1-5 小悪党を軽くいなす

「平くん……」


 吉野さんが、小声で俺の袖を引っ張った。ちょうど経営企画室の週次定例会議が終わり、外で一緒に昼飯でもってんで、ふたり並んで本社の廊下を歩いているところだ。


 言われて見ると、エレベーターホールから廊下に、知った顔が出てきたところだ。


 ふたり。そう金属資源事業部課長補佐の川岸と、俺の同期の山本。俺達を三木本Iリサーチ社から追放すべく動いたに違いない小悪党と、その腰巾着。なにか話しながら、こっちに向かってくる。


「おっ」


 目ざとく俺達を見つけて、川岸がにやけた。嬉しくて仕方ないといった風情だ。山本の奴は、気まずそうに俺から視線を背けてる。


 俺達の近くまで来ると川岸は、進路を塞ぐように立ち止まった。


「これはこれは、経営企画のシニアフェロー様ではないですか」


 まだ社内公示も出ていない、俺と吉野さんの「次の肩書」を、嬉しそうに口にする。この野郎、やっぱり黒幕からいろいろ聞いてやがるな。


「なんか用か、課長補佐。あーいや陰謀に励んだ褒美に、今度課長になるんだっけな、川岸」


 邪険に呼び捨てにしてやる。悪党なんか呼び捨てで充分さ。年上で年次が上だろうがエリート様だろうが関係ねえ。クズはクズだしな。


 それに俺はシニアフェロー。肩書からしても、呼び捨てにするのがむしろ自然だ。俺は仕事に上下関係は持ち込まないし、かさに着るやつは大嫌いだ。だがこのチンピラを煽るためなら、逆手に取ってやるさ。


「平さん。このたびはご昇進、おめでとうございます。あと吉野も」


 こいつ。俺の大事な吉野さんを侮辱するってのか。酷薄そうな唇の、端がひん曲がってやがる。人格が顔に出るってのはマジだな。


「川岸どけ。用なんかないだろ」

「いやー、さすがエリート様。早々と現場を退かれてすごろく上がるとか。うらやましい限りですなあ。俺達はこれから、異世界の現場で大忙しですよ。――なあ山本」

「は、はい」


 山本の奴、俺と川岸の顔色、ちらちら気にしてやがる。


「平さん。あー業務の引き継ぎは無用です。クズの足跡なんか、蚊の屁ほども役に立たないんで」


 川岸の野郎、やるってのか。上等だ。


 俺は、ひとつ大きく呼吸した。


「今のうちに吠えとけ川岸。お前みたいに社内工作にだけ走り回って下請け泣かして帳尻合わせてるような奴、真の力が問われる異世界じゃ、使い物にならないからな」

「おーこわ」


 へらへら笑ってやがる。


「平さんはなんでも、異世界に未練たらたらで、異世界の弁当屋事業だけは担当させてくれと、社長に泣いて頼んだとか。いやー見上げた商社根性だ」

「なんだ。弁当事業が欲しいのか」

「とんでもない」


 大げさに眉を上げてみせた。


「あれ、年間売り上げたかだか数百万の泡沫事業でしょ。俺と山本には、そんなバイトみたいな仕事、邪魔なだけ。ゴミを引き取ってもらって大助かりですよ」


 俺の瞳の色を窺うように目を細めてから続けた。


「あの小汚い雑居ビルも引き継がせてくれって頼んだんでしょ。弁当屋案件に必要だとかで。俺達Iリサーチ社のエリートが捨てる安っすいビルに入るとか、笑える」


 三木本Iリサーチ社は、本社に移転する。ならあの雑居ビルを経営企画室の出島として使わせてほしい、自分達が弁当屋事業を引き取って使うから――ってのは、ワインバーに殴り込んだあの晩、吉野さんが社長に提案したことだ。


 後日、狙いを教えてくれたよ。


 俺達は今後も、経企の案件として異世界に絡む。そのとき本社のガチガチのセキュリティーは邪魔でしょうがない。なにしろ使い魔やらタマゴ亭さん――異世界の王女――を呼び込んであれこれ算段しないとならないからな。


