平くん」
「待ちました?」
「ううん」
瞳を和らげた。
九月もシルバーウイークに入って、俺も吉野さんも長い休暇中。真昼と言えどもだいぶ涼しくなってきたので今日の吉野さん、長めのスカートに薄手のニットセーター、それに軽快な感じのコートを羽織ってる。
全体にフェミニンな装いだ。考えたら秋の私服の吉野さん見るの、初めてだわ。なんというか、めっちゃかわいい。今すぐエッチな行為に及びたいくらい。男ってこれだから>俺
「かわいいですね」
「ありがと」
微笑んだ。
「平くんにほめてもらえると、すごくうれしい」
「良かった」
「平くんは……いつものスーツで来たのね」
「ええ、見てもらったほうが話は早いと思ったので」
ここは呉服屋として江戸時代から続く日本橋の老舗、猫越百貨店。この間の川岸の侮辱が気になったのか、一緒にスーツを買おうと、吉野さんに頼まれたんだ。
まあ俺は今のぼろスーツのままでも、恥ずかしくもなんともない。仕事用の制服みたいなもんだし。中坊だって、学生服でカッコつけても痛いだけだろ。
でも新調することで吉野さんの心の引っ掛かりが取れるなら、別に買ってもいい。買わないことにこだわってるわけじゃないからな。どうでもいいと思ってるだけで。
前々から勝負服買えってアドバイスされてたし。ちょうどいい機会だ。
「じゃあ行こうか、平くん」
「はい。今日は付き合ってくれたお礼に、晩飯ごちそうします」
「わあ、楽しみね。はい……」
手を差し出してきたので、握ってあげた。
「何階ですかね」
「紳士服は二階ね」
恋人繋ぎしたまま、一階の雑貨など冷やかしながらエスカレーターに向かう。つい最近、著名建築家、猫研吾によるリニューアルがあったため、什器もすべて新品で輝くよう。デパートは華やかでいいな。
二階で降りると、吉野さんは紳士服コーナーを通り過ぎた。
「あの、吉野さん」
「いいのいいの。私も紳士服はよくわからないから、ねっ」
なんやら知らんが、そのまま俺を片隅のカウンターに導く。パーソナルショッピングデスクとか書いてあるな。
ふたり並んで椅子に座ると、吉野さんがなにかカードを取り出して、カウンターのねえちゃんに渡した。
「いらっしゃいませ」
ねえちゃんは、吉野さんのカードを読み取り機に通し、PCの画面を見た。それから席を外すと、どこかに電話を掛け、また戻ってきた。
「いつもお世話になっております、吉野様。本日はどのようなご用命でしょうか」
「彼のスーツとシャツをお願いしようと思ってます」
「承知いたしました。担当者が参りますので、しばらくお待ち下さい」
にっこり。
「これはお嬢様」
後ろから声が掛かった。担当者来るの早っw 振り返るとブラックスーツ姿の、五十代くらいのおっさんだ。駆けてきたのかよってくらい早かったな。
「神戸元町店では、いつもお世話になっております。マネジャーの小山と申します」
「神戸?」
「ああ平くん。それ父よ」
「はあ、なるほど」
よくわからんが、吉野さんの父ちゃんが、神戸猫越で太い客みたいだな。家具輸入商社経営って話だったから、零細商社とはいえ、結構儲けてそうだわ。神戸ってことは、芦屋とかの金持ち相手の商売だろ、多分だが。
吉野さんがカウンターで出したカードは、家族用の顧客カードかなんかかな。それ見たねえちゃんがお得意様と判断して、おっさん呼んだと見た。知らんけど。
「本日は、こちらの殿方のお召し物だそうです。スーツとシャツ」
ねえちゃんが説明している。
「ではご案内します。こちらへ……」
おっさんに促され、俺と吉野さんは立ち上がった。
「ご連絡いただければ、ご自宅にお伺いしましたのに」
これもしかして、噂に聞く百貨店外商部って奴か。得意先だけ相手する専門部署。小山さんってのは、外商部マネジャーだなきっと。
俺のボロ狭アパートに外商部が来るの想像すると笑えるわ。\(^o^)/<こんな感じでお手上げになったりしてw でもプロだから、実際には絶対ヘンな顔はしないだろうけど。
