4-4 天使の血

「すみませんね。たいしたもてなしもできずに」


 小屋の外、地面に布を敷いただけの「客間」。俺達は車座に座っている。


「いえ急に押しかけて、こちらこそ失礼しました」

「どうぞ」


 木をくり抜いただけの素朴な椀になにかを注ぎ、キングーと名乗った天使の亜人は、俺達に振る舞ってくれた。


「ただの水で恐縮ですが。……茶の類はありませんので」

「いえ、貴重な水でしょうに。恐れ入ります」


 椀を持ち上げ、味わってみた。たしかにただの水だが、微かな甘味があり、澄んだ一番茶のような香味も感じる。


「おいしい」


 感心したように、吉野さんが目を見張った。


「これが水なんですか」

「ええ。幸い、ここは高山の頂上だ。一切汚されない天の恵みが、そのまま降りますから」

「あの……ご飯とかどうしてるんでしょうか。……なんちゃってビールとかエレクアとか、ないですよね」


 トリムが口を挟んできた。気になってるんだな。ってか、腹減っておやつにしたいだけかもしれんが。


「ライカン村で聞いたのであればご存知でしょうが、僕は天使の血を引いています。なのでほとんど食べずに暮らせるのです。それでも、生きるためというより人生の喜びとして、食物を味わいたくなることが、稀にあります」

「どうするの」

「そんなときは我慢するか、中腹まで降りて薬草や根菜、くずの葉などを採取して戻りますね」

「へえ……。あたし、エレクア分けてあげてもいいよ。ねえ平、ひとつこの子にあげてよ」

「ああ、話が終わったら、おやつ全部置いてくよ」

「全部はダメ」


 トリムは飛び上がった。


「ドナツーひとつくらいは残して」

「わかったわかった」


 それにしても、キングーって奴は落ち着いている。見た目、思春期くらいの年齢なのに。天使と人間のハーフって話だから、実際はとてつもなく長い間、生きているのかもしれないが。


「それで皆さんは、この僕にどのようなご用件で」

「はい。実は――」


 俺は説明した。人間の地から越境し、調査に来たこと。その対象は、謎の結界、延寿の秘法、そして失われた三支族の隠れ村だということ。


「そうですか……」


 ちらと青空を見上げると、キングーは、しばらくなにか考えていた。雲の上にいるせいだろうが、空はとてつもなく澄んだ、深い青だ。


 風が渡る中、薄い布の上で、キングーは正座している。痛いだろうと思うが、平気なようだ。俺はあぐら。吉野さんとトリムは正座で、タマは俺と同じだ。レナはもちろん胸の定位置で、俺の椀から小鳥のように水など飲んでいる。


「僕は流れ者です」


 それだけ口にすると、椀の水を飲む。それから続けた。


「この世界をあちこち放浪してきました。生きる意味を探すために」

「生きる……意味?」

「はいそうです」


 なぜか、悲しそうな表情になった。


「僕の母は天使です。神から命じられたなにかの使命を帯び、地上へと降り立ち、そこで恋をして僕を産んだ」

「今、ご両親は」

「父はとうの昔に亡くなりました。普通の人間ですからね。母は……僕を五歳まで育てると、父と私の前から消えました」

「天に帰ったんですか」

「はい。父にそう告げ、僕のことを頼むと言い残したそうです。そのとき、母はこの白い珠と、一編の詩だけを遺しました」


 懐から、直径三センチくらいの珠を取り出した。山頂の強い陽光を受け、真珠のように白銀に輝いている。


「どんな詩なんですか」

「こうです……」


 立ち上がるとキングー――天使の亜人――は、通る声で詠唱し始めた。




恋しくば 尋ね来て見よ 遥かなる 山の高みの 白きいただき




 詠唱が終わると、瞳を閉じてなにか考えるかのように、しばらく黙っていた。それから座る。


「毎日、そらんじているうちに、眠っていても詠めるようになりました」

「……哀しい詩ですね」


 吉野さんが呟いた。


 本当にそうだ。なんというか、今生の別れならではというか。母が恋しければ、少しでも天に近いところに来なさい、私が天から癒やしてあげるから――とか、そんなような意味だろうし。


