5-4 銀座の老舗宝石商「天猫堂」でシャンパンを

「ダイヤ買い取りご予約の、平様でございますね」

「はい」

「接客マネジャーの貴船と申します」


 ていねいに名刺を手渡してくる。


「こちらにどうぞ」


 椅子を薦められた。


「電話でも説明いたしましたが、本日、身分証はお持ちですか」

「持ってます」


 年配で白髪の、紳士然とした店員が、俺に微笑んだ。


 ここは銀座四丁目、天猫堂てんびょうどうの接客室。狭いが、調度品に金がかかっていることは、ひと目でわかる。さすが宝石店の接客室というかセキュリティーを通った最上階にある。


 俺はこの貴船さんと、テーブルを挟んで向き合っている。週末を利用してダイヤの査定に来たんだ。


 宝石の買い取りは専門店なんかがやたらとあるんだが、老舗宝石商である天猫堂を選んだのは、信頼性を重視したから。買い取り専門店よりは安く査定されるかもしれないが、嘘をつかれることはないと踏んだのだ。なんたってほら、ブランドのプライドって奴があるだろ。


「まず身分証をご提示ください」

「これですね」


 車の運転免許を出す。


「拝見します」


 免許を受け取ると、遠目で目を細める。老眼だな。貴船さんはまあ六十前後に見えるし、当然か。俺みたいな若造にもていねいに接してくれる人だな。


「買い取りと決まった場合、コピーを取らせていただきますが、よろしいですか」


 俺が頷くと、テーブルに天鵞絨びろうどの黒い布を広げた。


「買い取りご希望のダイヤは、原石という話でしたが」


 原石でも買ってくれることは事前に確認済みだ。小銭入れを取り出すと逆さにして、中身を天鵞絨に落とした。


「これはこれは……」


 貴船さんは苦笑している。


「なかなかダイナミックですな。では拝見」


 手のひらに取ると、じっと眺めている。俺が持参したのは、もらったダイヤのうち目立ちそうにない、小さい奴をひとつだけだ。いきなり巨大ダイヤをごろごろ持ち込んだら、大騒ぎになるに決まってるからな。


「二・五カラット近いですか。そこそこ大きいですね。――後できちんと量りますが」


 かたわらの、炊飯器みたいな謎機器の中に、ダイヤをセットした。


「これは光分析計でしてね。ダイヤの真贋を鑑定します。合成ダイヤかどうかまでわかる機器です」


 やがて出てきたデータを画面で確認すると、微笑んだ。


「ダイヤモンド、間違いありません」


 良かったわ。向こうの連中が俺を騙すことはないだろうが、ガラス質の鉱石なんかをダイヤと勘違いしてたってことはあり得るからな。


「では始めます」


 高そうな拡大鏡を取り出すと、観察用の強い照明を直接当てて、ダイヤを鑑定し始めた。


「ご存知かもしれませんが、ダイヤの価値を決めるのは、大きさだけではありません」


 いろいろな角度からチェックしながら、解説してくれた。なんでも、色や透明度、カットが重要らしい。これは原石で加工前だからカットは無関係だが、「いいカットに仕上げられそうか」という意味で、形は査定に大きく影響するとか。


「二・五カラットなら〇・五グラムくらい。この形ならブリリアントカットに十分できて、職人に聞かないと正確にはわかりませんが、多分仕上がって二カラットちょいですかね」


 天鵞絨の上にダイヤを大事そうに置いて、鑑定用の照明を落とした。それから宝石用のデジタル精密質量計に、ダイヤを乗せた。グラムとカラットが同時に表示される奴だ。


「二・三五カラット。色や透明度は申し分ない。なかなかない品質です」


 貴船さんは、ほっと息を吐いた。集中して鑑定してたから、疲れたのかもしれない。それから俺に向き直る。


「未加工の原石ですので、当店の買い取り価格は一八〇万円です」


 うーむ。高いのか安いのかわからんw


「なるほど」

「一応この後、分光器でチェックさせてもらいますが」

「それは当然ですね」


 よく考えたら俺の今日の目的は売ることじゃない。売れるかどうか、確認することだ。


 仮に売るとしても「一円でも高く売る」必要はない。秘密が漏れず、やり取りが安全で、問題の起きないルートを開拓するのが重要だ。なんたって豆まきできるくらいはダイヤ持ってるし。これひと粒でざっくり二百万弱なら、最低でも数億円にはなるだろう。


