1-4 社内陰謀の嵐をかいくぐる俺達の後ろ姿が素敵だw
「川岸くんが、三木本Iリサーチ社に……」
吉野さんは絶句した。
「くそっ」
やっぱあいつか。あの怪しいカラオケVIPルームで、俺に酒をぶっかけられずぶ濡れになった野郎。たしかにあいつ、異世界マッピング事業に一枚噛みたがっていた。
「あと、なんとかいうヒラと。なんだったっけかな……山田、ああ違うか。山本とかいう男だ。私は聞いたこともない人材だな」
山本w よくある名前だが多分、川岸のケツ舐めてる俺の同期だろう。良かったな山本、馬鹿と一緒の部署になれて。今頃大喜びしてるんだろうか。出世の階段ができたとかなんとか。
「このふたりが、君達の事業を引き継ぐ。少なくとも当面はふたりだけだ」
「やっぱり転籍ですか」
前、(おそらく)川岸がこっちに来たがったときは、転籍希望ってことだった。
「いや、今回はふたりとも出向だ。川岸くんは、金属資源事業部との兼務人事になる。もうひとりは兼務なし」
俺と吉野さんを追い出したから、唯一の転籍社員として根を張る必要はもうなくなった。なら本社に戻りやすい出向の形を取ったほうが、なにかと便利だ。こすっからい野郎の考えそうなことだぜ。
「最高財務責任者、CFOの石元は?」
「『石元さん』だろ。君は口が悪いな」
苦笑してるな。
「彼はこの提案に加わらなかったよ。私が話したら驚いていた。なにせとんでもない数の事業部が絡んでいたからな」
「そんな提案、社長はほいほい丸呑みしたんですか」
社長が今まさに掴もうとしたワイングラスを、俺は取り上げた。
「社長は、俺達を自分の派閥に迎えたいって言いましたよね。派閥の構成員が社内陰謀の犠牲になってもいいんですか。それでも派閥の
「だから出世させたじゃないか」
社長は手を広げた。
「平くんは以前、私の派閥に入れたいなら、出世させたらどうだと大見得切ったじゃないか。あれはまあ、君の立場からすればもっともだとも言える。だからこの提案があったとき、バーターで君達の出世を勝ち取った。……まあ奇妙なことに、連中のほうから君達の出世も打診してきたんで、渡りに船。想定以上の大出世にはなったが」
なるほど。
俺の頭の中で、いくつもの歯車が噛み合った。悪党の絵図が見えたぜ。
「君達は二十代だ。それで経営企画のシニアフェローなら、あり得ない話だぞ。特に平くんは部長級をすっ飛ばしての異例人事だし」
多くの企業がそうだろうが、ウチ、三木本商事のキャリアコースにも、管理職ルートとスペシャリストルートがある。
ヒラから課長だの部長に進むのが、管理職ルート。役職定年までに部長まで行ければ、おおむね勝ち組だ。さらに出世レースに勝った奴は、事業部長だの執行役員に進む。ごくごく一部は、取締役経由で経営陣まで辿り着く。
管理職ルートでは、建前としては部下や部署の管理能力が問われることになる。当然だが。
スペシャリストルートでは、そういうことがない。たとえば探査能力に極めて優れた金属資源の研究者が、抜群の成果を上げたとしよう。その報奨として管理職に上げて部下の管理に時間を使わせるのは、本人にとっても会社にとっても、その能力がもったいない。そうではなく、その能力を現場でフルに発揮させたい。
ただ役職がないと、給料も社内の地位も低い。成果に報いることはできない。そのため、管理職にはせず、フェローだなんだと肩書を付けて待遇を上げるわけさ。
スペシャリストルート最後の「上がり」が、シニアフェローだ。これは地位や待遇としては、管理職ルートでの事業部長に相当する。今は社内で数人しかいない。
年収何千万という高給だ。事業部長のように社用車と専属秘書こそ与えられないが、ハイヤーは使い放題で、社外の秘書サービスも提供されるらしい。まあ俺はどれも興味はないが。
普通はたしかに喜ぶところだ。だが今回に限っては、裏を感じる。
「社長」
「なんだね平くん」
「社長は、俺達をシニアフェローにできて満足でしょう。たしかにその肩書があれば、俺も吉野さんも、社長の片腕として堂々と社内で活動できる。役員どころかどんな取締役、なんならメインバンクの連中だの経産省の所轄役人とだって、アポ取って話できる立場だ。情報収集だの政治交渉し放題というね。つまり派閥側近としての力は、これまでよりはるかに強化されたことになる」
「わかっているじゃないか。そういうことだ」
「でもですね。俺達は出世の芽を摘まれたも同然だ。だってフェローなら別だが、シニアフェローはもう管理職キャリアルートには移れないですからね。ルートが完全に分岐したから」
マルチエンディングのゲームみたいなもんだ。俺も吉野さんも、個別ルートに強制的に分岐させられたわけさ。
「社長側近とかおだてられても先のない、ただの使いっぱで終わるわけだ。俺達は」
「まあそれは仕方ない。売り上げ一千五百億企業の事業部長クラスだぞ。社員の一%にも満たないトップ扱いだ。しかも君達はまだ二十代。どういうことか、わかるだろ」