 こんな詩を、五歳の子供が必死になって覚えたんだな。母親との唯一の繋がりだから。泣けるわ。


「去ったのにはなにか……深い理由があったんでしょうね」

「わかりません。いずれにしろ、母が僕と父を捨てたのは事実。父は苦労して僕を育ててくれました。なかなか成長しない僕を」


 キングーの話は続いた。捨てられた父親が、母親を一切悪く言わなかったこと。老いさらばえての死の床で、母親を恨むなと言い遺したこと。父が死んでからなにもかも空しくなり、世界中を放浪してきたこと。


「放浪先でいろいろな部族、そして家族の生き様を見てきました。それはそれは多様な文化があります。……ただどこでも共通なのは、母親の、子供に対する愛情です」


 言葉を切ると、水を飲んだ。


「なのに僕の母はどうか。僕は、人間と天使の血を引く、特殊な存在。長生きだし、自分でもよくわからない、不思議な力を持つ。人間の世界でも、亜人の世界でもたったひとり浮いてしまうのは必然に近い。それがわかっていて、なぜ母は僕と父を捨てたのか」


 苦しげに言い切った。


「年端も行かない子供を、なぜ手放せたのか。僕は、母親の笑顔を覚えています。胸に抱かれ、甘えた日々を。……でも、それもはるか昔。もはやぼんやりとしか思い出せない。母の顔も、もうよくわからない」


 淡々と語るキングーの瞳から、涙が一筋流れ落ちた。きらきら輝く銀色の。


「僕がこうしてこの高い山に住まいを設けたのは、遺してくれた詩にあったからです。ここシノダ山で静かに暮らしていたら、もしかして天からいつか母が降臨してくれるのではないか、降りてきて僕を抱き締めてくれるのではないかと……。これまで寂しい思いをさせてすまなかった。愛していると……」


 言葉が途切れた。瞳を閉じて、キングーは息を整えていた。きちんと正座したまま。


 天使の亜人の告白に、俺もみんなも言葉を失っていた。なにか掛けるべき言葉など、あるはずがない。キングーは、真情を包み隠さず明かしてくれているのだ。


「さて……」


 かなり時間が経ってから、キングーは瞳を開いた。今見せた悲痛な感情はどこか奥に隠したのか、平静な表情に戻っている。


「こんな話、誰にもしたことはありません。話すだけで辛いので、ずっと封印してきました」

「わかります」

「今、封印を破り、あなた方にお話ししたのには、理由があります」


 俺を見て微笑んだ。


「僕には天使の血が流れている。だからわかります。あなたたちは、この世界の存在ではないですね」

「それは……」


 否定するのは難しそうだった。それにキングーはただの世捨て人だ。情報を隠す意味もない。


「そうです。ここではない、もうひとつの世界から来ました。俺と……吉野さんは。後のメンバーは、俺と吉野さんの、魂の親友です」

「あなた方は、結界や延寿の秘法、三支族の隠れ村について知りたがっておられる。僕は、知らないこともない。全てではないですが。……なにしろ随分長い間、放浪してきましたからね」

「なら教えて下さい」

「話してもいいが、こちらにもお願いがあります」


 バーターってわけか。天使の子のくせに、結構したたかだな。


「どんな案件でしょうか。小屋の建て直しとかなら協力できますよ。もうこの地点は、転送ポイントとして確保した。向こうの世界から資材を持ち込むのは楽勝ですし。それに――」

「あなた方に、天に上ってほしい」

「はあ?」


 思わずヘンな声が出た。なに言ってるんだ、キングーは。


「天に上り、母に会ってほしいんです。そして僕の代わりに聞いてきてほしい。なぜ父と僕をこの世界に捨て置いて帰ったのかと。……僕は上れないので」

「天って、天国ですよね。行けるわけがない。俺、ただの人間ですよ」

「いえ、あなた方は別の世界からいらした稀人まれびと。天に上る方法を見出すことは可能でしょう。僕にはわかります。……これでも天使の血を引く身なので」


 白い珠を手渡された。見た目よりはるかに、ずっしりと重い。すべすべしていて、氷のように冷たい。


「この珠が、皆さんを導く道標みちしるべになってくれるでしょう」

「そんな……無茶な」

「お願いします。母に会ってください。僕は……自分の生きる意味が知りたいんです」


 真剣な眼差しで、キングーは、俺に頭を下げた。




●次話から新展開!

天に上れという無理難題に応えるため、「第二次使い魔候補」の禁断の謎に、やむなく手を出す平。そして……

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