4-2 結界の先の海

「やっぱおいしいね。エレクア」

「トリムお前、口いっぱいに頬張りすぎだ。チョコが着いてるぞ」

「平気平気。舐めるから」


 口の周りをべろべろ舐め回している。うーん……。高貴なハイエルフとはとても思えん姿だ。子供かよ。


「うむ。このフランクカライジャンという菓子は、変わっていてうまいな」


 タマはコッペパンを手に持っている。大口を開けると、がっつり含む。口を開けたとき、ケットシーならではの鋭い犬歯が覗いた。


「タマ、それはなスイーツというより菓子パンだ。辛いソーセージをコッペパンに挟んだ品で、ベーカリー系コンビニのロングセラーだぞ」


 これうまいんだよな。なんといっても店舗で毎朝焼き上げる香ばしいパンに、ジューシーでいながら辛味に容赦ないソーセージの相性が抜群。ソーセージのチリ系辛味に、マスタードソースの別種の辛さが相まって、なんとも言えない複雑な旨味が生じる。そこにソーセージの、塩の利いた肉汁が滲み出てくるんだからさ。うーん、もっと何本も買ってくりゃ良かった。俺も食いたいw


「私はプリンパンが好きかな」


 リュコスにもらった薬草茶が効いたのか、もう吉野さんもすっかり元気。溺れかけて青くなっていた顔にもきれいな赤みが差している。俺も安心したよ。


「カラメルがいいアクセントになってるし。それにこのパン、シナモン……いえ多分ニッキが生地に練り込んであるから、エキゾチックなおいしさがあるよね」

「そうですね、吉野さん」


 なんせ女子が我先にと好きなおやつを摘むので、俺は余り物のドーナツだ。まあ俺は甘い物にそれほど執着ないから、別になんでもいいんだけどさ。フランクカライジャンをタマが取ったのは予想外だった。戦略見直しが必要だな。


「ボクは全部好きだよ、ご主人様」


 体が小さな特権を生かして、レナは全てのパンをちょっとずつおすそ分けしてもらってる。毎食この調子だからそりゃ、誰よりも日本の食いもんに詳しくなるわけだよな。


「あんたら、よく食うのう」


 ライカン村の長、ウェアウルフハーフのリュコスが感心……というか呆れてるわ。まあいいだろ。俺達、あの嫌なゴキ野郎をかろうじて倒したと思ったら溺れかかった。まさに九死に一生ってとこだったんだ。少しくらい好きにさせてくれや。


「ところで、近場の情報をいろいろ知りたいということだったが」

「そうそう。それでした」


 いかん。おやつに夢中になるあまり、肝心のことを忘れてたわ。


「リュコスさん。最初に伺いたいのは、結界のことです」

「結界か……」


 ほっと息を吐くとテーブルから自分のお茶を飲み、リュコスは話し始めた。


「あれが生じたのは数十年前だ」


 リュコスの説明では、誰がなんのために起術したのか不明。とにかく広範囲で、国境の川の中央を通り、海まで続いているという。これだけの結界を張ったのだから、術者がとてつもない魔力だか呪力を秘めているのは確実。それだけの大魔法使い、あるいは呪術師なら名が知れ渡っていても不思議ではないが、著名な術者の誰でもないという。


「この世界、海があるんですか」

「そうじゃ。あんたら辺境の民とお見受けするが、知らんのか?」


 リュコスは首を捻っている。


「辺境民なら知っていそうなものだが……」

「すみません。俺達、世界の成り立ちとか全然知らない、遠い地から来たんで」


 嘘は言ってない。なんせ俺ら、異世界からだしな。


 レナやトリムなら海の存在は知っていそうなものだが、これまで話題にならなかったのはおそらく、当面なんの意味もないからだろう。はるかに遠いみたいだから、地図作りには無用だし。


「ご主人様。海路での貿易がないから、海沿いは貧しく、ただの寒村ばかりなんだよ」


 レナは今は、俺が分けてやったドーナツ(トリムが言うドナツーな)に取り付いている。ちっこいのに大きなかけら抱えてるから、口の周り砂糖まみれ。後で拭ってやらないとな。


「なるほど」


 ここが大陸の一部とは聞いてた。他に大陸やら島があるのか知らんが、とりあえずそことの貿易はないって話なら、よほど離れているか、海に危険なモンスターが出るんだろう。


 この大陸内だって、険しい陸路での小規模キャラバンより、大荷物を運びやすい海運で、普通は交易するはず。それすら発展してないってことは、モンスターパターンのほうかもしれない。


