4 天使の遺した涙

4-1 亜人村ライカン

「落ち着いたかね」


 天幕を跳ね除けて、誰か入ってきた。ここは大きなテント。晴れているので天井の布が一部開けられており、暗くはない。おそらく防水のためだと思うが、布に塗られていると思しき香油の香りが、強く漂っている。


 簡素な寝台に吉野さんが横たえられていて、パーティーは全員、集まっている。俺は寝台の脇で椅子に座っている。


「はい……」


 俺の手を握っている吉野さんを、俺は確認した。もう大丈夫と、頷いている。吉野さんとトリムを助け浮上したところで、ここの連中の船に上げてもらった。そのまま村落に抱え込まれ、今、こうして手当てを受けているところだ。


「おかげさまで助かりました」

「それは良かった」


 入ってきた男は、瞳を緩めた。


「タオルはもっといるかね」

「いえ。おかげさまで全員、服もほぼ乾きました」

「……にしても、この時期の河を渡るとは、大胆だのう」

「荒れるんですか」

「いや、あの河は年中穏やかだ。水温も高いし。ただこの季節は寿命を迎えた木々が上流からたまに流されてくるので、泳ぐには細心の注意が必要でのう」

「ボクたち、このあたりには詳しくなくて」

「だろうのう、小さな妖精さんよ。……見たところあんたら、使い魔とヒューマン。しかも服装からして、シタルダの民でもなさそうだし。よほどの辺境から来たと見える」

「まあ、そんな感じです」


 曖昧にごまかしておく。


「どうして境など渡りおった。こっちの側からは、ちょうど川の半ばまでしか行けん。結界で封じられておってのう……。もっとシタルダ領寄りで溺れたら、助けにも行けなんだ」

「はい。それなんですが……」


 俺は考えた。


 どこまで話していいものだろうか。助けてくれたのだから、ここの連中には害意がないように思える。だがそれも、情報を探るまでの姿で、すべてわかったら殺すなり奴隷にされる危険性がある。ここはもう人間の地ではない。別の慣習や文化に従う、蛮族の地だ。


 国境付近の住民は概して友好的というから、そこまで心配する必要はないかもしれない。だが警戒しておくに越したことはない。


「この村は、ヒューマンと交易してるんでしょ」


 レナが口を挟んできた。あいつは救出には加われなかった分、助けに来てくれた連中の風体を注意深く観察していたからな。なにかわかったに違いない。


「交易していた、だな。謎の封印が施されてから、往来は滞ったから。つい先日、運び屋ハーピーにぶら下がって流れ者がひとり着いたが、久々じゃった」


 手を広げて、男は溜息を漏らした。


「おかげで、我々は食うや食わずだ」

「あなたは、この村の長ですか」


 聞いてみた。この男は、対岸で、俺達を助ける船に指示を飛ばしていた。多分この村のトップか実力者だろう。人間に似ているが、ちょっと違う。毛深く、ネコミミ状の大きな耳がある。尻尾は見えない。


 レナの話だと、ウェアウルフと人間のハーフじゃないかということだった。人間と仮定すれば五十代くらいの見た目だが、人間でない以上、実際の年代は判断できない。


「おお。これは失礼。救助優先だったので、名乗り忘れておった。わしはリュコス、このライカン村を仕切っておる」

「ライカン村……」


 事前にアーサーに聞いていた蛮族情報を、思い返してみた。そのような名前の集落については、情報がなかった。ここに運ばれるまでの間、村の中心部と思われるところを抜けたが、かなり小さな規模だった。だからアーサーが知らなかったのかもしれない。