「ええまあ」
「総額いくらになるか計算してみたまえ」
役員には役職定年がない。シニアフェローも同様だから、俺と吉野さんはまだ四十年くらい、高額の年俸を得ることができる。
いくらもらえるのかまだ知らないが、仮に年収ざっくり三千万と仮定すれば、十二億円程度。もちろん退職時には、年収に比例した退職金と企業年金が加わる。
「だからなんです。俺は給料なんて興味ない。俺にとって大事なのは妄想時間だ」
「なにが言いたいんだ、平くん」
「社長はさっき、俺達の出世、相手側も提案してきたって言いましたよね」
社長は頷いた。
「出世って形にしつつ、俺と吉野さんを、経営判断の中枢には絶対入れないってことですよ。なんたって管理職にはもうなれないんだから」
川岸の野郎の高笑いが目に見えるようだわ。出世ってことにしつつ、俺と吉野さんの発言力を封じたんだからな。将来の芽まで潰して。
エリート川岸様よう、酒ぶっかけられたの、どんだけ恨んでるんだよ。
「だってそうでしょ。だからこそ、俺なんか特に部長級まですっ飛ばしての謎人事なわけで。部長級フェローまでなら、管理職ルートに戻れますからね。異例どころか、異様な人事だ」
「それは……たしかにそう思う」
渋々、社長は認めた。
「これ、誰の仕込みですかね」
「わからん……。底は深い。……ただ、君も以前言ってたI氏の線はある」
「……でしょうね」(やっぱ黒幕は石元か)
実際、今回、全体の絵図を描いたのはCFO石元あたりだろうさ。多くの事業部に根回しして餌の取引するの、権力と政治力、それに老獪な知恵が必要だし。
CFO――最高財務責任者――なら社内の金の流れを握ってるから、それができる。おまけにメインバンク三猫銀行の元常務だからな。吉野さんが教えてくれたが、頭取レースに破れて外に出されたらしい。ちょうどウチが赤字で苦しんでいた頃で、こっちからもいい人材をと三猫に頼んでたタイミングだったわけよ。
メインバンクにも広く人脈を持ってるんだから、木端商社の事業部長クラスなんかじゃ、とても太刀打ちできない。
だが俺と吉野さんを「出世の形」にして不満を封殺した上で徹底的に将来を潰したの、川岸の野郎が強く主張したに違いない。そんな処理、黒幕には面倒なだけで得なんかないからな。
「たしかに吉野くんと平くんには、これ以上出世の芽はない」
社長は、両手を広げてみせた。
「……ただ君達にとっても、これがベストなんじゃないのか」
奇妙な笑みを浮かべて、俺を見ている。
「どういうことです」
「なら言わせてもらうが……」
ワインをひとくち味わうと、続けた。
「……そもそも平くん、君はウチを経営したいのか? これから管理職ルートに戻って、できの悪い部下何十人もの面倒を見ながら経営陣を目指したいのか。苦労は多いぞ」
「それは……」
そこを突かれると痛い。てか俺、出世なんて面倒なの嫌なこった。俺の性分は、もう社長にはバレていそうだ。なんたって社内経歴が、ど黒いからなw
ただ俺は、吉野さんを社内陰謀から守りたいだけなんだ。それには邪悪な連中の横槍を跳ね返せる力が必要だ。だがそれを社長に説明するのは難しい。社長はワンマンだが阿呆じゃない。切れ者だ。俺達の関係なんか、あっさり看破されるだろう。
「三木本Iリサーチ社のオフィスは、どうなるんでしょうか」
頃合いを見たのか、吉野さんが口を挟んできた。俺があまりヒートアップしないようにしてくれてるんだろう。
「あそこか。もう使わんようだ」
社長は、少しほっとした顔になった。まあ俺が追い込んだからな。
「なんでも役員フロアのひとつ下、セミナールームだったところを潰して、三木本Iリサーチ社を収めるつもりらしいぞ。雑居ビルだと、我が社期待の事業、社長肝いりの案件にはふさわしくないとかいう理屈で。まさに口だけの称賛だな」
苦笑いしている。まあ側近を追い出しておいて、社長肝いりがどうのと平然と言い繕ってるんだからな。こんなん俺でも笑うわ。
あれだな、どうせ川岸の野郎が裏から動いて、「かっこいいオフィスで活躍する俺様」したかっただけだろう。あいつらしいわ。
それに役員フロアのひとつ下なら、黒幕の役員(多分石元)ともすぐ話せるしな。直属の上司である金属資源事業部長に見られることもなく。
「では社長、ひとつだけお願いがあります」
「おう。吉野くんが提案とは珍しいな。私の見るところ、君達は『いい警官悪い警官』で役割分担してるんだと思ってたが」
バレテーラwww
「なんだね。言ってみたまえ」
普段は前に出ない吉野さんの提案に、興味津々といった感じだ。
「三木本Iリサーチ社跡地ですが……」
吉野さんは、俺でも心底意外な提案を口にした。
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