4-3 高みの小屋へと山を登る

「ご主人様、あそこ」


 俺の胸から、レナが指差した。はるか高み、天使の亜人が棲むという、険しいシノダ山の頂上を。


「あれ、キングーさんの家じゃないかな」


 頂上は、雲に隠れ気味だ。時折雲が薄くなると切り立った頂上が姿を現すが、俺にはただ茶色く荒れた岩肌が見えるだけだ。


 俺達が進んでいるのは、山道――というか道なんかはるか麓で途切れていて、獣道とも言えない茶色い泥とごつごつした岩の斜面だ。


 それでもタマは「道」だと言っているから、多分獣人には登りやすいルートがわかるのだろう。


「なにも見えんぞ」

「いや、レナの言うとおりだ。小屋が見える。粗末な木造りだ。人影はない」


 タマは、眩しい光に猫目をいっそう細めている。遠目の利くタマが言うなら、間違いないだろう。


「そろそろ休まない、平くん。私さすがに疲れちゃって……」


 吉野さんはへばり気味だ。ここまで、バランスに優れたトリムとタマが吉野さんの登山を助けてきたが、やはり限度はある。俺ももうへとへとだし。


「じゃあここで休憩にしましょう」


 天を仰いで確認した。


「もう夕方も近い。今日はもうここで遊ぶだけで終わりにする。続きはまた明日。ここからだ」


 実際、頂上まではまだ遠い。何日か掛かるだろうし、登山で疲れた状態でモンスターがポップアップするのは避けたい。なに、どうせ毎日現実に戻れるんだ。栄養のあるもん食ってエアコン利かせた部屋のベッドで長時間眠り、体調万全で進めばいいんだ。


 九月も中旬だというのに、まだ残暑厳しいからな、現実世界では。ただでさえ体調崩しがちな季節なわけで、異世界に来てまで現実のクライマーのように苦労する必要はない。ゆっくり遊び感覚で登山できるのは、俺達転送組の利点だわ。


「わかった」


 ほっと息を吐くと傾斜の緩い場所を見つけ、吉野さんは座り込んでしまった。やはり疲れたんだろう。胸重そうだし……って関係ないかw


「ふみえボス。今、マットと茶を出す」


 背負った一二〇リッターの大きな登山ザックから、タマがいろいろ取り出し始めた。


          ●


「それにしても、こんなに本気の登山になるとは思わなかったわね、平くん」


 バーナーで淹れたコーヒーのカップを手に、吉野さんはほっと息を吐いた。人間を拒絶するような大自然の中だと、バーナーの人工的な炎を見るとなんだか安心するわ。仲間がいるからまだいいけど、独りだとかなりメンタルに来そうだ。


「そうですね。準備しておいてよかったというか」


 ライカン村から、この山は見えていた。ハイキングというにはちょい険しく見えたし、高さも結構あるようだった。


 なのでいつものアウトドアショップで、俺達の異世界アウトドアウエアより、もっと本格的な登山靴やウエアを揃えておいた。体力が一番あるタマには、大きな登山ザックを背負ってもらって、細々としたものを運んでもらっている。


「まあのんびり行きましょう。あくまで遊びのペースで」

「そうよね。地図のマッピングはもう私達の業務じゃないし」

「そうですよ。経営企画室からも、拙速な成果は求められてないですしね」

「うん。……平くん。このスイーツおいしいわよ。食べたら」

「はい。そうします」


 登山中のおやつは、コンビニスイーツだけにした。小分けで驟雨しゅううでも濡れず、ザックの中で荒っぽく扱われても崩れない奴。つまりケーキ系とかじゃなくて、トリムの好きな「エレクア」とかドーナツ、それに高カロリーで糖分豊富なチョコとかな。


「それにしても、キングーとかいう亜人は、なんでこんな山の頂上に住んでるんだろな」

「人嫌いにしても、別に山に登る必要はないですよね、ご主人様。……タマはどう思う?」

「こんな山の上では、食料の調達が難しいだろう。まして水場までは遠い。毎日麓まで下りるなど無駄の極致だ」

「井戸でも掘ってるんじゃないの」


 能天気に、トリムが混ぜっ返す。「エレクア」にかぶりついてるせいで、また口の周りチョコまみれにしてるな。


「山頂に水脈なんかあるはずない。井戸は無理だ」


 タマが言い切った。


「雨水を貯めていると考えられる。山頂は薄い層雲そううんの上だが、さらに上の雲から雨が降るからな」

「まあ、モンスターがポップアップしないのは助かるな」


 麓までは雑魚が稀にポップアップしたが、山道に入ってからは一度もない。


「なんでだろう。まあ出ないほうがいいんだけど」

「多分だけどご主人様。天使の血を引く存在が、頂上に陣取ってるからだよ」

「モンスターが嫌がってるっていうのか、レナ」

「うん。ポップアップモンスターは、基本的に闇側の存在。光側、しかも高位の存在である天使は苦手なはずだから」

「トリムはどう思う?」

「わかんない。そういうややこしいこと、あたしあんまり考えないし。……けど、天使の存在は知ってるよ。ハイエルフはなんたって長寿でしょ。天使なんて普通は会えない。それでも、長い一生で見かけたことがあるってエルフもいるからね」