 俺達の異世界サボり旅に関してふたりっきりの秘密の話をするのにも、本社だと情報漏れが怖い。ボロ雑居ビルになんか三木本の社員、誰も来ないからな。立ち聞きされる恐れはない。


 ならちょうど空くあのボロオフィスを「弁当屋案件」のため引き継ぐってのは、うまい口実だ。


 さすがは俺のかわいい上司、吉野さんだ。異動告知で動揺しながらも、瞬時にきっちり戦略を立てたんだからな。配属されたどこの部署でも仕事ができすぎて妬まれ、Iリサーチに左遷されてきただけのことはある。切れ者ってことよ。


 それにタマゴ亭異世界支店の価値、川岸も山本も、毛ほどにも理解してないな。異世界の、しかも情報の集まる王都に拠点を持つ利点は、それこそこんまい売り上げなんかどうでもいいほど巨大だ。


 それすら思いつかないようじゃ、川岸の野郎、早々に異世界でキャンと鳴くに違いない。


「川岸。Iリサーチ社、役員フロアのひとつ下の階に入るんだってな。いいご身分じゃないか」

「俺はあんな臭い空調のボロビルなんてごめんだからな。当然さ。俺と山本は三木本の次代を背負うエリートだし」

「あんないい階、新規部署なんかに普通は使わせてくれないぞ。誰が動いたんだ。まあ正直、そこだけはうらやましい」

「そりゃあな。俺は事業部長からの期待を一身に受ける身分だしな。なんせIリサーチ社で俺が見つけた金属資源は、金属資源事業部が引き受けることになるし」

「それに貴金属は、貴金属・レアメタル事業部。他の資源は、オルタナティブ資源開発事業部。……まだまだ、川岸さんの活躍を願う部署はいくらでもあるぞ」


 おっ山本の奴、俺が引いたと見て、安心して川岸のケツ舐めに来たなw おもしれー奴。


「それに俺と山本の活躍は、財務面からも期待されてるしな。なんせ新規売り上げが立てば、財務から見ても三木本は成長できるし」


 おだてたら川岸の奴、調子こいて口滑らしたな。その軽口、さっそく利用させてもらうぜ。


「川岸。たしかに財務からは期待されてるみたいだな。ってのもさ、最高財務責任者CFOの石元さんが、お前を高く買ってるからな。こないだ役員会議に呼び出されたとき、本人から聞いたから間違いない。うらやましいよ本当に」

「えっ平お前、聞いたのか。……いやーまいったなー。石元さん、いくら俺が大事だからって、誰彼構わず俺の価値を吹聴することないのに。特にこんな馬鹿に漏らされて、嫉妬で逆恨みされても困るし。……今度、少し口止めしとかないとな」


