2-8 ナンパ野郎がポップアップ!(めんどくさっ)
「……よ」
カバナで目を閉じ、海の香りを含んだそよ風にうとうとしていると、声が聞こえてきた。どこからともなく。
「……どう、一緒に」
男の声だ。
「あたしたち、お酒のおかわり頼みに行くだけだし」
トリムの声。
「いいからさ、一緒に飲もうよ。そこの娘も」
「ふたりともハーフ? かわいいね」
起き上がりカーテンをちょっとめくって覗くと、男ふたりだ。ちょい先で、シャンパンの空き瓶抱えたトリムとタマを捕まえたらしい。
ナンパ野郎がポップアップしたのかよ。めんどくせえなあ……。
「俺達、親父の会員権で来てるからさ、部屋で贅沢できるぜ。四階だから眺めもいいし」
でっぷり太った生白い白豚みたいな男だ。眼鏡越しにトリムの体をガン見してニヤついてやがるな。
「楽しいぜ。酒なんかよりいい、安全な秘密の薬もあるし」
言ったのは、デブの脇の男。こいつはムキムキで、いかにも日焼けマシンで焼いた風に黒い。眉剃って腕にトライバルな墨が入っているから、半グレだろう。
早い話、チンピラと金づるの遊び人コンビだな。どっちも見た感じ、俺とそう歳は違わない。いい歳してなにやってんだ、こいつら。
「ねえねえ。ほら、行こうよ」
黙って立っているタマがおとなしいと見て取ったのか、デブが腕を取った。
「……」
黙ったまま、タマが腕を振り払う。
「なんだよ、つれないなあ」
「……ここでいいのか」
「へっ?」
「ここで殺していいのか。それとも裏に行くか」
「おいおい。物騒だなあ」
チンピラのほうが、げらげら笑ってる。
「遊ぶだけだよ。そうトンがるなって」
「平くん……」
騒ぎに起きたのか、吉野さんが俺の腕を掴んだ。
「ホテルの人、いないのかしら」
「ここ奥まってますし、もう飯も片付け終わったから」
誰もウエイターがいないからこそ、トリムたちも自分で酒瓶抱えて歩いたんだろうし。
「いいの? ほっといて」
「タマとトリムですよ」
「それもそうか」
少し安心したのか、微笑んだ。
「でもちょっと行ってきます。タマがあいつらぶっ殺したら困るし」
「そっちよね、やっぱり心配なのは」
「本当に」
俺がカーテンの陰から出て歩いていくと、連中、少しだけ顔を歪めた。
「男連れかよ。……木下さんの怖さ知らないだろ、お前」
デブに指示されて、チンピラが俺を睨む。
「部外者は引っ込んでろや、今、話し中だ」
なんだろなこの、何十年も前から全然変わらないやり方ってのは。
「ごめんな君達。この娘は俺の連れなんだわ。悪いけど他を当たってくれよ」
「お前ひとりなのか?」
「何人かで来てはいるがな」
「男はお前ひとりなのかって聞いてるんだよ」
なんだそうかよ。ならそう言えっての。
「気の置けない友達の集まりなんだ。悪いね」
「男ひとりならいいじゃねえか。どっちか渡せよ。卑怯じゃねえか」
わけわからん。なに言ってんだ、このデブ。
「俺達はふたりだが、ひとりで我慢してやるよ。俺達も楽しく飲む相手が欲しいだけだからよ」
ウソつけ。
「なにあんたたち」
トリムが睨んだ。
「あたしには、ここに大事なご主人様がいるんだからね。あんたなんかになびくわけないじゃん。なにその
「なんだって?」
下卑と言われても、意味がわからないみたいだな。
「そうだよねえ、ご主人様」
トリムが俺の腕を胸に抱え込んだ。
「なんだヘンタイかよ、このブス」
チンピラが唇を曲げた。
「そろそろ殺していいか、ボス」
タマが唸った。まだ戦闘猫目になってないな。偉いぞタマ、自制してて。
「まあ待て。ただのヒューマンだ。かわいそうだろ」
「なに言ってんだよ、てめえら」
精一杯、チンピラとデブが俺を睨みつけてくる。
正直、笑っちゃったよ。だって俺、あの偉大で巨大なドラゴンロードと対峙して丸呑みにされたり、異世界とこの世界を滅ぼそうって混沌神を、五十年の命を削って退治したりしてたし。
こんなチンピラに睨まれたって、怖くもなんともない。ナイフすら持ってないだろうし、最悪だってこいつら、俺を殴るくらいしかしないだろ。なんなら百発くらい殴らせてやるわ。アホらしい。
