1-2 謎内示で大波乱ってマジすか
「さて、吉野フェローに平フェロー」
エアコンで適度に冷やされたミーティングスペースから全員が退去し、話の聞こえないところまで離れたのを見て取ったのか、経営企画室長が口を開いた。
「話を始めよう。……実は近々、君達に内示が下る」
「へっ!?」
「異動ですか……」
前置きすらなしでいきなり斬り込まれて、思わず間抜けな声が出た。さすが経企の室長。感情レスの冷徹さだ。
「九月一日付けだ」
室長は言い切った。
そうか。もう一か月かそこらで異動になるから、室長はさっきの会議で、俺と吉野さんの異世界新規案件に、一瞬、躊躇したんだな。俺達は兼務辞令で経企に来たばかり。ということは、この異動は三木本Iリサーチ社のほうに決まってる。
「早くないっすか、室長。俺達、三木本Iリサーチ社に出向になって、まだたいして時間経ってないですよ」
三木本Iリサーチ社のほうにしてもさ、マジ早過ぎだろ。だって俺と吉野さん、三木本Iリサーチ社に左遷されてからまだ一年経ってないどころか、半年ってとこだ。通常の異動サイクルからしたら異例だ。
それに俺、ふたりのどちらも異動にならないよう、低迷させずやりすぎずと、絶妙に業績をコントロールしてきたわけで。難癖を付けられる隙はなかったはずだ。
「君達の人事はいつも異例だ。それはわかってるだろ」
「室長。俺も吉野部長も、異動になるようなヘマは打ってないですよ」
「ええ。僭越ながら申し上げますが、そもそも私達の異世界マッピング事業は、グローバルジャンプ21では唯一の成功例として、社内評価もかなり――」
「慌てるな。誰が左遷だと言った」
手を振って、俺と吉野さんを止めた。
「これを……」
黒の不透明ファイルからA4用紙を一枚取り出すと、室長は、俺と吉野さんの前に置いた。わずか数行だけ、なにか印字してある。内示内容だろう。
「内示日はまだだから、今日は見せるだけだ」
俺は目を走らせた。
――辞令 吉野ふみえ 三木本Iリサーチ社部長(出向) 兼 本社経営企画室部長級フェロー(兼務) 九月一日付で 経営企画室シニアフェローとする(本社復帰)――
――辞令 平ひとし 三木本Iリサーチ社課長(出向) 兼 本社経営企画室課長級フェロー(兼務) 九月一日付で 経営企画室シニアフェローとする(本社復帰)――
「なんだこれ……」
言葉が出てこなかった。謎人事極まれリとしか言えねえ……。
「おめでとう。出世だよ。……それも、今回は特例中の特例だ」
たしかに、出世はした。シニアフェローなんて、あり得ないほどの超絶出世だ。吉野さんだけじゃなくて、俺もだ。俺なんか、課長級からなぜか部長級をスキップしてのシニアフェロー内示だからな。
……ただし、三木本Iリサーチ社への出向からは戻されて、だ。
「ちょっと待って下さい。俺と吉野さんが同時に出向を解かれたら、Iリサーチはどうなるんですか。実質俺達ふたりしかいない会社ですよ。もぬけの殻じゃないですか」
「それは聞いてない」
室長は首を振った。
「だがまあ、無人の幽霊法人にはしないだろうな、普通に考えて。実績を上げている新規事業だし」
「誰かが引き継ぐんですね。いったい誰が」
「人事が私に教えてくれるはずないじゃないか」
室長は両手を広げてみせた。
「知ってるだろ。内示前の人事情報が流れるのは、本人と直属上司だけにだ」
「平くん……」
室長の前だというのに、吉野さんがテーブルの下で俺の手を求めてきた。すべすべの肌も、今は汗でしっとりしている。
「どうしよう……」
「私も二十年近く三木本に奉職しているが、こんなのは見たことも聞いたこともない。正直、私にもわけのわからない人事だ」
三人の間に広げられた紙を前に、室長は溜息を漏らした。
たった一枚の紙切れが、俺にはクソ厚い鉄板のように見える。そのくらい重い。
「異世界マッピング事業の大成功は、Iリサーチ社吉野部長と平課長の功績だ。そのことは、社内の誰もが知っている。今回の人事は大出世とはいえども、たかだか一年も経たず、その貢献者を現場から外すんだからな」
難しそうに眉を寄せている。
「普通は出世なんか後回しで、感覚が鈍るか業績が落ちるまで、嫌でも現場に縛り付けておくものだ」
身も蓋もない言い方だが、室長の言っていることは正しい。てか普通はそうなる。
「人事はなんて言ってるんですか」
「さすがに私も聞いたよ。なぜかとな」
俺と吉野さんを交互に見つめて。
「君達の貢献があらばこそ、だそうだ。前代未聞の貢献には相応の出世で報いたいというのが、社長のお考えだとな」
「社長の……」
「まさか。そんなはずは……」
俺は、吉野さんと顔を見合わせた。
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