6-8 吉野さんと俺の決断

 俺を部屋の隅に引っ張ると、吉野さんは耳元で囁いてきた。あーもちろんレナは一緒な。なんたって俺の使い魔だし。いつもどおり、胸元で俺達のやり取りを聞くわけさ。


「もういいんじゃない。ここで戻って」

「というと」

「だって危険じゃない。見たでしょ。あの暗闇。どこに引き込まれるかわかったもんじゃないわよ。実際、ここを潜ったと思われる王女は、行方知らずになってるわけだし」

「まあ……」

「そもそも、変な空間に閉じ込められたら、現実世界に帰還できるかすらわからないじゃない」

「そうっすけど」


 グリーンドラゴンの巣穴の奥では、例の嫌な野郎が現実に戻れなかったしな、実際。


「平くんの望みはなに? 安全にここで地図を作ることでしょ。決して命の危険なんて望んでないはずよ」

「たしかに」


 たしかにそうだ。ここ異世界に左遷された俺は、サボることが目的だった。命の危険なんてやなこった。歩合制でもないただのリーマンなんだから、楽して異世界手当さえもらえればいいのさ。とはいえ……。


「そりゃ、適当に王女を探してるフリだけして、『王様、見つかりませんでした』やるつもりでした」

「でしょ。なら――」

「でも、今ここで王宮に戻るわけにはいかないでしょ。アーサーもミフネも納得しない」

「ま、まあね」

「王の前でも言い訳立たないし。それに――」

「それに?」

「王女の秘密を目前に、尻尾巻いて逃げるなんて、なんか嫌っす」

「別に逃げるわけじゃないでしょ。私達は仕事でやってるだけだし。戦略的撤退だって、ビジネスとしては常套手段だもん」

「いや、男がすたるんす」

「男?」


 とんでもない飛躍に、吉野さんが目を丸くした。


「いや馬鹿なこと言ってるってのは、自分でもわかってるんで。でも、世界の秘密が目の前の玉手箱に入ってたら、たとえ爺さんになる危険性があっても開けるじゃないすか。男なんだから」

「それは……私にはわからないけど」

「だから俺は行くっす」

「……」


 さっきまでもやもやしていただけの俺の気持ちだったが、話してるうちにどんどん具体的で、硬い石のような形を取ってきた。そう。俺は今、冒険したがっているんだ。サボリーマンの、この俺がw どうなってるんだ>俺


「でもこれは俺の趣味――というか酔狂だ。吉野さんを巻き込むわけにはいかない。だからここに残ってください。それでもし俺が戻れなかったら、社長への報告をお願いします」

「また……そんなこと言って」


 吉野さんの瞳が潤んだ。


「ずるいよ、平くん」


 うつむくと、俺の服の裾を、ぎゅっと握ってくる。そのまま黙ってしまった。


「大丈夫、吉野さん。ご主人様はボクが守るから。絶対だよ。約束する」


 俺の胸から飛び出すと、レナが吉野さんの肩に手をかけた。慰めるかのように。


「ボクはご主人様の一の使い魔。どこだってついていくからさ」


 また俺に止められないようにだろうが、俺を見ながらダメ押しする。


 まあ前、食い殺される危険を冒してドラゴンロードを召喚したときも、レナはくっついてきたしな。来るなと言ったって聞きやしないだろう。それはわかってる。


「……どうしても行くの?」


 うつむいたまま、吉野さんが呟いた。


「はい」

「なら私も行く」

「でも吉野さん」

「行くったら行くっ」

「おわっと!」


 吉野さんが抱き着いてきた。ぎゅっと強く抱かれる。温かな胸を感じるし、服が涙で熱くなった。


「……私も……行くから」

「でも……」

「だってこっちの世界では、平くんが私の上司――ご主人様だもん」

「それは方便で――」

「行くもんっ」


 ……かわいいなあ吉野さん。普段は俺よりずっと賢い歳上のしっかりさんなのに、ときどきこんな風に、守ってあげたいかわいい姿を見せてくれる。


「じゃあ決まりだね。ご主人様。吉野さんもタマも、多分トリムも、ボクと一緒にご主人様と混乱の門を潜る。王女の行方と世界の秘密を探るために」

「本当に……いいんですか、吉野さん」


 黙ったまま、吉野さんはこくんと頷いた。


 いよいよ、俺達は未知の領域に突き進む。消えた王女の謎と世界の秘密を求めて。

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