4-6 三木本商事開発部I分室は魚臭い

「ここか……」


 塗装も剥げ、くすんだ倉庫を、俺は見上げた。大きい。


 朝の雀が鳴いている。今日も異世界行きはなし。吉野さんは今頃ボロオフィスでまたタマを呼び出し、書類仕事の真っ最中のはずだ。


 壁には「ミツバフィールド」という屋号と潮吹きくじらのイラストが描かれており、かつてトラックが出入りしていた大きなシャッターは閉ざされたまま。アルミの安っぽい扉の脇に、「三木本商事開発部I分室」と書かれた小さなプラ板が、申し訳程度に掲げられている。


「なんだよモロ倉庫じゃん。せめて前使ってた会社の屋号とか、消しとけばいいのに」


 さすが一円でも無駄遣いしたくない、いつものどケチ社長だ。俺はヘンに感心したわ。


 ここ、つまり異世界関連のシステム開発に特化したI分室は、新富町にある。俺と吉野さんが毎朝転送に使ってる異世界通路室と、ほど近い。


 開発部の分室と言えば聞こえはいいが、築地市場移転で使われなくなった空き倉庫を、格安で借りているだけだ。しかもその場所にいるのは、噂の「アレ」な博士、つまり開発部シニアフェローただひとり。社内では「隔離部屋」と陰口を叩かれている。なんでもヤバい博士らしいから、今日はレナを封印してある。


 扉の脇、これだけは不釣り合いなくらいな最新型セキュリティーインターフォンのボタンを、俺は押した。


「あの、昨日メールした平ですが」

「開けゴマ」


 中から女の声がした。しかしそれっきり、なんの反応もない。念のためノブを捻ってみたが、鍵が掛けられているのか、ドアは開かなかった。


「ピンポーン」


 もう一度スイッチを押してみる。


「開けゴマーっ」


 ……なんの冗談だよ。


 戸惑っていると、突然、扉が開いた。白衣姿の女が立っている。


 なんだちっこいな。等身大になったレナよりちょっと大きいだけじゃんか。しかもシニアフェローというからバリバリやり手の四十代くらいかと思ってたけど、なんだこれ、中坊かよってくらい若く見える。


 後で社内グループウェアで人事情報検索してみるか。年齢が気になる。日本を飛び出し海外の大学を飛び級卒業した、天才ティーンとかかも。


「えーと……経営企画室の平です」

「ごめんねー。昨日、暇潰しに音声認識の扉開閉システム試作してみたんだけどさ、うまく動かなかったみたいで」


 笑ってるわ。それでヘンな呪文唱えてたのか。見ると、蝶番のところにマイクが突き出た大小の歯車丸出しの謎機械が取り付けてあるな。それもでっかい。重さ十キロはありそうだから、たとえ動作したとしても商品にはとてもなりそうもないだろ、これ。


「まあ入んなよ」

「はい」


 元倉庫なので窓は当然ないが、高い天井から下がる水銀灯で、内部は煌々と照らされている。水産倉庫に使われていただけあって空調容量は高いらしく、寒いくらい冷房が利いている。隅に設けられている透明壁のサーバールームを冷やすのに、都合は良さそうだ。


 寒々と広い倉庫には、作業用のテーブルだの試作用と思しき工作機械類だのが、点々と置かれている。なんての、自動車窃盗犯が車バラして海外に輸出する拠点といった雰囲気。殺伐とした殺風景さだよ。照らしてるのが無機質な水銀灯だしな。


