7-5 世界を覆う暗雲

「あとひとつ教えてくれ。あの紋章。盾と蔦みたいな奴。あれはなんなんだ」

「それは……」


 タマゴ亭さんは、俺を見つめた。


「あれはバスカヴィルが、契約した『善の混沌神』と共に作り上げた紋章。敵を弱体化させる古代魔法が込められているんだって」


 なるほど。だからタマゴ亭さんは、グリーンドラゴンの巣に行くとき、あの紋章を掲げたのか。


「ついでだから、あとひとつ教えておくね」


 タマゴ亭さんは、俺と吉野さんに意味ありげな視線を飛ばした。


「タマゴ亭って名前、平さんたちが調べたように、あたしが決めたの」

「それはさっき聞いたろ。玉子はコスパ抜群でしかも語感もかわいいから、新たに企業需要を開拓するのに向いてたって」

「平さんの言うとおり、それもあるんだけど、裏の意味がある」

「裏?

「あれには祖先への敬意を込めてあるんだ」

「はあ?」

「いやつまり、あたしたちシタルダ王家の真祖はお釈迦様」

「だからなんだよ」

「わかった!」


 吉野さんが飛び上がった。


「なんです、吉野さん」


 俺にはさっぱりわからない。


「ゴータマ・シッタールダよ、平くん」

「はあ。お釈迦様の名前ですよね、それ」


 なにがなんやらw


「平くん。こういうことよ。シタルダ王家の先祖はゴータマ・シッタールダ」

「知ってます。だからなんですか、吉野さん」

「ゴータマよ、彼の名前は。ゴータマ。文字を並べ替えると、タマゴじゃないの」

「あっ!」


 そう言えば……。


「ちょっとした遊びですよ、平さん。あたしは額田美琴として転生した。あたしの両親はもちろん額田家。……でも、本当の故郷も忘れたくなかった。だから少しだけ我儘言わせてもらったってわけ」


 マジか。たしかにゴータマとタマゴって、言われりゃそっくりな字面だ。俺、なんで今まで気づかなかったんだ。なんならマハーラー国王と会った初日にひらめいてもよさそうなもんだったのに……。


「ねえ平くん。ちょっと思ったんだけど、日本に異世界通路が開いたのって、五年くらい前じゃない」

「はい吉野さん。それがなにか」

「あれ、もしかして関係あるのかな」

「それは……」


 タマゴ亭さんは斜め上を見てしばらく考えた。


「わからない。でも普通に考えて関係ありそう。あたしが異世界から転生してきたのが十八年前。この世界とあっちの世界が通じたのは二千五百年ぶり。なにか影響があったとしても不思議じゃない」

「いや関係あるだろ。俺も今気づいたんだが、シュヴァラ王女が額田美琴として転生したのは日本橋。俺達が使ってる異世界通路のすぐ近くじゃないか」


 異世界通路があるのは新富町近くの再開発地区。額田美琴が産まれたのは、ごく近所の聖路加病院だ。なにもかも繋がっている。


「そうよね。あっちの世界は、中世あたりから日本人の妄想パワーに引き寄せられ、こっちに偏差していたとされてるもんね。だから異世界では日本語が話されているし文化的にも通じるものがある。それだからこそ、王女が開いた通路は日本に接続したんだし」

「ご主人様。王女転生の影響でふたつの世界が急接近し、重なり合って一部の境界が接触しちゃったのかも」

「つまり異世界通路は王女転生の地のごく近くに、転生時に開いた。そして俺達日本人がそれに気づいたのは五年前ってことか」

「それは充分あり得るわね」


 ドーナツ化現象と少子化のため、小学校が廃校になって随分前から放置されていた。再開発でその建物を取り壊したとき不思議な現象が観測され、調査の結果、異世界通路が発見され、大騒ぎになった。たしかにいろいろ符合する。


「で、平さんにお願いがあるの」


 タマゴ亭さんは真面目な顔つきになった。


「平さんたち、旧都遺跡に近づいたら、奇妙なモンスターに遭遇したって言ってたでしょ」

「ああ」


 ろくな攻撃もせずのろのろ迫ってくるが決して追撃を諦めない、不気味な不定形のモンスターが、頭に浮かんだ。


「みんな、見たこともないタイプだって言ってたな。ハイエルフの伝承にすらないとか」

「あれ、混沌神のアバターだと思うんだ。バスカヴィルの本に記述があった」

「えっ?」

「あたしは馬鹿な娘だった。あたしが異世界通路を開いた影響で封印が弱体化し、混沌神たちが活性化したんだと思う。……彼らは外の世界に出たがっている。もちろん、世界の妄想を吸い尽くすために」


 それはたしかに考えられる話だ。


「本体が動くことは無理でも、なんとかアバターを作り出し、まず封印の外に出した。今は旧都周辺の情報を探っているんだと思う」

「アバターが、出た? あの知覚の扉から?」

「多分。最初は小さな虫くらいの大きさに擬態して、扉の隙間を抜けたんだと思う。外にさえ出れば、妄想を吸って成長できるから」

「そうか。それで……」

「なにか思い当たることあるの? 平くん」

「いえ城壁ですよ、吉野さん」


 旧都遺跡の城壁は、内側から破壊されたようになっていた。あれももしかしたらその連中の仕業かも。扉をすり抜け王宮から這い出たアバターは、そこで周囲の妄想を吸って本来の大きさに成長・巨大化し、城壁をぶち壊して世界の闇に消えたとかな。


 俺が説明すると、吉野さんは頷いた。


「たしかにそうかも。平くん、推理さすがね」

「それよりこれは大問題だよ、ご主人様」


 レナが俺を見上げた。


「だってアバターが出たということは、力の完全復活は近いもん。そうしたら世界はとんでもないことになるよ、ご主人様。だって……今はもうバスカヴィルもいないし」

「レナちゃんの言うとおりなんだ。だからあたしは、馬鹿なシュヴァラ王女として、世界に対する責任がある」


 タマゴ亭さん――てかシュヴァラ王女か――は、お茶を飲んで続けた。


「それに、あっちの世界だけの話じゃない。あっちの世界に飛び出た混沌神は、必ずこっちの世界との通路を抜けようとする。なぜならあの世界を作ったのはこっちの世界の妄想。ならこっちの世界に来られれば、桁違いの妄想を食べることができる」

「それは……たしかに」

「なら王女失踪の頃、旧都遺跡周辺で大規模な天変地異が起こってモンスターが活性化したというのは」

「そうです吉野さん。多分、あたしが異世界通路を開いた影響」

「たしかにありそうな話だ。今思ったんだが、モンスター討滅に俺が魔剣を使ったら、それからポップアップしなくなったんだ。あれも関係ありそうだな」

「混沌神アバターからの影響を受け、モンスターが活性化したんだと思う。だからこそ、バスカヴィルと共に混沌神を封じた魔剣の力の再出現を感じ、隠れたんじゃないかな」

「なにより危険なのは、混沌神がこの現実世界を狙うことね」

「連中がそうしないはずはないよご主人様。もしそうなれば、こっちの世界もあっちの世界も滅びちゃう。……もうボクとご主人様のあまーい夢生活もなくなっちゃうんだ。まだ本格的なエッチはしてないのに」


 まあサキュバスの戯言は置いとくとしても、こりゃ大問題だ。サボりがどうのとか言ってる場合じゃない。


「状況はわかった。それよりシュヴァラ王女、さっき言ってたお願いってなんだ?」

「それは……」


 シュヴァラ王女は、顔を引き締めた。

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