それにしても吉野父、どんだけ金落としてるんだよ。
「いえ、今日はどちらもオーダーで考えているので」
「なるほど。それではご自宅だと難しいですね。かしこまりました。とびきりの担当者をお付けしますので」
後ろ、つまり俺達のほうを向きながら、器用に滑るように進む。紳士服コーナーを突き進み、スーツのオーダーカウンターすら通り過ぎて、広い採寸室まで直接案内された。
「お待ちしておりました」
採寸室で待っていたのは、六十代くらいの渋いお姉様だ。光沢すら感じられる白いシャツに黒いタイトスカート、細身のブラックスーツ姿。もちろん靴はピカピカ。いい感じに白髪が交じった髪は、きれいに整えられている。首に採寸用のメジャーを掛けてるな。
紳士服の担当者というから男だと思い込んでたから、ちょっとだけ驚いた。
「オーダースーツ担当マネジャーの、泉と申します」
「平です。よろしくお願いします」
「本日は、スーツとシャツのオーダーですね」
これ、カウンターのねえちゃんから連絡入ってるな。あのねえちゃん、気が利くわ。
「はい。スーツを二着、あとシャツを五枚ほど。今日は参考までに、普段着てるスーツで来ました」
「なるほど。助かります」
少し離れると、俺の姿を、頭から靴の先まで眺めている。
「生地と仕立ては今ひとつですが、着こなしのセンスは見事であられますね」
「ありがとうございます」
この安もん吊るしを「今ひとつ」まで格上げしてれるんかw まあそりゃ正直に「酷いですね」とは言えんか。
「なんとなくお好みはわかりました。……ではスーツから決めましょう。その後、スーツのスタイルに合うように、シャツの形を決めます。ついでに何本か、スーツの色やスタイルに合うお薦めのタイも、ピックアップしましょうか」
「ではタイもお願いします。ピンドットとレジメンタル、あと古典的な柄があれば。ただベーシックでも、ペイズリーのようなのはあんまり好きじゃないです。幾何学的な奴が好みなので」
「お任せください」
微笑んだ。
ちょうどいいや。プロ見立てのタイっての、知りたいし。順番としては、まあそうだろうな。
「もう秋ですが、スーツは冬用になさりますか」
「いえ。今はネコテックとかの高機能下着があるんで、スリーシーズンで。ウインタージャケットは着たことないし、また考えます」
「承知いたしました」
「それでは、私はこれで失礼します」
小山外商部マネジャーが、頭を下げた。くれぐれもお願いすると泉さんに言い残して、試着室を後にする。
「色はチャコールグレイ。それも黒にすごく近いくらい濃いのがいいです。あと紺が一着と」
「生地のお好みはありますか」
「グレイの方は、自然で落ち着いている生地。紺はスーツとしてはありきたりなんで、ちょっと素材感があって平凡に見えない奴がいいです」
「なるほど」
泉マネジャーは頷いた。
「スタイルはいかがでしょうか」
「俺、ファッション凝ったりしないので、流行に左右されない、自然なシルエットのものがいいかな」
「ではアメリカンスタイルがよろしいですね」
「ただ色とかシルエットとかが地味なんで、細部の作りは思いっ切り古典的にしてもらいたいんです」
「そのへん、イギリスの古典テイストを取り入れましょう。チェンジポケットとか、本切羽の袖とか。ブリティッシュスタイルでガチガチのスーツだとさすがに堅苦しいので、アメリカンスタイルベースは、いい塩梅ですね」
「お願いします」
「ちょうど今、スーツではクラシック回帰が流行りつつあります。意外にトレンド感も出せますし、かつ流行遅れにはならない。いい選択です。あと……」
斜め上を見て、なにか考えていた。頭の中に仕上がりをイメージしているのかもしれないな。
「……あと襟幅や襟の詰めなどは、どの程度流行を入れますか」
「ベーシックで」
「それではオーソドックスで、平様の体型に合った襟で仕立てましょう」
検討の緊張が取れたのか、ほっと息を吐いた。頷く。