「トリムも見たことあるのか?」

「まさか」


「エレクア」最後の尻尾を口に放り込んだ。


「あーおいし。エレクアは最高だよね」


 アルミマグからコーヒーを飲む。続けた。


「天使は上位世界の住人。そもそもこの世界に降臨することがないからね。なにかよっぽどの事情がないと」


 それから、なぜか俺を睨んだ。


「それに天使遭遇のチャンスがあるほど、あたし長生きしてない。まだ若いし。……平、あたしのこと何歳だと思ってんのよ」

「そうだな……」


 アラートが鳴り響き、俺の頭が高速回転した。


 レナの話だと、エルフやハイエルフは第二次性徴期までは人間とそう変わらない速度で育つ。敵に襲われやすく手間も掛かる乳児期や幼児期をなるだけ短くする、進化の妙らしい。そこから極端に成長が遅れるので、結果的に長寿なんだと。ってことは……。


「じ、十五歳くらいかな」

「ふん。……そんなに若く見える?」

「ああもちろん。こないだなんか、赤ちゃんかと思った」

「それ言い過ぎ」


 笑われたものの、なんか機嫌良さげに見える。とりあえず人間としての見た目に逃げといてよかったw


 女子の「いくつに見える」は、危険なトラップだからな。五百歳とか答えて実際は三百歳だったら、殺されかねん。人間からしたら、どっちも奇跡の長寿ってことで大差ないというか、どうでもいいんだがな。


 まあトリムも女子だ。なにも進んで地雷を踏みに行く必要はない。


          ●


 怪我しないようゆっくり進んだこともあり、結局、それから一週間ほどかかった。


 朝、異世界へと転送された俺が見上げると、頂上がくっきり見える。岩陰、強い山風を避けるよう張り付く小屋が、俺の目でもはっきりとわかった。


 どこか山裾まで降りて拾ってきたに違いない雑木の寄せ集めで作られた、粗末で小さな小屋だ。ところどころ枝と枝の隙間が大きく開いているのは、窓のつもりだろう。


 見下ろすと、俺と吉野さんは、分厚い雲海の上に立っている。雲はまるで荒れた海のようにうねり、朝日を反射して白銀に輝いている。


「きれい……」


 隣に立つ吉野さんが、ぽつりと呟く。足元には、タマに背負わせる大きな登山ザックが置いてある。一緒に転送してきたものだ。


「こんな光景が見られるなんて、異世界に来られてよかった」

「ですよね。しかもふたりっきり。混雑する観光地なんかじゃないし」

「うん。平くん」


 手を求められたので、握ってあげた。


「いつもありがとうね、平くん。命懸けで私のこと守ってくれて。戦いでも、川に流されても。ドラゴンにさらわれても……」

「そんな……。当然じゃないですか。吉野さんは、俺の大切な人だ」

「ありがとう」


 肩に頭を寄せてきた。俺は、しばらくそのまま、じっとしてあげた。眼下に神々しい光景が広がっている。まるで映画の一シーンのようだった。


「……さあ、そろそろ使い魔連中を呼びますか」

「そうね。昼前には頂上に着けそうだし。……でもその前に」


 正面に回ると、俺の瞳を見上げてきた。そのまま抱き着いてくる。


「ぎゅっとさせて」


 俺の胸に頬を寄せながら、小声で呟いた。


「いくらでもどうぞ。俺の胸で良ければ」


 アウトドアウエアを通し、吉野さんの温かな体温と柔らかな体を感じる。俺と身も心も繋がった、大事な人の。


         ●


 そうして俺と吉野さん、それに使い魔達は、この異世界の山を制覇した。頂上に立ち全周に広がる絶景を堪能してから、小屋へと向かった。


 小屋は本当に小さく、木や枝を組み合わせた「仮住まい」といった雰囲気。製材すらしてないからな。周囲に、木をくり抜いて作った桶や皿、多分椅子代わりの切り株が散らばっている。薪と思しき枝は、頂上の強い山風に飛ばないよう、縄でくくられて小屋に立て掛けてある。


 近づくと、中からひとり出てきた。ベージュに色褪せた、麻のような布の貫頭衣を、腰紐で結んでいる。小柄な男……いや女? よくわからないが、線の細い男――というか少年くらいに思える。金髪で灰色の瞳。ウイーン少年合唱団ってあるじゃん。そこの団員ってイメージさ。


 天使と人間との混血って話だから、翼とか輪っかとかあるのかと思っていたが、特にない。見た感じ、普通の人間にしか見えない。まあちょっと神々しくはあるけど。


「こんな辺境に、なにかご用事でしょうか」


 声も、声変わり前の少年ぽい。ヒューマンに獣人、エルフに妖精的な謎存在というパーティーを見ても、特に警戒も歓迎もしていない様子。興味もないようだ。ただただ透き通った表情で、俺達を見つめている。


「話がありましてね。俺は平。ライカン村で、あなたの噂を聞いて来ました」

「おやおや。奇特な人もいるものだ……」


 首を傾げると、俺をじっと見つめている。


「僕はキングー。どうせなにもすることはない。話を伺いましょう」

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