 それに巨大な奴とか、多分一個だけで下手したら十億行きそうだ。なんたって大きな奴は、幾何級数的に稀少だろうし。


 税法上は、異世界は特殊な扱いをされている。ダイヤに限らず現地での収入や贈与は所得とはされておらず、こっちの世界で現金化された時点で収入として算入される。異世界で活動している日本人はせいぜい数人なので、「面倒だから細かな法律は作ってない」わけよ。


 俺は個人だから二〇万円までの雑収入は申告不要だが、この一個を売った時点で枠を超えるので、確定申告が必要になる。


「ただ平様。弊社でお引き受けできるかどうかは、まだわかりません」

「というと」

「国際的に、ダイヤには取引の決まりというものがあります。それが紛争ダイヤではないという証明書などが必要です。キンバリープロセス証明書というのですが」


 それは事前に調べていた。違法に盗掘されたダイヤが、現地のテロリストや軍閥の資金源になっているので、その流通を防ぐために必要だとかなんとか。


「実はこれ、異世界産でして」


 持参してきた証明書を、クリアファイルから取り出してテーブルに置いた。「シタルダ王国産であることを証明する」旨を英文と日本語で記述してある、マハーラー国王サイン入り公式書類。紙おむつのブランド名みたいなキンバリーなんちゃらについては事前に調べてあったので、ダイヤが手元に貯まり始めた頃、国王にお願いしてあったのだ。


 こういうとき、日本人の妄想影響下の異世界は楽だ。なんたって書類の言語で悩まないで済む。


「もう出回っているのですか」


 証明書を取り上げ、まじまじと眺めている。


「異世界資源については、現実の流通はまだ先と聞いておりましたが」

「その通りです。これはまだテスト段階で」


 異世界が発見されたとき、日本政府は、いずれ異世界から資源を輸入したいと考えた。そのため、各種鉱物資源に関しては特例法を作り、また国際的な取り決めがある資源に関してはそちらも整備調整した。ダイヤのキンバリープロセスについても同様だ。


「実は私、業務で異世界とつながりを得たので、個人的なビジネスとして、異世界との交易の可能性を調べておりまして」


 三木本商事の名刺を出す。兼務辞令で俺には二種の名刺があるんだが、この場合、もちろん謎子会社のほうだ。名刺に「異世界云々」書いてあるほうが説得力あるだろ。


「ほう……」


 食い入るように名刺を見ていたが、ふと俺に視線を移す。


「平様。こんなことを申し上げると大変失礼で恐縮なのですが、私も仕事ですので……」


 いったん言葉を切ってから続ける。


「横流し品とかではないでしょうな」

「まさか。これは個人的に異世界の知人から入手したものです。異世界特例として、現地での個人的な譲渡は業務と関係しない旨、弊社の社内規定にもあります。必要なら今度お見せしますし、それに……」


 国王の証明書を示して。


「そちらの証明書にも、譲渡先として三木本の法人名でなく、私の個人名があるはずですが」

「たしかに……」


 貴船さんは顎をさすった。


「いずれにしろ、弊社としても初めての異世界案件なので、関係各所に確認の上、ご回答します。そうですね……一週間ほど。その間、石をお預かりしてもよろしいでしょうか」

「いえ、これは引き上げます。書類は原本をお預けしますので、それでご確認ください」

「承知いたしました」

「それでけっこうです。私も今日すぐ売れるとは考えておりませんでしたので」

「平様……」


 言い淀むとしばらく黙ってから、貴船さんは俺の顔をじっと見つめ直した。


「平様は、今後も異世界の資源を『個人的に』交易されるおつもりでしょうか」

「そうですね」


 俺は認めた。


「いろいろな案件で考えております」

「それでしたら、ダイヤだけでなく、その他の貴金属や宝石なども当店にお声がけいただけると、お役に立てるかと存じます」

「検討しておきます」

「よろしくお願いいたします」


 微笑むと、傍らの小型冷蔵庫から、なにかのボトルを取り出した。


「一杯いかがですか。ハーフで恐縮ですが、なかなかの泡です」


 どうやらシャンパンらしい。香りがいちばん立つ温度に冷やしてありますよと、貴船さんは付け加えた。こんなとこに酒があるとか、ブランド老舗はやっぱ違うな。取り出したシャンパングラスが、これまた見るからに高そうな奴でさ。


 吉野さんも連れてきてたら、彼女、喜んだかなと、ふと思った。ワイン好きだし、こういう高級路線は、俺よりずっと似合ってる。多分これ、上客とか特別な機会のときだけ使う奴なんだろうし。本来俺には似合わない。レナと食べる半額弁当となんちゃってビールで、俺は幸せなんだ。

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