5-5 ダイヤ五カラットの価値

「うおっ。こいつは凄い」


 貴船さんは興奮した様子だ。


「インクルージョンが全然ない。フローレスだ」


 指で挟んだ粒を、いろいろな角度で光に当てている。


「おまけにカラーレス……。信じられない」


 随分長い間見ていたが、ふと気づいたといった雰囲気で、石を天鵞絨に戻した。硬いダイヤなのに、大事そうに、そっと置いている。


「平様、これは凄い石です」


 息を止めていたのか、深く息を吐いている。


「そうですか。俺にはただの小さなダイヤにしか思えませんが」


 貴船さんの感想自体、専門用語ばかりで、俺にはただの謎呪文だしな。


「完璧にカラーレスのフローレスなど、宝石商でも滅多にはお目にかかれませんよ。それこそ国際的なショーで拝見する程度で」

「カラーレスってのは、色がないって意味でしょうか」

「はい。ダイヤは多かれ少なかれ黄味がかっているものです。ところがこいつは完全な無色透明。貴重な石です。さらに凄いのが、フローレス、つまり内部に傷がまったくないことです。どんなにいい石でも、拡大鏡でだけわかる微細な傷が内部にあるのが普通です。フローレスのダイヤは、極めて珍しいんです」


 早口だ。


「これで一カラットを超えていたら、ものすごく高く売れるんですがね」

「〇・八五カラットだと戦闘力ないですか」


 やっぱ小さいとダメなのかな。


「そんなことはありません」


 首を振っている。


「ただ、宝石をお買い求めになられる方はやはり、きりのいい重さ以上のものを好みますので」

「なるほど」


 一・九五カラットと二・〇五カラットだと、重量や見た目のサイズ違いなど、無視できるほど小さい。だがたしかに「この指輪のダイヤは二カラット」と言えるほうが喜ばれるのは、なんとなく理解できる。成金ババアとか、そんなどうでもいいところでマウント合戦しそうじゃん。


「ですので、サイズぎりぎりですと、カットの美しさより『カラット超え』を実現できるカットを施したりもしますね。場合によってはですが」

「興味深いですね。宝石の世界は」

「面白いですよ。やりがいがあって。……では次に、こちらを拝見します」


 もうひとつの小さなダイヤを、精密質量計に置く。こっちは一・三二カラットだった。それからルーペでいろいろ見ていたが、こいつもカラーレスのフローレスだという。


「では最後に、この――」


 大豆ダイヤを摘んだ。


「大きな石を拝見します。ざっと五カラットくらいはありそうですな」


 精密質量計のデジタル表示は、五・三八カラットを示した。


「この形なら充分、五カラットを超える宝石に仕上げられますね」


 なるほど。さっきの話のようにカラットを跨ぐから、高めに売れるってことだな。


「さて……」


 拡大鏡を取り上げると、石を様々な角度からチェックし始めた。さすが大きいからか、かなり長く時間を掛けている。


「……終わりました」


 ダイヤ原石を、そっと天鵞絨に戻した。それから目をつぶり、目頭を指で押さえている。長時間緊張しながら調べたんで、目と脳が疲れたんだろう。


「平様」


 大きく息を吐いている。


「当店の買い取り価格ですが、〇・八五カラットの原石が三〇〇万円、一・三二カラットの石は八〇〇万円になります」


 高けえーっ!


 思わず口に出しそうになったわ。前回二カラット超えてて一八〇万円だからな。それと比べると、かなりの高価格だ。


「どちらも最高の品質です。喜んで買い取らせて頂きます」

「ふたつで値段が結構違うのは、さっきの『キリいい重さ超え』のためですよね」

「それもありますが、そもそも一カラット超えでこの品質は、極めて稀ですので」

「なるほど」

「どちらも本日、買い取ります。よろしいでしょうか」


 俺が頷くと続ける。


「……そしてこちらの大きな原石ですが」


 天鵞絨の上の大豆ダイヤを指差す。


「品質は、いいほうの部類です。おまけにとにかく大きい。買い取り価格は、おそらく三二〇〇万円程になるかと存じます」

「マジですか」


 想定をはるかに超える高価格だったわ。マンション買えるじゃん。


「ただこちらは即日買い取りはなしで、検討案件にしていただければと思います」

「検討案件ですか」

「はい。買い手を確保してから、正式に申し込みますので」


 これほどの宝石ともなると、顧客と相談しながら仕上げたいという理由だった。


 どんな形にカットするのか。なるだけ重量を維持してのカットか、あるいは仕上がりの美しさを最優先したカットか。これは、どのようなアクセセリーに加工するのかにも繋がる。アクセサリーの種類に応じ、カットの許容度が変わるからだ。