「おおむね、わかりました。ご指示が的確で明確に美意識を持っておられるので、私もやりがいがありますね」
「よろしくお願いします」
「紺とチャコール、それぞれ国産と輸入で生地見本をいくつかお持ちしますので、選んでいただけますでしょうか。生地でおおむねコストが決まりますので、その折に上代をお伝えします。生地がお気に召さなかったら、また別のものを持ってまいります。私に遠慮せず、何度でもダメ出ししてください。生地選択が一番重要ですので」
「はい、ありがとうございます」
「生地選択の後に、本日、採寸いたします。後日、仮縫い状態で試着して頂いて微調整。それから本縫いに入る段取りです」
泉さんが姿を消すと、吉野さんが手を握ってきた。
「平くん、今日はとりわけ素敵。カッコいいわ」
「そうですかね」
「うん。私なんか、服選ぶときは緊張しちゃって、ダメよ。お店の人の言うがままになっちゃう」
それでボンデージとか買っちゃったのかな。それ、店選びから失敗してる気がするわ。……でもあのボンデージ、使い途はあるよな(ムラムラ)
「じゃあ今度、付き合いますよ。吉野さんの冬服を買いましょう」
「ありがとう」
俺の体を横抱きにしてきた。
「その日、大荷物になるから、持ってね。……私の家まで」
「当然です」
「そのまま泊まっていってくれる?」
「ええ」
「うれしい」
俺は、心の中でガッツポーズした。また幸せ一夜を過ごせるじゃん。うれしいのは俺のほうだわ。
「なんなら今日も泊まりましょうか」
「えっ。いいの?」
「ええ。天使亜人のキングーに教えてもらった情報を今後にどう生かすか、シルバーウイークの間に詰めときたいとは思ってたんで」
「そうか。みんな呼んで検討しないとね」
「ええ。使い魔連中全員集合で」
「……じゃあ晩御飯はウチに変更ね」
「そうですね。せっかくデパートに来たし、地下でオードブルを見繕って、出前寿司でも取りましょう。約束通り、俺が出します」
「お寿司、いいわね。食べるの久し振り」
「キラリンが増えたから、全部でえーと……五人+レナか」
「実はこんなこともあろうかと、寝室のベッドをお布団に変えたんだ」
「へえ」
知らんかったわ。
「キラリンちゃんもいるし、もうベッドでの雑魚寝は無理かなって」
「なるほど」
「お布団なら何枚でも拡げられるから、寝室いっぱいまで、何人でも眠れるでしょ」
「そうですね」
ベッド雑魚寝も良かったんだけどな。なんせくっつかざるを得ないし。
「でもちょっとだけ残念ね」
「なんでですか、吉野さん」
「ふたりっきりは、今日は無理か」
下を向いて床を蹴るフリ。溜息ついてるな。
「まあいいじゃないですか」
「でも……」
「機嫌直して、ほら」
こらえきれずに、キスしちゃったわ。
「ダメよ。リップ落ちちゃう」
急にキスされて吉野さんびっくりしてたけど、くたっと体の力が抜けると、瞳を閉じて、俺の自由にさせてくれた。俺の舌に、不器用ながらおずおずと応えてくれたし。
かわいいなあ、吉野さん。これが彼女だなんて、俺、なんて幸せ者なんだ。今日は無理にしても、近々、吉野布団であれこれしてあげよう。布団エッチってのも、風情あって色っぽいかも。ああしてこうして……。
吉野さんを抱く腕に、思わず力がこもったわ。ぎゅっと抱くと、俺に塞がれた唇の隙間から、吉野さんがあえいだ。
いかん立ちそうだw てかもう半立ちで、どんどん「アレ」になりつつある。
泉マネジャーが戻ってくるまでに平常に戻さんと。なに採寸するんだって騒ぎになるうーっwww
名残惜しいがキスを終えると妄想を遮断し、俺は、大きく深呼吸した。
●今回長くてすみません。。。
2話分の分量なんですが、一気に掲載しました。
次話、吉野さん宅で、失われた三支族の秘密を語り合う平とパーティー。初めて寿司食うキラリンは……!
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