「お前、ボスはドラゴンライダーだぞ」
トリムと反対側の腕を、タマが抱いた。
「しかもドラゴンロードの。あの世界では誰もが認める、男の中の男だ」
「そうそう。あんたなんかに用はないわ。男だったら、平ご主人様ひとりで百人……いや千人分くらい事足りるし。あたしなんか、なんならもう来生の分まで平だけで満たされてるし」
「なに。この野郎……」
チンピラが右手を体の後ろに隠した。前腕に血管が浮いたから、拳を握り締めてるの丸わかりだ。殴ってくるつもりだろう。
「まあ悪いけど、引いてくれよ」
チンピラの挙動を観察し殴り合いの間合いまでは詰められないよう注意しながら、俺はすまなそうな顔を作ってみせた。
「なあ、ここはリゾートだ。みんな楽しく過ごそうじゃないか」
「おめえのせいだろが」
「俺はやりたくないんだよ。あんたら強そうだし、俺、ケンカ弱いしさ」
言いながら、チンピラの瞳を、俺は睨んだ。ドラゴンロードの前、声が震えないようにと命を懸けて睨んだときのように。
「てめえ……」
言葉こそ柔らかいが俺が睨んだんで、驚いたみたいだ。目を見開いて、負けじと睨み返してきた。
「なあ頼むよ。この娘達がフリーだと誤解させたのは俺が謝るからさ。怖いんだよケンカするのが」
「……ちっ」
チンピラが目を逸らした。今だな。
「謝るよ。ごめんな」
頭を下げてやった。今なら殴りも蹴りも飛んでこないはずだから。
「ならまあ仕方ねえ。ぺこぺこするだけの臆病野郎なんか殴っても、自慢なんかにならねえしな」
とりあえず勝った形にはできたんで、あからさまにほっとしてるな、チンピラ。目を逸らしたままイキってるし。
「ありがとう。感謝するよ。……男だよ、あんた」
逆恨みを避けるため、もう少し持ち上げておく。
「えっ!?」
なにが起こったのか理解できなかったのか、デブが俺とツレをきょろきょろ見てる。
「木下さん……」
「もう行くぞ。カスとやり合うなんて、俺の伝説に傷がつくからな」
デブを置いて、すたすた歩いていってしまう。
「き、木下さーん……。待ってくださいよ」
何度もこっちを振り返りながらも、小走りでチンピラの後を追う。走ると腹の肉がぶよぶよ揺れて、コントかよってくらい大笑いだ。
念のため視界から消えるまで連中の姿を追うと、俺はほっと息を吐いた。
「めんどくせえなあ、本当に」
「……平、なんで下手に出たのさ。あんな連中、今の平なら、武器なんかなくたって、どうとでもあしらえるでしょ。死なない程度に」
「トリム、そう言うな。戦わずして勝つ。孫氏の兵法だ」
「ソンシーってなに?」
「あんなアリンコみたいなの、毎度毎度踏み潰してもしょうがないだろ。いくらでも湧いてくるぞ、あの手の輩。ウエアラットよりうざい」
俺はもともと、いろんな部署で邪険にされた挙げ句、あちこちたらい回しになってたからな。この程度の侮辱をいちいちマジに取ってたら、大事なメンタルやられるわ。だから馬鹿の言うことは「言葉のわかる猿のたわごと」くらいに考えるようにしてる。
チンピラに頭下げたり唾吐かれるくらい、楽勝さ。誰に馬鹿にされようが、俺の心には、毛ほどの傷すら付かないからな。
「平ボスはさすがだな。あたしなら絶対殺してた。戦闘がなくて、ちょうど退屈してたし」
タマにまた腕を抱かれた。肩に頬を擦り付けてくる。ネコだなやっぱ。
さっきもそうだけど、クールなタマにしては珍しい。もしかして、パートナー宣言したからだろうか。女の子の面を俺に隠さないようになったの。これまでは照れ臭かったの、告白して吹っ切れたとか。……ないか。
「まあ飲み直そうぜ」
タマとトリムの腰を抱いてやった。
「酒は俺がもらってくるからさ。そう……二本くらい。タマとトリムはカバナに戻っててくれよ。吉野さんが心配してるから」
「わかったよ、平」
「ボスのおかげで助かった」
改めて、ふたりが俺に抱き着いてきた。
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