3-8 対冬虫夏蠍戦
「あたしは動けない。なんとかしてくれ、平ボスっ」
「焦るなタマっ」
バスカヴィル家の魔剣を抜いた。身近で振り回すのだから、長剣より短剣のほうが扱いやすい。
しかも登山用の頑健なロープだ。普通の剣では、硬い石の上に置くとかして何度も叩くようにしないと、切れやしないだろう。ましてや今はぶらりと垂れている状態だし。普通の剣の切れ味では歯が立たないのは見えてる。
「今ロープを切る。あとトリム」
「わかってる」
背後からトリムの声が聞こえた。
「あたしがなんとかする」
言ったと同時に、もう矢が数本、風切り音と共に俺の頭上を駆け抜けた。ハイエルフのバランス感覚なら、ロープで繋がれたまま平均台の上でも、弓は自由自在だろう。
「やったっ!」
トリムの歓声と共に着矢したかと思った瞬間、
「ゴキ野郎、ちょろちょろと」
さすが、虫型と人型の合体アンデッド。そんじょそこらのアンデッドとは違う。とにかくあの素早さを殺さないと。
トリムの矢が、頭上を大量に飛び交った。ど真ん中だけでなく左右にも飛ばし、避けたところへのラッキーショットも狙っているが、どれもこれも、敵は器用に避け続けた。
あの虫の部分さえなければ、楽勝なはずなのに。嫌な敵だ。
「ご主人様、敵が詠唱してる」
「平ボス、早くあたしを自由にしてくれ」
「わかってるって」
ぽっかり空いた不気味な眼窩で俺を睨むと、野郎、早くも魔法詠唱に入っている。すぐに対処しないと、こっちは全滅だ。なにしろ一直線に並んだまま動けない。範囲魔法すら必要ない。その分、強い攻撃魔法を選べば、俺達は串刺しになって死ぬ。
「魔剣よ、俺を助けてくれ」
柄を額に当てて念じた。剣がわずかに震える。了解の合図だろう。
「頼んだぞっ」
タマへと伸びるロープへと振り下ろす。さすがは魔剣。さくっと斬り込んだだけなのに、なんの抵抗もなく、ロープが糸のように両断された。
「行けっタマ」
「うおーっ!」
雄叫びを上げると、待ってましたとばかり、タマが駆け出した。不安定な平均台を一気に突き進むと、目もくらむような回し蹴りを放つ。が、それもあっさりかわされた。
「俺も続く」
背後のロープを叩き斬ると、落ちないように注意しながら、俺は平均台をにじり進み初めた。
「トリムは前進、吉野さんをカバーしろ」
進みながら命じる。
「わかった」
「同士討ちになるから、矢は諦めろ。あと吉野さん、俺とタマにエンチャントポーションと防護ポーション。トリムに投げさせてください。やられたらヒーリングポーションも。あの素早い敵への攻撃は無理だ。俺とタマだけに絞って。こっちは何発かは魔法を食らいそうだし」
「了解」
最初に自分とトリムに防護のポーションを使うように指示すると、ようやく平均台を抜けた俺は、全速で駆け出した。幸い、このあたりの渡し板は腐っておらず頑丈そうだ。存分に戦っても踏み抜いて川に落ちる展開はないだろう。
「タマ、挟み撃ちだ」
「平ボスっ」
ふたり目で意思を通じた瞬間、冬虫夏蠍から火山弾のような炎が飛んできて、俺を直撃した。
「うおっ!?」
かわせはしなかった。俺はタマやトリムのように柔軟じゃない。すごい衝撃で、二メートルほども吹っ飛ばされた。
「ボスっ!」
野郎の背後に回ったタマが、連続で蹴りを放つ。かさかさと逃げると、敵はまた詠唱を始めた。
「痛え……」
腹がとにかく痛む。あれ多分とんでもなく熱い。何千度って線だろう。腹筋が焼けたように痛む。おまけに単純に弾としての威力もすごい。マジ火山弾並だなこれ。
「レナは……」
「ボクは大丈夫。胸には来なかったから」
俺の胸の定位置から、レナが見上げてきた。
「それよりご主人様が……」
