3-4 王属馬車の疾走

「ここが蛮族の地との境か」


 目の前に広がる大河を、俺は見通した。川を渡る風は強く、少し肌寒い。こっちの王国側は岩がごつごつ突き出る、ちょっと荒れた山裾だ。とにかく川幅が広いんで、向こう側は霞んでいてよく見えない。多分草原だ。それでもなんというか、王国とは違う、すさんだ雰囲気が漂っている。


「平くん。十日前後で着くなんて、思ったより早かったわね」


 俺に並んだ吉野さんが手を求めてきたので、握ってあげた。


「そりゃ、馬車借りましたからね。吉野さん」


 辺境行きを決めた当初は、これまでどおり、のんびり遊びながら歩いて進む計画だった。それを変えたのは、俺と吉野さんが三木本Iリサーチ社から叩き出されたからだ。ちょっとした戦略があってな。


「国王の馬車、さすがに速かったね、ご主人様」

「なんでも王国でも誉れ高い速馬を厳選してあるって話だったしな」

「あの馬車、魔法がかけてあった。あたしたちハイエルフにもよくわからない奴」


 トリムは首を捻っている。


「だから御者もなしで、目的地まで連れてきてくれた。あれだけ飛ばしても、全然揺れなかったしね」

「そうよね、トリムちゃん。新幹線かってくらい速かったけど、乗り物酔いすらしなかったし」

「新幹線ってなんですか、吉野さん」

「それはな、トリム」


 吉野さんに任せると延々きちんと説明しそうなんで、割って入った。


「あっちの世界の貴人の乗り物だよ」

「わあ。そうなんだ」

「ああ、しかも中ではなんちゃってビールが飲み放題だ。貴人の乗り物には貴人の飲み物ってことだよ」

「それ今度乗せて」


 トリムが俺の袖を引っ張った。


「ねえあたしのお願い」

「わかったわかった。そのうちにな」

「へへーっ。さすが平。大好き」


 裏表なくていいな、トリムの奴。気楽な性格は、長命なハイエルフならではなんだろうか。ペシミストの陰キャエルフとか、長い時間生きるの辛すぎるだろうしな。


「たしかにあの馬車は凄い。あたしも感心した。自然と共に暮らすケットシーの集落にもないぞ」

「タマもそう思うのか」

「ああ平ボス。あれは特別だ」

「ならなにかのとき、また借りてみるか」


 たしかにどえらく役に立った。王都から国境まで、徒歩のスカウトで数週間って話だったからな。俺達ののんびりペースだと、もっと掛かっただろうし。


 王に馬車を借りて、街道の続く限りそれで突っ走った。街道だからほとんど出ないとはいうものの、モンスターが湧いたら瞬殺すればいいし。今の俺達なら、雑魚モンスターはもう蟻を踏むようなもんさ。


 街道が切れて獣道になるところで、馬車は解放した。うまいことできてて、帰巣本能のある馬は、王都に勝手に戻るんだと。王の紋章を掲げた馬車だから、往路と同じく、道々住人が餌くれたりうまやに一晩繋いでくれたりするらしい。


 とにかくわずか数日で、俺達は街道が途切れて獣道になる地点まで到達。そこからタマとトリムの勘を頼りに道なき道を突き進み、こうして蛮族の地との境に到達したってわけ。


 街道が途切れたところにある村で情報を集めたし、アーサーに聞いていた大河が間を隔てていたから、国境はすぐわかったよ。


「さて、どう渡るかだが……」


 俺は、目を細めて川を見つめ直した。流れ自体は緩やか。さっき水に手を入れてみたがお湯のように温かかったから、危険はなさそうだ。水棲モンスターもいないって話だったし。


 ただ深いというから、泳がなくてはならない。実際、アーサー達はそうしてるんだと。さすがスカウト。とはいえここまで広いと、俺達では泳いで渡るのは無理だろう。それにそもそも、服着たままの水泳は難易度高いしな。