「結界を張った人物や目的について、噂くらいないんですか」

「ないのう……。知っておるか?」


 リュコスは、テントに詰めている村の重鎮を振り返った。連中、全員首をぶんぶん振ってるな。


「とにかく数十年前に突如現れたんだ」


 発言したのは、がっしりした体つきの小柄な中年男だ。ひげもじゃだし、ドワーフの血が入ってるのかもしれない。


「それも徐々にじゃない。一晩のうちに、国境がすべて塞がれた」

「結界が円を描いているなら、その中心あたりに術者がいるんじゃないかな」


 俺が聞くと、リュコスは否定した。


「中央付近は、広大な砂漠だ。生きるのは難しいから、定住者はおらん。冒険者やレアアイテムの採掘者がちらほら旅するくらいでの」

「それにそもそも、結界は円形に広がってるわけじゃない。ヒューマン側との国境を、器用に囲んでいるんだ」

「なるほど」


 結界に関する情報を他にもいろいろ収集した後、肝心の話題に移った。もちろん、三支族の行方だ。俺達の目的は、この村では「結界調査」ということになっている。最初から三支族だの延寿だのについて聞きまくったら、怪しまれるからな。


 念のため、「結界の秘密を知ってるかも」という体にして話を振ってみた。


「三支族……。知らんのう。お前ら誰か知っとるか?」


 リュコスの発言に、テントに詰めていた村人は全員首を捻った。


「聞いたこともない名前だ」

「子供の頃、昔話で耳にしたかもしれんが、内容は忘れてしもうた」

「なんでも昔、シタルダ王家の支配を嫌い、この地を開墾かいこんした連中らしい」


 ヴェーダ図書館長から聞いた話を振ってみたが。


「ここはただの寒村だ。学のある奴はおりゃあせん」


 リュコスはかぶりを振った。


「そんな昔の歴史など、誰も知らんだろう」

「そうだそうだ。学者でも探して聞くがよい」

「なら延寿えんじゅの秘法についてはどうでしょう。なにか知ってたりとか……」

「それなら……」


 自分の茶をひとくち含むと、リュコスが続けた。


「知っておるだろうが、魔法や呪術に関しては、我らは詳しい。ヒューマンが呼ぶところの、『蛮族』だからな。延寿の秘法についても、もちろん知っておる。……とはいえ、こいつははるか古代の技術だ。現実に今でも存在するかどうかは……」


 テント天井に開いた明かり取りの窓を、リュコスは見上げた。思い出そうとしているのだろうが、しばらく黙った。それから住民を振り返った。


「駄目だ、思い出せん。……お前らはどうだ」

「知らんな」

「俺もだ」

「聞いたことはある」


 発言したのは、なんか妙に筋張ってごつごつした、痩せ男だ。


「俺にはわずかだが、トレントの血が混ざってる。亜人としてはとてつもなく長生きだった爺様の話では、かつてトレントの村に、長寿の秘密を求めて来た男がいたそうだ。亜人だったらしいが、そいつの話では、延寿の秘法というとてつもない秘術を、隠れ村で授けられたという」

「ご主人様、トレントっていうのは人型の樹木系モンスター。生きる時間軸が長いから、なにをするにものろいんだ。だけどその分、エルフよりかなり長寿だよ」


 レナが解説してくれた。


「その隠れ村とかいう奴は、どこにあるんでしょうか?」


 三支族のどれかが住んでいる可能性はある。初めて得た手掛かりだ。まずそこから調べるべきだろう。


「さあ……。爺様が誰かから聞いた又聞きだし、細部が曖昧で」


 首を振っている。


「誰か知らないか? その村とか、延寿の秘法について」


 リュコスが振ってくれたが、答えはない。


「後で村の全員に聞いてみよう」


 誰かが言ってくれた。


「それと村人じゃあないが、知っているかもしれない男なら、今思い出した」

「誰でしょうか。ぜひ教えて下さい」

「近くに住む隠者だ。変わり者でな……」


 なぜか溜息を漏らした。


「やはり亜人だが、以前、この村に流れ着いてきた。だが、なじむでもなく出奔しゅっぽんし、険しいシノダ山の上で、今は孤独に暮らしている」

「おお」


 リュコスが手を叩いた。


「たしかにあいつなら、なにか情報を持っているやもしれん。なにせ長寿……というより、ちょっと普通じゃないからのう」

「そう。おそらく、この世界でもたったひとりしかいない種族だ」

「どういう人なんですか」


 吉野さんも興味津々といった風だ。


「天使と人間の血を引く亜人だ。名をキングーという」


 天使なんて存在があるのか。この世界には……。




 こうして俺達は、天使の亜人が棲むというシノダ山を目指すことになった。そこにとてつもないクエストが待っているとも知らずに。

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