 一番奇妙なのは、中央に三メートルくらいの高さのどでかいコイルがV字型にそびえ立っていることだ。


 ばかぶっとい銅線かなんかがコイル状に巻かれており、頂部はそれぞれ銀色に輝く金属の球体。ふたつの球体の間で、稲光のような金紫色の放電が飛び交っている。


 じりじりと、放電のすごい音。そこはかとなく漂う水産物の香りに、空気の焦げる匂いが混ざっている。


「なんですか、これ」

「ああ。こいつはテスラコイル」


 自慢気に、手で指してみせた。


「やっぱ科学者の研究室たるもの、テスラコイルくらいはないとね」

「へえ……。異世界デバイス開発に、高電圧が必要なんですね、きっと」


 なんに使う装置か知らんが、多分電源系だろ。放電してるし、恵方巻くらい太い配線が、謎装置から大量に床にのたくってる。これ、相当電力食ってるだろうな。


「いや、ただの趣味。BGVというか、見てると気分が高まって、研究が進むからね」

「はあ……」


 ドヤ顔で胸を張っている。


「あたしはマリリン・ガヌー・ヨシダ。よろしくね」


 博士は、握手を求めてきた。


       ●


「なるほど。Iデバイスが不調なわけね」


 長々続いた俺の説明が終わると、マリリン博士は頷いた。テーブルに置かれたビーカーを取り上げると、黒々とした液体を飲む。


「あーうまい。やっぱコーヒーは猫島珈琲店の豆に限るわ。ほら飲んで」

「はい」


 俺の前にもビーカーコーヒーが置かれている。さっき博士手づから淹れてくれたものだ。ちゃんと洗ってるのか、これ? 実験に使ったビーカーだろうし、なんかアブない薬品とか残ってたら嫌なんだけど……。


 おそるおそる飲んでみた。まあ普通に……というか激うまい。感性は謎だがこの博士、コーヒーの淹れ方はうまいみたいだな。きっとこれもあれこれ研究したに違いない。


「香りが飛ばなくていいかと、三角フラスコ使ったこともあるんだけど、あれはダメね。傾けたら勢いよくコーヒーが飛び出してきて、白衣ダメにしちゃったわ」

「はあ……」

「回転子ふたつ入れてスターラーで撹拌かくはんしたら、空気と触れ合う表面積増えるから、もっと香りがいいと思うんだけどさ。あんたどう思う」


 謎呪文w


「いやそれより、この謎スマホ直してくださいよ」

「Iデバイスね」


 そういう名称なのか。最初に担当者から聞いたかもしれないが、すっかり忘れてたわ。


「今、使い魔モードの画面見せます」

「いいからいいから。このプレートに置いて」


 テーブルに置かれた、電磁調理器的な謎機械を指差す。


「はい」


 俺が置くと、コロコロ付きのPCデスクを脇まで引っ張ってきた。ディスプレイの画面を覗く。


「ほい。データ読み込み完了……っと」


 またコーヒーを飲んだ。


「博士ほら、使い魔候補にモバイルデバイスってのがあるでしょ。それに説明の文面がなんかヘンだし」

「あー確かに」


 目にも留まらないほど速く、キーを叩いている。画面にいくつかのグラフや表組みが現れてウインドウが重なった。


「説明文、前から徐々におかしくなってきてたんですよ」

「はいはい……と」


 生返事しながら、開いたウインドウをあれこれ切り替えて見ている。それからしばらく黙った。なにか考えている様子だ。


「やっぱりそうか」


 ほっと息を吐いた。


「壊れてるんですか、これ」

「いや、正常」

「でもこんな謎表示――」

「平くん、あんた……」


 椅子をくるっと回すと俺に向き直り、顔をじっと覗き込んできた。まるで初めて俺の存在に気づいたかのように。


「あんた、面白いね」

「へっ?」

「あんた、妄想力が突き抜けてんのよ。多分、普通の人の数千倍。Iデバイスに測定結果が残ってるし」

「そうでしょうか……」


 初めて召喚したときレナも言ってたし、まあ意外ではないな。


「興味深い実験動物だ」

「誰がだ」


 思わずツッコむ。相手が天才シニアフェローだろうが知るか。


「平くんも知ってるように、異世界は、そもそも人類の妄想が形になったもの。いい、向こうのモンスターはみーんな、元は人間の妄想」

「だからなんです」

「妄想をモンスターやなんやかやに変換する機能を持つ、異世界。妄想力の極端に強い人間が、そこに長期間滞在した。その間あんたは、このIデバイスを肌身離さず保持していた。……なにが起こると思う」

「さあ……」

「Iデバイスはあんたの妄想力と異世界の影響を受けて、モンスター化したのよ」

「はあ!? そんな馬鹿な。そんなら俺の着てる服とか靴までモンスター化するってのか」

「それはない」


 ぶんぶん首を振っている。意外にもさらさらの髪が、獅子舞のように揺れた。


「Iデバイスはもともと、使い魔選定用に妄想力を感知する機能を持つからね。特別だよ。……さて、これでやることは決まったわ」

「やることって……」


「アレ」な博士だ。嫌な予感しかないw


 医者の手術用のような白いラテックス手袋を、デスクの引き出しから出す。パチっと音を立てて、マリリン博士は右手だけに装着した。


「脱いで」

「は?」

「早く脱ぎなよ。これから精子を採取するんだから」

「はあーっ!?」


 なに抜かしてんだ、こいつwww

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