 スカウトが知らないというのは、いい兆候だ。凶悪な部族だったら、知れ渡っていたはず。そうではないのだから、たいした危険はないと判断できる。


「ご主人様、多分だけど、ここはデミヒューマン、つまり亜人あじんの村だよ」

「亜人って?」

「人間とモンスターの血が混ざっている連中だ」


 タマが補足してくれた。


「混血ってことか」

「そうだ。それも、多種族の混血が集っているように思える」

「さっき、ハーフエルフっぽい娘もいたよ」


 トリムが入り口を指差した。


「といってもハーフじゃなくて、クオーターくらい。しかもエルフと人間以外の血も入ってそうだった」

「へえ……」


 なら納得できる。ここまでで目にした村人達は、人型は人型だったが体型もばらばらで、見た目も多様だった。


「左様。ライカンは、はぐれ者の亜人が集まった村だ。ずっと昔からな」


 リュコスと名乗った男が、説明を始めた。


 人型モンスターは、種族が違っても恋も混血もできる。そのうち特にヒューマンと他種族との混血を、亜人と呼ぶ。亜人は寿命や能力などの関係で、「人間ではないほう」の親の集落で暮らすことが多い。人間の親も一緒に。


 だが中には、そこでの暮らしになじめない者が出る。混血の辛いところだ。そうした連中は放浪の旅に出て、亜人だけでいつの間にかまとまって暮らしたりする。ここも、そうした集落のひとつ。国境に陣取り、人間の感性がわかる亜人の利点を生かして、代々、ヒューマンとの交易を生活の糧としていた。


「だがその生業も、結界封印発生と共に潰えた。いくらヒューマンの血が濃かろうとも、それを越えることができなかったのでな。……今では魚を獲ったり痩せた畑を開墾したりして、細々と暮らしておる。住人も、随分出て行ってしもうた。生活が苦しくてのう……」


 眉を寄せた。


「俺達は、シタルダのマハーラー王に頼まれ、こっち側の調査に来たんです。謎の結界を調べ、それを解除する方法を探ってくれと」

「おう。それならわしらにとっても助かる。あんたらが来たのも、神の思し召しかもしれんのう」


 リュコスは喜んでいる。


「わしらも全面的に協力しよう。なんなりと言ってくれ」

「助かります」


 嘘はついてない。実際頼まれている案件のひとつだし。こう宣言しておけば、まあ獲って食われることはないはずだ。


「ねえ平くん」


 吉野さんが寝台に起き直った。


「リュコスさんに、近場の情報を聞いてみたらどうかな」

「おう。なんなりと」

「そうですね。でも平気ですか、吉野さん」

「もう大丈夫。……お腹減っちゃった」


 舌を出してみせた。


 腹減ってるくらいなら、平気か。そういや、すでに午後三時頃。いつもなら弁当第二弾か、向こうから持ち込んだスイーツでおやつにしている時分だ。


「ご主人様。今日のおやつは、濡れても大丈夫だよ。小分けされたコンビニスイーツだから」


 レナも瞳を輝かせてるな。


「そうそう。今日はドナツーでしょ。あとプリンパン。それにフランクカライジャン。もちろんエレクア、あたしの好きな奴。早くその、ビジネスリュクとかいう鞄から出してよ」


 トリム、よだれ垂らしそうじゃんw ところどころなんか微妙に間違ってるが、それはまあいい。おやつの話題に食い付いてこないのは、いつもクールなタマだけだな。なんせマタタビ入ってないし。


 とはいえおやつにすると、それはそれでタマもおいしそうに平らげるのが笑えるんだけど。ケーキのフィルム、猫舌でぺろぺろ舐めたりするし。やっぱ女子だな。


「これは気づかんで」


 入り口に立つ女性を振り返ると、リュコスが手で合図を送った。


「午後の軽食にするなら、今、茶を淹れて進ぜよう。魔力を秘めた薬草茶なので、元気も回復するだろう。……わしらが、交易キャラバンのときに持ち歩く茶でな。大荷物を運ぶ疲れが取れるでのう」


 俺に向かって腕を拡げてみせた。


「必要な情報があれば、教えて進ぜよう。ここは流れ者が吹き溜まる村。それなりに噂話は集まってくるからのう」


 これは期待が持てるかもしれないな。俺が抱えている多くの謎のどれかには、かするかも……。

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