3-7 死の平均台

「いよいよここか……」


 二時間くらい掛かっただろうか。俺達はなんとか橋の中央部まで進んだ。ここまで、水垢かなんかでぬめぬめする部分に足を取られた吉野さんが滑って、一度だけ腐った板を踏み抜いた。


 ただ、まだ手すりが残っている部分だったのは幸運だった。手すりにしがみついた吉野さんを、ひょいひょいと難なく近づいたトリムが足元のしっかりした部分に誘導し、難無きを得た。


 だが、ここからが問題だ。今、タマの前にあるのは、橋桁が片方崩れ落ち、渡し板もすべて落ちてしまっている部分。例の「二十メートル平均台」だ。


 もちろん手すりはない。離れた部分からの想像よりは広くて助かったが、それでも幅三十センチほどだ。一度でも足を滑らせれば、確実に踏み外すだろう。


「いいかみんな、最大の難所だ。ゆっくり確実に、しかしなるだけ各人の行動の間を詰める。時間が掛かると、風に煽られる危険性が高まるからな」

「平に吉野さん」


 風切り音に負けじと、最後尾からトリムが声を張り上げた。


「このあたりは、気まぐれに風向きが変わる。左からの風だと踏ん張ってると、逆側から急に煽られたりする。バランス崩さないよう、気をつけてね」

「わかった。平くん、私は大丈夫だからね」


 吉野さんかわいいなあ。俺に心配かけまいとしてるんだな。


「安心してください、吉野さん。なにかあれば、俺とトリムが助けに行きます」

「大丈夫だよ吉野さん。ご主人様が助けてくれるから。ボクは少しなら飛べるから、なんとなれば紐を持つくらいできるし」

「お願い」

「そのときはタマ、お前は動くな。足を踏ん張って支えるんだ。もし俺かトリムがさらに落ちたら、バーティーはかなり危険になるからな」


 四人のうちふたり落ちたら、残った連中で支え切れるか微妙だ。


「わかってる、平ボス。お前もふみえボスも死なせはしない。あたしの大事なパートナーと使い手だからな」

「頼もしいぞタマ」

「任せろ」


 いつも無表情なのに、珍しく笑ってる。タマの奴、俺と吉野さんを安心させようとしてるんだな。助かる。


「では進む」


 厳しい表情に戻ったタマが踏み出した。続いて俺、吉野さん、トリムと進む。


 橋桁と橋桁を繋ぐ構造部分だからしっかりした木材で、腐ってはいないのが幸いだ。それでも苔のようなものが着いていて、微妙にぬめる部分がある。四人の体重が掛かったせいだと思うが、たわんで揺れて、さらにギシギシ軋むのが、なかなかに嫌な感じだ。どうしても不吉な想像をしてしまう。


「吉野さん。沖縄楽しかったですね」


 注意深く歩を進めながら、俺は吉野さんに話しかけた。楽しいことを考えれば気が散らせると思ったからだ。


「うん。私、これまでの人生で二番めに幸せだったかも」

「二番め?」


 一番かと思ってた。てか俺は少なくとも一番だったからな。まさに天国だったじゃん。


「一番はなんですか?」


 なんだろ。子供の頃の誕生会とかかな。


「一番は、平くんと初めてデートしたこと。あのレトロな遊園地で」

「ああ……」


 ただ会社帰りにせわしなく回っただけのあのデート、そんなに嬉しかったのか。なんか男冥利に尽きるわ。


「だって私、平くんとデートできたんだもの。夢みたい」

「そうですね。俺もあのとき幸せでした」

「あと、あの晩も。あっちのが幸せだったかな」

「あの晩……」


 もちろん、初めて結ばれた、あの夜のことだろう。


「……でもこれじゃあ沖縄、三番めだわね。うん」

「吉野さん……」


 使い魔の前だし危険な渡河の最中だというのに、好きですとか思わず叫びそうになったわw


 モテ期なし、恋愛経験ゼロの俺に、こんなかわいい彼女ができるなんて。夢のようだ。今すぐ抱き締めたいが、そうしたらもちろん俺も吉野さんも落ちるから、タマとレナまで道連れにして死ぬことになるだろうwww


「吉野さん、ありがとうございます」

「ほらしっかりして。前向いてちゃんと進むのよ」

「はい」


 気を散らしてあげるつもりが、俺のが子供扱いされてるじゃんw


「頑張りましょうみんなで」

「うん」


 それやこれやで死の平均台、ようやく半分ほど進んだ。幸い、渡り切った場所の周囲は腐り板抜けもなく、足場はしっかりしていそうだ。それが見えて安心した。ここまで無事で来た。なら残りの十メートルほども、なんとか大丈夫だろう。


 そのとき、タマのネコミミがぴくりと動いた。


「平ボスっ」


 叫ぶと振り返った。


「ポップアップだ。渡り切ったところに敵が出る」

「なにっ!」


 対策を考える時間もなかった。Gが這い回るようなかさかさ音がすると、橋の裏から、なにかが表に回り込んで飛び出してきた。


「なんだこいつ……」


 奇妙なモンスターだった。


 全長二メートルくらいの、黒光りする多脚の平たい虫野郎。ゴキとかフナムシに似ている。つまりインセクト系なのはたしかだ。ただ、その虫の背中にただれた繭のような部分があり、そこからアンデッド系人型モンスターの上半身が生えている。


 ゴキとミイラをむりやりくっつけたような奴だ。もちろん見たことなどない。


「詳しくは知らないけどこれ多分、冬虫夏蠍とうちゅうかそうってモンスターだよ、ご主人様。メイジ型アンデッド」


 レナが叫んだ。


「リッチなんかより、はるかに強敵なはず。虫の部分からマジックパワーを吸い取ってるって話だから」


 なんてこった、間接攻撃系かよ。敵との距離は十メートルもある。しかも俺もタマも、前衛職はロープで繋がれていて身動きが取れない。おまけに足場は「平均台」。最悪の事態だ。


「平ボスっ」


 緊迫した声で、タマが叫んだ。


「どうしたらいいんだ。あたしは動けないっ!」

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