5 俺は現実でも戦うぜ
5-1 イキる川岸を、吉野さんが諌めた
「……」
「……」
「……」
「……」
不自然な沈黙が続いている。俺と吉野さんがいるのは、本社役員フロアの控室。テーブルを挟んで座っているのは、川岸の野郎と山本、つまり新旧三木本Iリサーチ社関係者が集められるってわけ。
人事異動から三週間。シルバーウイーク前に新体制での異世界案件を報告せよってことで、役員会議に呼び出されたってわけよ。今、役員会議案件の順番待ちだ。
川岸と俺は敵同士。雑談するわけもないので、誰もが黙っている。
そもそも俺の超絶出世で、またぞろ緊急同期飲み会があっても不思議じゃない。だが後釜が同期の山本ってことで、さすがに気まずいだろうってんで立ち消えになったって話だ。例の営業タンク同期の栗原が、こっそり教えてくれたわ。
同期でさえそんな感じなんだから、直接顔合わしたら、そりゃこうなる。
目の前に置かれた熱い茶を川岸の野郎にぶっかけたら気持ちいいだろうなとか、俺はそんなことをぼんやり考えていた。
「平、お前」
沈黙を破り、川岸が口を開いた。
「あのチンケな国王に、俺の悪口吹き込んだろ」
「別に」
「おかげでこっちは、誰に話しかけても、まともに相手してくれやしない」
俺のことを睨んできやがる。仕方ねえ。口を利くのもうんざりだが、相手してやるか。
「川岸。そもそもお前が、王都で衛兵に喧嘩吹っ掛けて暴れたんだ。衛兵がどう国王に報告し、王が国民になんてお触れを出すか、考えもしなかったのか」
「俺はただ、身の程をわきまえろって、底辺野郎に説教しただけだ。俺と山本は国の救世主なんだからな」
「はあそうすか」
救世主w お前、なにもしてないだろ。シタルダ王国に対して。
「川岸くん。衛兵の隊長さんが言ってたように、山賊退治でもしたらいいんじゃないの」
吉野さんが一応フォローしてあげている。理不尽にも喧嘩を吹っ掛けてきてる相手なんだ。ほっときゃいいのに。優しいよな、吉野さん。
「そうしたら、衛兵が国王にとりなしてくれるかも。ねえ山本くんも、そう思うでしょ」
「お、俺ですか……」
急に振られて、俺達と川岸の顔色を窺ってるな、山本の奴。相変わらず度胸のない奴だ。同期ながら情けなくなるぞ。
「俺はどうとも……。こ、国王が俺達を都に入れない無礼を働いたのは事実だし」
「だからそれが自業自得ってんだよ。山本、お前もわかってるだろ、内心では」
「まあその……いや、俺は別に……」
俺から目を逸らすと、なにかもごもごと口ごもった。
「それにしても平」
川岸が、唇の端をひん曲げた。
「いっつもホームレスみたいな、その小汚い安物スーツだな。恥ずかしくないのかよ。役員会議に出るってのに」
「関係ねえだろ、てめえに」
チクチクくだんねえこと突っ込んでくる野郎だぜ。カスが。
ま、俺はこんな挑発には乗らないがな。なんせこれまで社内辺境をたらい回しになった、筋金入りの左遷社員だぞ、俺。どこでも侮辱され、
馬鹿のたわごとに対するスルースキルは鉄壁。なに言われても、髪の毛ほども傷つかないからな、俺のメンタルは。
「服がしゃべるんじゃねえ。俺が話すんだ」
「ふん。しわしわのよれよれじゃねえか。どこの吊るしだよ。あー古着屋か」
ぐっと胸をそびやかした。
「その点、俺のスーツはイタリアンクラシコのフルオーダーで、タイもイタリア製だ」
「ああそうかい。馬鹿が着ると、せっかくのイタリアンスタイルも台無しだな。なにがイタリアンクラシコだよ。着こなれてなくて、七五三のガキみたいじゃねえか。おまけにいい歳こいてタイの締め方も知らんから、バランス最悪だし」
「ど、どこが悪い」
慌ててネクタイを触ったな。
「タイってのはな、シャツやスーツの襟の形に合わせて結び方変えるんだよ、アホ」
襟ぐりの広いシャツに、バカのひとつ覚えみたいなシングルノット。首周りがスカスカで大間抜けだ。ウインザーノットかセミウインザー、締め方難しいなら、せめてダブルノットにしとけっての。俺は服こそ安もんだけど、どう着ればいいかくらいは知ってるぞ。
おまけに長身のイタリア人用タイの輸入物だろうから、そもそも長い。それを巻き幅の短いシングルノットにしてるんだからなー。長さ調整目的だけでもダブルノットにするだろ、このタイだと普通。アリクイの舌くらい長く垂れてて、大笑いだわ。
