5-10 対ケイオス戦

 突然ポップアップした謎のモンスターから、俺達は全力で距離を取った。不定型のモンスターだけに移動速度が遅いのはラッキーだった。こっちに向かっては来ているものの、ある程度距離を取るのは可能だ。


「一体だけだ。なんとかしよう。ミフネ、どう思う」

「そうだな」


 油断なく剣を構えたまま、ミフネはモンスターを睨みつけた。


「平、こいつはこの世のものではない。アーサーどうだ」

「俺達スカウトは、世界のあちこちに潜入する。だが、こんな奴は見たこともないし、噂も聞いたことはない」

「レナ。どう思う」

「うーん……」


 俺の胸で、レナは唸った。


「ミフネが言うように、多分これ、この世界のモンスターじゃないよ、ご主人様」

「レナも知らないのか」

「うん」


 レナは頭がいいし、けっこう物知りだ。それでも知らないというなら、やはりどこか魔界だか異世界だかの怪物とか邪神とかってことなのかもしれない。訊いてみたが、タマもトリムも知らなかったし。


「見た感じ、どう攻めるべきかわからんな」

「うん」


 吉野さんが頷いた。たとえば相手が動物型なら、首筋とか頭、柔らかな腹部とかを狙えばいい。どこも硬そうなら、目を潰すとか。でもこいつは、熔けた餅みたいなぶよぶよ野郎で目も脚もない。


「混沌として、雲みたいね。形変わるし」

「とりあえずケイオスって呼ぶか。混沌なら」

「どうでもいいじゃん、ご主人様」

「それもそうだ」


 離れて安心したせいか、無駄口叩きすぎたか。


「トリム、矢を射ってみてくれ」

「わかった。反応を探るんだね、弱点とかの」

「なるほど! お前、戦略的思考ができるな」


 感心したように、アーサーが笑った。


「向こうの世界に飽きたら、こっちに移住しろ、平。俺が参謀に紹介してやる」


 いやすぐ感づいたトリムもかなりだと思うわ。


「よーし、いっくよー」


 自分の能力を見せられると張り切ったのか、トリムが声を張った。


 矢筒から矢を一本取り出すと、弓を引き絞る。


「やっ!」


 斜め上に、矢が射ち出された。


「次っ」

「はやっ!」


 信じられないくらい素早く、トリムは矢を数本連射した。鋭い風切り音を発しながら空に放物線を描た矢が、化け物に着矢する。敵の体のあちこちに。それも全矢見事に同時に。


「すげっ」


 敵からは、例によってまったく反応がない。こちらに向かってにじり寄ってくる速度にも変化はない。体に刺さった矢もそのままだ。このまま何十本も射りかけても、ハリネズミのようになったまま進んでくるだろう。


「どうだ、トリム」

「うん……」


 着矢点をじっと見つめたまま、トリムはしばらく考えていた。


「急所らしい急所は見つからなかったよ、平。あるとすると、こっちに向かってきている正面かな」

「敵に向けているということは、敵を感知する感覚器官はあるだろう」


 タマが補足した。


「なるほど。感覚器官は繊細だけに、弱点の可能性はあるな」


 ミフネが唸った。


「俺達で言えば目とかだからな」

「こっちを攻撃するための武器だかなんだかも、正面にあるだろうしな」

「ご主人様の言うとおりだよ」

「よし。じゃあ正面を中心に切り刻んでみるか。矢が刺さるってことは、そんなに硬くもなさそうだし。――どうだ、ミフネ」

「平の戦略は、妥当だろう。敵の正体がわからないだけに慎重に行きたい。俺の部下がまずひとりで斬って様子を見る」


 ひとり呼び寄せると、一撃したらすぐ離脱しろと言い含める。うれしそうに頷くと、近衛兵は、駆け出した。重い鎧が信じられないほどの速さでケイオスに接近すると、掛け声一閃、長剣を振り下ろし、駆け戻ってきた。敵の正面が、一メートルほど切り開かれた。蛇の舌のように。だが、敵に特段の動きはない。まだこちらにじりじり進んできている。


