1-3 銀座七丁目のワインバーに暴れ込み、社長に詰め寄る
「社長、どういうことです」
銀座七丁目、例の社長行きつけワインバー。個室に殴り込むと同時に、俺はまくし立てた。
「来るとは思ってたよ」
血相変えた俺と吉野さんの姿を横目でちらりと眺めると、社長は向かいの席を手で示した。
「まあ座りなさい。ちゃんと君達の席も用意してある。秘書に聞いたんだろ、ここに行ってみろと。君達には私の居場所を教えてもよろしいと、指示してあった」
たしかに社長の向かいにも、ワイングラスがふたつ、もう用意してあった。
「社長室で話を受けると、秘書室に記録されてしまうからな、君達との面談を」
この狸、どこまで慎重なんだ。まあだからこそ社長レースに勝ち残ってきたわけだろうが。
「それでは君達も困るだろう。近々、この人事が公になれば、社内はこれまで以上の大騒ぎになる。君達も痛くもない腹を探られるぞ。なにせもうヒラとか末端管理職じゃない。シニアフェローになるんだからな」
「どういうことです。社長」
「平くん。君はオウムか。説明してやるから、まず一杯やりなさい」
吉野さんが席に着いたんで、俺も座った。吉野さんは俺より冷静だ。彼女の判断に従うべきと感じたからだ。
「今日は事前にデキャンティングしてもらっているから、もう飲み頃のはずだ。なにせこいつ頑固で、開くまでにとてつもなく時間が掛かるからな」
どでかい三角フラスコみたいな傍らのガラス謎容器に、自ら手を伸ばした。なんだよこれ。猫の
赤黒い液体を、俺と吉野さん、そして自分のグラスにも注ぐ。社長のグラスもまっさら。ということは、俺達が来るまで酒を我慢してくれていたことにはなる。
「まあ飲め。落ち着くぞ」
不承不承、俺はグラスを持ち上げた。一気にぐっとあおる。うまいかまずいかはわからん。コクがあって鼻に抜ける香りが深いとは感じたが、今はそれどころじゃない。
「先程、経営企画室長から俺達の異動を聞きました。……なんでも、社長の希望だとか」
「希望とは、どんな意味だと思うね? 平課長……いや平シニアフェロー」
なに言ってるんだ、おっさん。
「希望は希望でしょ。辞書に載ってるままの意味だ。社長が望んだってことです」
「ある意味では正しい。ある部分だけは、と言い直してもいいが」
「なぞなぞは沢山だ。俺も吉野さんも、ヘマ打って叩き出される筋合いはない」
「なあ平くん。企業経営というのはな、いくらワンマンでもひとりっきりで戦えるようなものじゃない。多くの局面で、妥協や交換条件、バーターなんかが必要になるんだよ。……そのうち君もわかるだろうけどな」
「私と平の異動は、社内の政治案件だということですか」
吉野さん、今日はマジだ。口調が厳しい。
「まあはっきり言えばな」
社長は、ワイングラスを傾けた。
「うん。いい赤だ。……ずっと取っておいてもらったんだが、今日は開けてもいいだろう。……吉野くん、瓶のエチケットを確認したいかね」
「いえ結構です。ボルドーのグランクリュクラス、それも特別な品とは思いますが、今晩はワインを語りに来たわけではありません」
「おいおい。両側から攻め込むな。とっておきをせっかく開栓したんだ。私だって気持ちよく味わいたい。……いい赤なんだがなー。金積んだって買える品じゃないぞ」
もう一度ワインを口に含むと、ほっと息を吐いた。
「今日ここでの会話は、存在しない。……ふたりとも、意味はわかるな」
「はい」
口外厳禁の前提で、人事やらなんやらの機密事項まで話してくれるってことか。
「今日の情報を元に、社内のあちこちにちょっかいを出すことも許さん。今は力学が微妙でな」
「わかったから話して下さい」
「せっかちだな平くんも」
苦笑いして続けた。
「知っての通り、ウチには多くの事業部がある。それぞれ業績を競い合っているし、境界分野の案件では互いにいろいろな意味での貸し借りがある。貸し借りは時にはコントロール不能なほどにも溜まる。それを解消するとき、雪崩のように大きな社内変動が起こったりする。数学のカオス理論みたいなもんだ」