 それに買い手が、どんなアクセサリーを求めるか、あるいは仕上げた素の石のままが希望か、とか。それによってもカットを変える必要がある。


 最初の石同様、おかしな噂が流れないよう、きちんと顧客を選びたいらしい。加えて高額のため、ただでさえ潜在顧客が減ってしまうし。


 それやこれやの条件が整ってから、正確な買い取り価格を算定したいとのことだ。価格が下がる可能性はあるので、そこは納得してくれと念を押されたわ。


「商談は長引くかもしれません。その間、石は持ち帰って保管してください。ただ……」


 真剣な顔で見つめられた。


「お得意様に高額商談を持ち掛けることになります。当店も、老舗としての信用が懸かってきますから、商談が決まるか破談になるまでは、他に出すようなことは避けて頂けますでしょうか。くれぐれも」

「当然ですね。……なんなら石はお預けしますよ。そのほうが、そちらはやりやすいですよね」

「そう言って頂けると、誠に助かります。……さすがは平様。商売のポイントがわかっていらっしゃる」


 椅子の背に体をもたせかけると、微笑んだ。


「ご本業の商社のほうでも、ご活躍なさっていることと存じます」

「はあ」


 いや俺、謎異世界子会社に左遷されるまで、底辺中の底辺だったがな。まあ今の部署が性に合ってるのは確かだけどさ。


「では、すぐに預かり証をしたためます。預かっている間は保険も掛けておきますので、ご安心ください。それと、こちらのふた粒の買い取りも用意させます。前回のように現金にいたしますか? これだけ高額ですと、安全のため振り込みをお勧めします。現金の場合は、準備がありますので夕方までお時間を頂きます」

「振り込みで結構です」


 別に脱税する気はないしな。証拠が残っても構わん。それに、もしこの大きなダイヤが売れたとなれば、俺の給与外所得は大幅に増える。来年三月の確定申告の際は、税理士を入れることになるだろう。


 なにせ万が一にでも納税でミスして、報道されたり噂になったりしたら、大変だ。ダイヤを取引している事実は、なるだけ社会から隠しておかなくては。俺は合法的倫理的にダイヤを入手している。社内規定にも反していない。でもやっかみを招いて頭のおかしな奴に粘着されたりしたら困る。


 とにかく誠実に、絶対税務署に文句つけられないような納税をしなくては。金はいくらでもあるから、必要経費なんかちまちま抜く必要はない。別にガツガツ儲けたいわけじゃないし。


 そのくらいのぬるさなんだから、確定申告のときだけ税理士に頼めば事足りる。確定申告頼むだけなら、税理士コストは、せいぜい十万とかそのくらいだろうし。その意味でも、ダイヤを巡る金の流れは今の段階から、誰の目にも明確にしておいたほうが、絶対いい。


 あとは、面倒で安アパートに放りっぱなしのダイヤ満載スーツケースも、なんとかしないと。なにかでダイヤのことを嗅ぎつけた賊が侵入したらヤバい。いやダイヤなんかどうでもいいが、俺とか吉野さんの命に関わったらまずい。


 銀行の貸し金庫がいいだろう。もちろん顧客の守秘は徹底しているとは思うが、三猫銀行だと三木本商事と関係がある。用心のために、猫井銀行を使う。通常の貸し金庫は小型だが、本店には大型の金庫があると聞く。多分年間数十万円、どんなに高くても百万くらいだろうし。今度有給休暇取って本店に様子伺いしてみるか。


「振り込みでよろしいわけですね」

「はい。お願いします」

「では確認書にサインの上、後日振り込みを確認したら、領収書をお願いします」


 しばらくお待ち下さいと言い残して、貴船さんは席を立った。階下で書類を用意するのだろう。ドアを開けてから、振り返った。


「時間が掛かります。脇の冷蔵庫にいろいろご用意がありますので、なんでも好きにお飲みください」

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