4-11 天使イシスの告解

「そうですか。あの子がそんなことを……」


 俺の長い話が終わると、天使イシスは溜息を漏らした。天界はずっともやの中。こうして向き合う俺達とイシスを取り囲む、結界のようにすら見える。


「俺から見ても気の毒でした。母に捨てられたと、キングーは泣いていましたから」

「そこまで追い詰められていたとは」

「天使なら、天からなんでも見えるんじゃないの。ましてや自分の子供のことなんだし」


 難しそうな顔をしたまま、トリムは腕を組んでいる。


「トリム、そう言うな。きっとなにか理由があるんだ」

「でも平――」

「そう思われても不思議ではありません。実際そうですし。地上に置いてきた我が子のことは、大きな心残りでした」


 瞳を閉じて眉を寄せた。言葉が途切れた。


 そのまましばらく黙っていたが、ようやく目を開くと続けた。


「キングーのことは、もちろんここからたまに覗いてはいました。強い子に育ってくれていると思っていたのですが、やはり側にいないとすべては見通せません」

「仕方ありませんよ」


 吉野さんが慰めた。


「わたくしも、許されるなら、今すぐにでも会いたい。キングー……」

「イシスさん、あなたは地上にご主人と息子さんを置いたまま、ここ天に帰った。そうですよね」


 吉野さんに振られると、天使は頷いた。


「はい」

「それ、すごく辛い決断だったと思うんです。私だったらとても真似できない」

「吉野さんが言うとおりです。まずは俺に、その理由を教えてもらえますか。キングーが一番知りたがっているのはそれです。なぜ自分達を置いて帰ったのかと」


 なぜ捨てた――とキングーは言っていたが、さすがにその単語を使うのは残酷すぎる。だからそうは表現しなかった。


 目をつぶって、天使は天を仰ぐような仕草をした。そのまましばらく黙っている。


 瞳を開いた。


「ではお話ししましょう。縁あってここまで来られた、あなた方ですから」

「お願いします」

「長い話になります。戻った理由の前に、まずわたくしが地上に派遣された理由から始めてもよろしいでしょうか」

「お願いします。……なにか理由があって派遣されたってわけですか」


 頷くと、続ける。


「天使が地上に降りることは、まずありません」

「俺達もそう聞きました」

「そもそもわたくしが地上に降りた理由。それは、異世界から謎の存在が現れたからです」

「それって……」


 昔、異世界から来た謎の存在って、やっぱアレか。


「混沌神って奴のことですか? シャイア・バスカヴィルが誤って開いた異世界通路を通って、この世界に顔を出したとかいう」

「そう呼ばれた存在のことです。彼らがどのような目的でここに来たのか、調査のため、ある神が、わたくしを地上に派遣しました」


 こいつは驚いた。きっかけは数百年も前か。


「彼らはなかなか正体を現しませんでした。最初は地上を荒らし回るでもなく、悪の存在とも判別できなかったのです。ただただ、地上を舐めるように飛び回り、なにかの情報を集めているかのようでしたから」


 話はこうだった。分裂して飛び回る混沌神の動向を探るうちに、イシスはとある男と出会い、恋に落ちた。そうして生まれたのがキングーだ。ところが、キングーが生まれて間もなくの頃から、混沌神はその邪悪な狙いを隠さなくなった。世界を破壊し始めたのだ。


 シタルダ王朝をはじめとする地上の各勢力は、それぞれ独自に、あるいは連合して混沌神の討伐を始めた。しかし連中は想像以上に強大だった。そこでイシスは、自責の念に駆られるバスカヴィルに魔剣を与え、そこに善の混沌神の魂を宿らせた。


「ちょっと待ってください。んじゃあこのバスカヴィル家の魔剣って奴は――」


 俺は、魔剣を抜いてみせた。


「天の勢力が、バスカヴィルに与えたってわけか」

「そうです」


 因縁の魔剣が俺の腰に提がっていることに、特に驚いてもいない様子だ。


「魔剣の効果は高く、シタルダ王朝をはじめとする地上の勢力は、なんとか混沌神を封じ込めることに成功したのです」


 だがそれは、イシスにとって辛いことでもあった。なぜなら任務が終わったことで、天に戻る命令が下されたからだ。この日の来ることを予期していたイシスは、神を裏切ってでも地上に留まるつもりだった。しかし混沌神を討滅し切れなかったことで、厳しい決断を迫られることになる。


「なぜなら討伐隊の背後にいた天使の存在を、彼らは強く憎んだからです。かろうじて封じただけである以上、遅かれ早かれ復活するのは必然。そのときに、天使の血を引く存在――わたくしのかわいいキングー――は、確実に殺される」


 そこで自分が天に戻ることで、天使の存在を地上から消した。また天使の血を嗅ぎ取られないよう、天使の血を隠す効果がある珠を、キングーに遺した。


「あの珠、天使の力を誇示することで、モンスターのポップアップを防ぐ効果があるのかと思ってました」

「それはありません。キングーの周囲にモンスターが出現しないのは、天使の血による力です。それだけでは、混沌神はキングーが天使の子とはわかりません」

「それで泣く泣く天に戻ったってわけか」

「苦しい決断でした。……でもすべて、キングーの命を守るためだったのです。わたくしは母親ですから」

「ちょっと待って」


 吉野さんが、手を突き出した。


「そこまではわかるけれど、もう混沌神は完全に滅びたんでしょ。ここにいる平くんの力で。……ならもう地上に戻れるじゃないの」

「そうはいかないのですよ」


 悲しげに、イシスは微笑んだ。


「なんで? 神様に逆らうことになるから?」


 キラリンは首を傾げている。


「好きならいいじゃん。一度は逆らおうとしたんでしょ。あたしも、Iデバイスの姿を捨てて、こうしてお兄ちゃんのために使い魔になったんだし」


 いやキラリン。あれどっちかというと押しかけ女房みたいな感じだったぞw 選択肢だって「はい/はい」だったし。


「わたくしも、どれほど我が息子に会いたいことか……」


 苦しげに呟いた。


「なら会いに行けばいいじゃん。地上に住むのは無理でも、たまーに地上に降りるくらい、できるんじゃないの」

「この場を離れられないのは、今、天界と魔界のバランスが崩れかかっているからです」

「魔界……」

「あなた方はご存じないでしょう、魔王、つまりサタンの存在を」


 おいおい。


「ご主人様……」


 レナが俺の顔を見上げた。パーティーのみんなも、こっちを見てるな。


「いや……知らんこともないというか……」


 口を濁す。俺の使い魔候補になってるとは、言わないほうが良さそうだ。天界と魔界は対立してるんだろうし、バランスがどうこうって微妙な話を聞いたばかりだしな。


「それでは、サタンが代替わりして魔界が大混乱なのは知っていますか」

「えっ!」


 天使イシスは、とんでもないことを言い始めた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る