なんだよカカオ理論って。チョコの製造法かよw 難しい言葉で煙に巻くなっての。マジ、この狸はよう……。ま、社内変動については、そりゃそうだろう。でもそれが俺達とどういう関係があるんだ。
「三木本Iリサーチ社に関しての提案があった。複数の事業部筋から。ほぼ同時に。それも、提案内容が酷似していた」
わかるとは思うが、当然事前に星勘定を調整していたんだろうと、社長は続けた。
「たしかに我が社は伝統的に社長ワンマンで、私もそうだ。……だが、役員の多数を押さえられては、なんでもゴリ押しするというわけにもいかない」
「それが俺と吉野さんの人事なんですか」
「直接には違う」
ほっと、社長は息を吐いた。
「君達は活躍しすぎたんだ。社内のどの部署もが、その事業に手を出したくなるほどに。……しかも、その部署は事実上たったふたりしか担当者がいない。そのふたりは社長直属とはいえ社内に根を張ってないから、手を出しやすい。子供でも引っこ抜ける大根のようなものさ。君達は――自分でもわかっているとは思うが――社内異端だからな」
落ちこぼれで浮いてたからな。俺なんかたらい回しにされ続けたわけだし。
それにしてもくそっ。うまく手を抜いてギリ更迭されないように調整してきたつもりだったが、あれでも業績上げ過ぎか。歩くのは午前中一時間だけにすればよかった。
「三木本Iリサーチ社は、複数の役員の所轄業務となる」
「これまで幽霊役員だった連中が、実際に動くってことっすか」
そんなような陰謀話、俺の課長就任同期会で聞いたわ。
「ああそうだ」
「普通の事業部や子会社なら、所轄役員はひとりですよね。複数が統括して揉めないんですか? 縄張りとか、経費や利益の
「そこが不思議なところだ、吉野くん」
社長は首を捻った。
「おそらくなにか裏で握っているのだろう」
「どいつです。その嫌な野郎どもは」
「想像がつくだろ、平くん。金属資源事業部の事業部長だ」
あの野郎、やっぱり手を出してきやがったか。
「それに、オルタナティブ資源開発事業部担当役員」
風力や太陽熱発電、太陽光発電などの発電リソース、はたまた二酸化炭素排出権取引など、流行り物になんでもガツガツ手を出す事業部だ。
「あと貴金属・レアメタル事業部。途上国権益探査室。システム開発・外販室。……まだ続けるかね」
「なんでシステムなんて無関係なとこまで……。あちこちの事業部が色気出すほど、そんなたいそうな事業じゃないでしょ、俺達んとこ。ただの補助金事業ですよ」
「今はな。……だが役員会議で平くんが大見得切ったように、化ける可能性はある」
くそっ。あんとき暴れ過ぎたか。俺が大暴れして青くなってる秘書室長や、大笑いしている副社長の顔が、思い浮かんだ。
「そんなたくさんの事業部が手を出して勝手に紐付き人材を送り込んできたら、統制なんかできませんよ。全員、事業のことより操り手の利益しか考えないから」
「吉野くんの言う通りだ。船頭多くして船山に登る……って奴だな。そもそも売り上げ規模からしても、せいぜい十人が適正だしな。海千山千の案件だったから、最初はふたりだけだったが。今回も同程度で、業務の進捗を当面様子見だろう。その後増やしても、まあ数人ってところだろうな」
先の見えない補助金事業だったから(しかも危険というw)、使い捨ての俺と吉野さんが放り込まれたわけだしな。
「ならどうするんです」
「知らんよ」
社長はかぶりを振った。
「送り込まれてくるのは、金属資源事業部の川岸課長補佐だ。今回の人事発令で課長になるが」
「えっ」
吉野さんが息を呑んだ。
●猫目注:
コクのあるリーマン小説展開続いてます。
半沢直樹か>俺
リーマン小説好きな方はご堪能を。
シリアス展開苦手な方すんません……。
あと2話でリーマン小説展開終わったら沖縄バカンス章ではっちゃけるので、甘々ラブコメ展開ファンの方は、もうしばらくお待ちを。そっちは「濃ゆい」です。
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