「ドラゴンさんに頼んでみる? 乗せてもらえればすぐでしょ」


 吉野さんが俺を見上げた。


「この間、久しぶりにマッサージにいったとき、イシュタルさんは機嫌良かったし」

「グリーンドラゴンか……」

「多分無理だよ、ご主人様」


 レナが口を挟んできた。


「ドラゴン族は気位が高いからね。ドラゴンライダーといえども、自由自在に操れるわけじゃない」

「俺もそう思うわ」


 イシュタルで無理なら、いくら使い魔仮契約中とはいえ、ドラゴンロードのエンリルも駄目だろう。


 ここいらに集落はないから、船の調達も厳しい。


「アーサーに聞いていた手しかないだろう」


 上流方向をじっと見つめていたタマが提案してきた。


「この川の上流には、過去使われていた橋がある。向こうとこっちで交易があった頃の奴だ」

「やっぱそれしかないか……」


 なんでも、交易が途絶えてから誰も手を入れなくなったので、長い年月で木材が腐り、崩壊しかかってるとかいう話だったが……。


「あたしに見える範囲では、道こそ険しいが、危険なモンスターは出そうもなくは思える。ただ風向きは川風だから、上流側の匂いがよくわからない。その点は不確定要素だ」


 遙か先を指差した。ケットシーは視力・聴力・それに嗅覚にも優れる。信用してもいいだろう。


「トリム、どう思う」

「タマの判断は正しいと思うよ。……でも念のため、あたしも調べてみる」


 矢筒から、例の鏑矢かぶらやを摘み出した。飛ぶとき音を発するので、周囲の状況や危険性がわかるって魔法の矢だ。


「ちょっとみんな静かにしててね。判断が狂うから」


 注意すると、きりきりと音を立てて、矢をつがえた弓を引き絞った。トリムの白い腕に不釣り合いなほど大きく、筋肉が盛り上がる。血管まで浮き出てきた。多分あの弓、俺だとわずかも引けないくらい強弓なんだろう。


「やっ!」


 掛け声と共に放った矢は、鋭い音を発しながら、緩やかな放物線を描いた。ずっと遠くまで。俺の視力ではもう矢は見えないが、音はまだ聞こえている。


 どんだけ遠くまで飛ぶんだよ、トリムの矢。さすがハイエルフだな。


 三分は優に超えた頃、音が止んだ。それでもしばらく瞳を閉じてじっとしていたトリムは、ようやくこっちを見た。


「うんわかった」


 集中して疲れたのか、ほっと息を吐く。


「橋はあったよ。ずっと先だけど。道中荒れてるから、そこまで多分二、三日はかかるだろうけど」

「そこまでわかるんか」

「ハイエルフをなめないでよね、平」


 腕を腰に当てて得意顔だ。


「それで、モンスターはどう」

「はい吉野さん。橋の近くまでは、あんまり強くはなさそうかな」

「そう。安心した」

「ただ国境地帯なんで、これまで戦ったことのないモンスターは出そう。弱くても初見のモンスターはそれなりに危険だから、注意は必要かも」

「よしわかった。川沿いを上流に向かおう。……ただ、その前にここで今日明日掛けて準備する。薬草採取してポーション作るとか。俺とタマで採取する。吉野さんはここに留まって、ポーション製作の準備をお願いします」

「平くん、わかった」

「あたしは?」

「トリムはこの場だ。矢を多めに作っておいてくれ。あれ魔法で生成するんだろ」

「そうだよ。手で作るわけじゃないから。まあ魔法でも、生成に時間は掛かるんだけどさ」

「ないとは思うが、モンスターポップアップとか万一の事態になったら、吉野さんを守ってくれ」

「任せて」

「レナ、お前もここだ。吉野さんの作業をサポートしつつ、周囲の気配に注意するんだ」

「了解だよ、ご主人様」

「では行くぞ、タマ」

「平ボス」


 全員の準備が整ったのを見て取ると、俺はタマと背の高い草原ブッシュへと分け入った。

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