 もう嬉しくて仕方ないといった表情。


 決定だな。俺の釣り針に引っかかり、あっさり口を割りやがった。川岸の黒幕は石元。ますます濃厚だ。


「さて俺と吉野さんは飯に行く。早くどけやカス」


 がらっと変わった俺の口調に、川岸の笑みが凍りついた。


「……なんだと」

「一言だけ忠告しといてやる」


 傍ら、はらはらしてる吉野さんをちらりと見ると、俺はまた川岸に視線を移した。


「俺と吉野さんの邪魔だけはするな。俺とお前は同じ異世界にいたとしても、事業としても無関係だ。俺はお前を助けないし、お前の助けもいらない。互いに没交渉だ。いいな」

「お、お前こそ邪魔すんじゃねえぞ、平」


 精一杯粋がってるな。まあいい。どうせ小悪党だ。相手するだけ俺が損する。


「いいか、もし俺や吉野さんにちょっかい出したら……」


 睨みつけてやる。


「今度は酒ぶっかけるくらいじゃ済まないからな」

「ちっ」


 俺の瞳に気圧されたのか、思わず視線を逸らしたな。


「行くぞ、山本。俺達はこれから大事な大事な異世界会議だ。所轄役員は多いしみんな忙しい。待たせるわけにはいかないからな」


 通ろうにも俺が全然動かないので、体を横にしてなんとかすり抜け、早足で去っていく。


「平」


 どうしたものか迷ったのか、山本が俺を見た。


「平、お前が悪いんだからな。エリートの川岸さんの顔に、酒なんかかけるから。あの二の橋のカラオケで」

「山本。同期のよしみで忠告しといてやる。前も言ったろ。リーマンなんだから、ケツ舐めるなとは言わない。それもある種の戦略だからな。……でも、舐める相手はちゃんと選べ。お前、地獄への階段を下りていってるんだぞ。それも転がるように」

「馬鹿言うな」

「なら聞くが、川岸の野郎、金属資源事業部との兼務人事だろ」

「それがどうした」

「元部署とのコネを残してあるってことさ。ひるがえってお前はどうだ。兼務辞令をもらえず、出向だけじゃないか。これがどういう意味か、考えたことあるのか」


 不思議そうな表情を、山本は浮かべた。


「そりゃ……平、俺は実務担当だからさ。書類仕事とか大量にあるだろ。兼務じゃこなせん。それにしっかり根を張れば、事業成功のときに出世が約束されたも同然だ」

「俺と吉野さんも、最初はお前と同じく兼務なしの出向オンリーだった。なぜなら社内で浮いてた俺達は、失敗したらいつでも処分できるからな。冷たいもんさ、会社なんて。……お前は同期だから、社内での俺の扱いがどうなってたか、よく知ってるだろ」

「だからなんだよ」

「出向オンリーのお前は、使い捨ての駒だった俺と、どう違うんだ」

「それは……」


 言葉に詰まった。


「事業がヤバくなったとき、川岸ひとり古巣に逃げ帰るぞ。後に残るのは、はしごを外された山本、お前だけだ。責任を取らされる生贄役ってことさ」

「平……」


 動揺してるな。瞳が小刻みに動いてるし。

「頭を使え、山本。お前の人生が懸かってる」

「わ、わかってるさ。異世界マッピング事業は好調だ。まあお前と吉野さんのおかげだが……。そこは感謝してる」

「俺に感謝してるなら、もう少し考えてみろ」

「大丈夫だ。俺はそれを受け継ぐんだからな。事業がヤバくなるはずない」


 自分を納得させようとするかのごとく、山本は頷いた。


「好調なら問題ないわけだろ、平。どんな事業部だろうと、失敗すれば社内経歴に傷が付く。ここだって変わらんさ。……仕事なんて、そんなもんじゃないのか」

「いつまでぐだぐだ話してる。山本、置いてくぞっ」


 焦れた声が聞こえてきた。


「は、はい。川岸さん、今すぐ」


 腰を曲げて歩幅も狭く、卑屈な小走りで川岸を追う。


 馬鹿な奴だ、山本。……まあせいぜい頑張ってくれ。


「ねえ平くん」


 なんだか嬉しそうに、吉野さんが俺の手を取った。ふたりの姿を見送りながら。


「なんです吉野さん」

「本当に、川岸くんにお酒ぶっかけたの」

「ええ、三杯ほど。……おいしそうに舐めてましたよ。犬っころみたいに」

「やーだっ。また冗談」


 くすくす笑って。


「じゃあ今日のランチ、私が奢るね。なんか気持ち良かったから」

「ごちそうになります」

「はい。じゃあ行こうか」


 俺の手を引いて、吉野さんは歩き出した。




●次話から、沖縄リゾート章です。有給を取って真夏の沖縄で骨休みする、平と吉野さん。使い魔も呼び出して遊んでいると、なんと……。

ベタ甘でハッピーなラブコメ展開! 乞うご期待。

コロナであちこち行けない分、旅行気分を楽しんでください。


沖縄リゾート章の後は、異世界章です。沖縄での休暇を11話たっぷり楽しんだ平は、異世界で大暴れ!

ついに蛮族との国境に着いた平パーティーを大河と謎のアンデッドが阻む。

とんでもない試練に挑む、異世界での平にもご期待ください。

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