「どうだ」


 戻ってきた近衛兵は、手を出してミフネの催促を制止すると、しばらくはあはあと息を整えていた。


「斬るのは簡単だ。見てのとおり、特に防御も反撃もなかったし、練り物のように柔らかい」

「だが、特に大きなダメージを与えられてはいない」

「そんな感じだ」


 言い切ると、吉野さんが渡した革の水袋から、水をごくごく飲んだ。


「あと近づくとなんだかわからんが、とにかく臭い」

「魚のような臭いか?」

「いや。なんとも形容し難いが、吐きそうになる」

「どうする、平」

「そうだな……」


 考えている間も、敵はじりじり寄ってくる。


「もう逃げたらどうかな。平くん」


 吉野さんは、まだ水袋を抱えている。


「あの子、移動速度が遅いし。全員で走って横に逃げて、迂回するように進んだら」

「吉野さん。それも考えたんですけど、あいつ、絶対こっちを諦めないと思うんです。射られようと斬られようと着実にこっちに近づいてきてるし」

「いずれ、キャンプで寝ているときあたりに襲われるだろう」


 タマが言い切った。


「それに、走って逃げると、他のモンスターがポップアップする危険性もあるよ、ご主人様。挟み撃ちになる」

「レナちゃんの言うとおりかな。ここまでモンスターが消えてたから、そのこと忘れてたわ、私」

「反応がないということは、蚊が刺したほどにしか感じてないのか、あるいは痛覚がないのか」

「そんなところだろう」

「まあ、ざく切りにしてれば、いつかは死ぬだろう。攻撃してこないなら、こっちにリスクはない」

「斬撃訓練ですね、ミフネ隊長」

「その手で行こう」


 近衛兵、スカウト、俺でローテーションを組んだ。タマは吉野さんをガード。トリムは、なにかあったときに矢で援護する係だ。矢数には限度があるので、無駄射ちは避けたい。


「よし行けっ」


 ミフネの掛け声で、間隔を空けたまま一気に進み、正面の傷跡を広げる形で一撃離脱を繰り返した。俺も斬ったが、なんというか手応えがない。寒天とかこんにゃくを切った感覚。それにたしかに臭い。生臭いとか腐敗臭というのではなく焼け焦げた死体のような焦げ臭さというか。鼻の奥に粘りついて取れない感じさ。


 そうして三周めに掛かったところさ、俺のふたり前のスカウトが短刀で奥を斬ったら、切断面になにか見えた。野郎は生っ白いわけだが、それと全然違う、赤黒い奴。内臓かなにかかもしれない。


 と、突然ケイオスの体からなにかが飛んできた。なにかどでかい弾丸のような。のろのろした本体からは想像もつかないほどの速さで。


「くそっ!」


 叫び声と共に、離脱中のスカウトが、それに押し潰された。いや。潰されたというより、なにかに覆われた感じ。


「なんだこれっ!」


 すぐ後に続いていたアーサーが駆け寄り、助けようとする。なんだろう。餅のような粘液質のなにかで、全身が覆われてる。


「いかん。窒息するぞ」

「取り出せ」

「急げ。敵がどう出るかわからん」


 口々に叫ぶと、剣でこじるようにして粘液を剥がす。見ると、ケイオスの奴は特に反応するでも攻撃を加速させるでもなく、にじり寄ってくる。正直、なにを考えているのかわからない。


「タマとトリムは動くな。なにかあれば援護するんだ」

「うん。あいつが変な動きしたら射つよ」

「わかった。あたしは吉野ボスを守る」


 なんとか粘液を剥がして助け出すと、ひきずるようにして敵から距離を取る。


「意識は?」

「大丈夫。倒れたときに腰を打っただけだ」


 スカウトは強がるように笑顔を浮かべた。


「どうして急に攻撃してきたんだ」

「多分、あの黒っぽい内臓だ」

「平もそう思うか」

「ああ」


 おそらくだが、あれが奴の急所なのだろう。今はもう、また粘液状の体でまたあの部分が隠されているし。どうやってあれを攻撃するか。逃げながらの検討が始まった。


 いろいろ意見は出たのだが、どうにも攻め手に欠ける。魔剣を使おうかと提案してみたが、全員一致で反対された。死にたいのかと。煮詰まった議論に一石を投じたのは、トリムの提案だった。


「あたしが射る」

「射る? 矢が効果薄なのは、お前も知ってるだろ」

「あの『内臓』を狙うよ」

「しかしあれが露出するのは一瞬だぞ。切り開く剣の使い手だって襲われる。よほど剣と弓の連携が良くないと」

「だから、あたしは平――ご主人様に頼むよ」

「平にか?」


 スカウト連中がどよめいた。


「いや危険だ。さっきの有様を見てるだろ」

「待て」


 アーサーがスカウトを制止した。


「案外いいかもしれん。平とトリムは主従の関係だ。使い魔なんだから、ただの従属関係じゃない。魂の響き合いだ」

「たしかに」


 ミフネが唸った。


「魂が繋がっていれば、阿吽の呼吸で戦闘連携が可能なはず。……平には命を危険にさらしてもらうことにはなるが」

「俺はやる。問題ない」

「あたしが死なせない。平は絶対にあたしが守る」


 トリムが叫んだ。


「あたしのご主人様だ。死なせるもんかっ」

「ボクもご主人様を守るよ」


 レナが俺を見上げた。


「ご主人様の胸から、タイミングを図ってあげる」

「あたしは、吉野ボスを守りながら、いざとなったら駆け込んで平ボスを救う。……あたしの命に換えても」

「平くん。死んじゃ駄目だよ。これ、業務命令だから」


 吉野さんに、手を握られた。強く。


「私……許さないからね。私を置いてひとり逝っちゃうなんで」

「ありがとうみんな」


 胸が熱くなった。


「俺はやる。……必ず内臓を切り開くから。……トリム、頼むぞ」

「任せて」


 トリムが抱き着いてきた。


「平……ご主人様。あたしの……ご主人様」


 大きな瞳が、まっすぐ俺を見つめていた。


「じゃあ、やるか。……なに、きっと楽勝さ」


 強がってみせたが、誰も笑ってくれなかった。

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