「それに長剣の長さくらい調整しろ。シングルノットで短剣が長くなりすぎたらシャツに収めるとか、やり方はいくらでもあるだろ。鳩時計の振り子かよ」
「チョウケンってなんだよ。あとシングルなんとかとか」
なんだこいつ。それすら知らんで、ネクタイでイキってるのかwww
こんなん笑うわ。服の知識なんか、知らんなら知らんで別にいいんだよ。たいした話じゃないし。俺らは仕事で勝負してるんだからな。でもなあ川岸、知らんなら、ネクタイで喧嘩吹っ掛けてくるなよ。情けなくて泣けてくるぞ。
おきれいなブランドショップで、店員にかしづかれながら札束切る。それが「ファッションに強い俺様だ」としか、思ってないんだろうな、こいつ。
「平くんはね、川岸くんのような、見てくれだけの人じゃないのよ」
吉野さんがぴしゃりと言い切った。珍しく、声が刺々しい。
「川岸くんなんか、なに。ガワだけで中身空っぽ。セミの抜け殻みたいな男じゃない」
「おおこわ」
にやにやしてやがる。
「年増女のヒステリーはこれだから。もしかして、もう更年期ですか」
「てめえ」
川岸の野郎のタイを引っ掴むと、テーブル越しに思いっ切り引っ張ってやった。
「てめえより若いだろ、おっさん。二十代だぞ。吉野さんを侮辱するな。死にたいのか、課長補佐。……ああもう課長になったんだったか」
「は、放せ」
テーブルに頭を乗せ、俺に平身低頭するような格好で、身をよじってやがる。暴れれば暴れるほどタイが締まって、逆効果だがな。
「俺が異世界でどれだけ戦ってきたか、川岸てめえ知らねえだろ」
「放せって」
息が詰まったのか、顔がどんどん赤くなってきた。暴れるから茶碗が倒れて、シャツとスーツに熱い茶の染み作ってるし。
「おお、いいな。ご自慢のイタリアンタイ、よく首が締まるぜ。さすが一流品だ」
「くっ苦しい。熱いっ」
「なんならここで見せてやろうか、異世界で俺が体得した戦闘術」
「よせ」
瞳に恐怖の色が浮かんでいる。
「後で大問題になるぞ、平」
「関係ないね。役員会議の前に乱闘騒ぎだろうが、俺は気にしないからな。始末書なんか、バンバン書いてやるさ。喧嘩両成敗で、てめえも経歴に傷が付くがな」
「そ、それは困る。俺様はこの三木本の未来を背負う身だ」
「そりゃ良かったな」
死にかけのゴキ並に暴れる川岸を、俺は見下ろした。
「どっちにしろ、乱闘にはならんか。てめえが一方的にぶちのめされるだけだしな」
「い、息が……。山本、なにぼさっと見てるんだ」
「た、平やめろ」
川岸に促されて、凍りついていた山本が、ようやっと助け舟を出してきた。
「平くん。もういいわ。私、気にしてないし」
「はい。吉野さん」
もう一度、思いっ切り引っ張ってから放してやった。
「うわっ!」
反動で、川岸の野郎、ぶざまに尻餅をつきやがった。えらい音がしたから、相当尾てい骨打ったと思うわ。
「吉野さんに感謝しろよ、川岸。哀れなお前は、吉野さんに助けてもらったんだからよ」
「覚えてろよ、平。この会議で、俺様とてめえの格の違い、思いっ切り見せつけてやるからな」
精一杯強がりながら、慌ててネクタイを直している。イタリア製のタイ、俺に握られてしわしわになってやんの。ざまあwww
「お待たせしました」
扉が開いて、四十絡みの秘書室長が顔を出した。
「……川岸課長、どうした。顔が真っ赤じゃないか」
「いえ……」
ようやくタイを整え終わった川岸は、乱れた髪の毛を撫でつけ始めた。シャツに緑の染みができてて、間抜けな牛柄のようだ。
「なんでもありません」
「川岸は体調が悪いようで、さっきちょっとテーブルに倒れ込みまして。たかが課長補佐の身での慣れない役員会議なので、緊張しているのでは」
素知らぬ顔で進言しておく。
「俺は課長だ」
精一杯俺を睨んできた。
「ああ。課長だったか。大出世じゃないか川岸。ヒラ以下の働きしかできないにしては」
「平ぁ……」
「体調悪ければ、欠席しても構わないぞ。どうだ川岸課長。発表は山本くんに任せて、部署に戻ったら。それとも社内診療室に――」
「平気です、秘書室長」
秘書室長に手を振ると、はあはあと息を整えている。
「山本じゃなく、俺の晴れ舞台ですから」
「そうか。……では皆さん、こちらに。役員の方々がお待ちなので」
「はい」
かすれ声で返事すると、川岸はぎくしゃく立ち上がった。
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