「平気だ」
防護ポーションを寸前に浴びていて助かった。あれなかったら、腹に穴が空いた上に内側から高熱で焼かれていたかも。
「タマ……」
痛む腹から、なんとか声を絞り出した。息をするだけで苦しい。そこに吉野さんのヒーリングポーションが飛んできて、なんとか話せるくらいには回復した。
「いいかタマ、あの魔法を吉野さんたちに飛ばされたら終わりだ。避けようがない。衝撃で川に落ちちまう」
「あたしとボスで連続攻撃だ。そうすれば対処に手一杯になる。魔法を受けるのはあたしとボスだけで済む」
「よしっ」
俺達は何発も食らうだろうが、ポーションがある。ついでにうまいこと敵までかかれば、アンデッドたる敵にもダメージを加えられる。一石二鳥だ。
「レナ、お前はチャンスを窺え。やれそうなら例の手だ」
「この必殺剣だねっ、ご主人様」
レイピアのような楊枝剣を、レナは振りかざした。異世界の強い陽光に、銀色に輝いている。
「任せてっ」
あれには確率で一撃必殺の効果がある。前、リッチ戦のときは、それで助かった。今回もアンデッドだ。比較的発動しやすいだろう。
俺は長剣を構えた。逃げ足の速い敵だけに、少しでも間合いの取れる武器を使いたい。ならば跳ね鯉村で鍛えてもらった長剣のほうが、短剣であるバスカヴィル家の魔剣より有利だ。
野郎に向けて突き進んだ瞬間、俺はまた魔法弾で吹っ飛ばされた。
「くそっ!」
一進一退の――というか一勝九敗くらいの戦いが続いた。タマも俺も、もう何度も魔法を食らっている。今はまだポーションで凌いでいるが、尽きたら終わりだ。マナ召喚系ならともかく、詠唱型の魔法には弾切れなどない。長期戦は敵に有利。早くなんとかしないと、こっちは全滅だ。
相手はとにかく逃げ足が速い。おまけにゴキ野郎の特性なのか、自由自在、どの方向にも激速で走り回る。こちらの攻撃をかわしながら、次々に魔法を撃ってくる。
超高速ネズミ花火を相手にしてる気分さ。火の粉――魔法が飛んできて近づけないのも同じだし。
「平ボス、左だ」
「わかってる」
それでもタマは、野生の勘である程度、敵の動きを見切れるようになったようだ。目に見えてタマの被弾が減ってきた。その分、途切れなく攻撃を繰り出せるので、敵は対処に手一杯になる。俺への手数も減って、俺もなんとか間合いを詰められるようにはなってきた。
「今度は右」
「任せろ」
そのとき、タマの後ろ回し蹴りが、信じられないほど伸びた。逃げつつあったゴキ野郎の後頭部に、微かにかすって。
「当たった」
トリムの歓声が聞こえた。
思わずのけぞった敵のゴキ胴体部分に、俺の長剣が届いた。
「ぐううっ」
ミイラのような口から、苦悶の唸り声が漏れた。
「今だっ! 行くぞタマっ」
「平ボスっ」
このチャンスを逃すわけにはいかない。俺とタマは、動きの鈍った野郎相手に、挟み撃ちで連続打撃を食らわした。
「イケるぞっ」
とにかく動きを封じないと。ゴキの胴体優先でざく斬りを続けると、傷からどろりと白い粘液のようなものが漏れ始めた。粘液は、なんか知らんがとてつもなく臭い。本体たるアンデッドの腐敗臭と合わさって、臭いだけで気絶しそうなくらいだ。
「ボス、首を刎ねるんだ」
俺がゴキを攻撃し続ける間、本体に蹴りを叩き込み続けて詠唱を止めていたタマが、俺に目配せしてきた。
「胴体相手は、あたしが代わる」
「頼むぞタマ」
長剣を、バスカヴィル家の魔剣に持ち替えた。幸い間合いは詰め切れているので短剣でも問題ないし、最後は切れ味勝負だ。魔剣を高く振りかざすと、俺は人型の首に向かって振り抜いた。
骨を砕いた感触があり、魔剣が首の反対側まで貫き通す。
「ぐうっ」
悲鳴と共にアンデッドの首が飛び、ころころと橋の上を転がった。
「やったよご主人様っ。倒したよ」
両手を上げて、レナが大喜びしている。トリムと吉野さんの歓声も聞こえてきた。
「ざまあ見ろや、ゴキ野郎っ」
荒い息をなんとか整えながら、魔剣をひと振りして血や肉を払い、鞘に収めた。
「タマ、よくやった」
「平ボス……」
野郎の
「どうしたタマ」
「おかしい。妄想が解放されない」
「……そう言えば」
この世界では、ポップアップモンスターは倒されると虹のような煙となって、妄想として解放される。まだそれが起こらないのは異例だ。
「どういうことだレナ」
「わからない……」
レナも首を捻っている。
「まだ死んでないのかも。……人型部分とインセクトモンスター部分の二体合体のようなものだから。首は刎ねたけど、人型部分の話だし」
「でもこいつ、どう見ても死んでるだろ」
「見ろっ!」
タマが一歩後退した。
「脚が動いてる」
虫部分の脚が全部、折り畳まれるようにのろのろ動いている。ちょうどリアルゴキを殺したときのような感じさ。
「この臭いは……」
なにか思い当たることがあるのか、タマがはっと顔を上げた。
「まずいぞボス。逃げろっ。爆発する」
「なにっ」
素早く動くと、タマが俺をかき抱いて跳躍した。橋の前方に。
「吉野さんっ。伏せて足元に掴ま――」
タマの腕の中でなんとか注意を促そうとした瞬間、ゴキ野郎の体が爆発して、俺とタマは吹っ飛ばされた。
「……ってえ」
衝撃でごろごろ転がされ、それでもなんとか頭を起こした。あいつのいた場所からは、敵撃破の証拠、大量の虹が立ち上っている。イタチの最後っ屁みたいなものかもしれない。倒されると自爆するとか、最後の最後まで嫌な野郎だ。タマに助けられなかったら、今頃体ばらばらじゃん。
「なんだよあいつ」
もう二度と戦いたくない。
「ご主人様、吉野さんがっ」
レナが俺の胸を叩いた。
「た、平くんっ」
半透明の虹を通して、吉野さんがかろうじて見えた。平均台から滑り落ちて、ロープで宙吊りになっている。爆発の衝撃だろう。
「吉野さんっ」
「平、助けてっ。吉野さんが……」
トリムは落ちずに済んでいる。ロープを両手で掴み、吉野さんが落ちないよう支えている。だが――。
「あたしの力じゃ、長くは持たない。足場が悪いし」
「すぐ行く。頑張れ」
俺が立ち上がったときには、すでにタマが平均台の上を突き進んでいた。
「ふみえボスっ!」
「タマちゃん……」
俺も駆け出した。落ちたら危険だ。今はロープで助かっているが、水中では逆に凶器になる。脚に絡んだら溺れてしまうだろう。ただでさえ、着衣での水泳は難しいというのに。
「ご主人様、急いで」
「吉野さん」
「平くんっ」
目を見開いて、俺を見つめている。
「頼むねっ」
微笑んでくれた。落ちる恐怖と戦いながらも、俺を安心させようとして。
「すぐ行きます」
「わかってる。平くんはいつだっ――あっ!」
トリムがふらつくと、吉野さんが大きく揺れた。
「だめっ!」
踏ん張りきれなくなったトリムが、足を滑らせた。タマが手を伸ばしたすぐ先で。
「ふみえボスっ。トリムっ」
タマが水面を覗き込む。
ふたりの悲鳴が消えていく。続いて、大きな水音が響いた。
「吉野さん! くそっ」
一度深く沈んだ吉野さんとトリムの頭が、ようやく水面に現れた。見え隠れしている。どんどん下流に流されて。
「しがみついてろレナ。息を止めてな」
「ご主人様急いで。吉野さんとトリムが……」
走り込んだ勢いのまま、俺は大河にダイブした。
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